こんぺいとう物語~カーテンの向こう側~

産科を除いて、生まれてこの方ただの一度も入院(無論手術も)などしたことがない。
だから手術を受けるまでは、自分の身に何が起こるのか想像が膨張して怖かった。
でも、終わった今となっては、私が最も恐怖を感じたのは、手術のあとだった。

名前を呼ばれて瞼を開くと、手術台ではなくベッドに寝かされていた。
ここはリカバリールーム。
手術を終えた患者だけが、一晩収容されるところだ。
「無事終わりましたからね」と看護師さんが話しかけてくれる。
私は苦しくて、「はい」と声を出す代わりに小さく頷いた。
なんでこんなに呼吸が苦しいのか。
鼻と口が、カップ型の酸素マスクにすっぽり覆われている。
足りない酸素を補っているのに、酸欠になっているとしか思えない。
全力疾走したわけでもないのに、肩で呼吸をしている。
手術のあとはみんなこんなふうに呼吸が荒くなるものなのか?
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朝からずっと付き添っていてくれたムスメ。
無事に母親の手術が終わってほっとしたのか、ずいぶん眠そうだ。
ムスメを家に帰してから考えた。

もしかして、過呼吸状態?(なったことないけど)
もしや、この酸素マスク、欠陥品なのでは?
放出されるべき酸素が出ていないとか。
試しに自分の手で酸素マスクを外してみる。
こっちのが遥かに楽だ。普通に呼吸ができる。
ずっと外したままでいたいと思ったが、かすかに空気のようなものが出ている。
仕方なく、もう一度はめて肩呼吸に戻す。

それだけではない。全身麻酔の副作用とおぼしき吐き気。
約20年ぶりに襲われる、「つわり」のごときムカムカ感。

ナースコール1回目
「ずっと吐き気がしていて、あと麻酔切れたみたいです。痛くなってきました」
「痛み止めと吐き気止めの、どちらを先にしてほしいですか? 両方一度は無理なので」
「い、痛み止めの方を─」
「あ、酸素マスク、もう外しますね」

酸素マスクが外れたとたん、普通に呼吸ができた。
看護師さんが抗生剤の点滴に鎮痛剤を追加してくれた。
ついでに吐き気も治まった。
あとで調べてわかったが、「酸素マスクは息苦しい」ものらしい。

鎮痛剤は創部の痛みには効き目があったが、肩、腰、背中の筋肉痛にはまったく効かなかった。
手術中、微動だにしなかったせいで、身体じゅうが痛くて仕方ない。
様子を見に来てくれた看護師さんに、肩、腰、背中の痛みを訴える。
身体の向きは自由に変えて構わないと言われ、右を向いたり左を向いたり。

身体からは、少なくとも3本のチューブが出ている。
ドレン(排液管)、導尿管、抗生剤の点滴。
慎重に寝返りを打っても、いちいち導尿管が痛い。
そうこうしているうちに、やたら暑くて汗だくになっていることに気づいた。

ナースコール2回目。
「暑くてたまらないんですけど。あと、布団がすごく重くて─」
「ああ、毛布ね。電気毛布だから重いんですよ。手術後悪寒がするという患者さん、結構いらっしゃるので。
じゃあ、この電気毛布、取っちゃいましょう。」
「ありがとうございます、お願いします」

断っておくが、ナースコールを鳴らしているのは私だけではない。
わずか4床のはずだが、さっきからかわるがわるナースコールは鳴りっぱなし。

はぁ、疲れた。お昼頃手術して、今はもう夕方過ぎだろうか。
眠りたいけど眠れない。
天井の蛍光灯が大きくて眩しすぎる。

ナースコール3回目。
「すみません、だいぶ眩しいので照明落としていただけないでしょうか」
「はい。このくらいでいいですね?」
いや、まだ明るいと言いたかったが、有無を言わさぬ調子だったので折れてしまった。

ようやくうとうとしかけた時に、無人だった隣のベッドに、新たなる患者が収容されてきた。
名前を呼びかけられている。
「ああ、はい」と辛そうに答えている。「息を吸うとき苦しいんですけど」
隣人の訴え通り、息を吸い込むたびヒューヒューという大きな喘鳴が聞こえている。
「もともと喘息やアレルギーがありますか?」
肯定するような隣人の声。
医師が、おそらくファイバースコープで口の中を確認しているもよう。
「あ~って、もっと大きな口開けてください。あ~って」
「あ”~~~~」
「あれれれ。声帯がまったく動いてないな。あ~~~って言ってみて」
「あ”~・・・」
「ムクムクに腫れている。声門浮腫だな、咽頭もだ」

別の、女医とおぼしき声がした。
「麻酔科と、耳鼻科の先生に電話して指示仰ぎます」
女医が各科の医師に内線を取次いでもらっている間、男性医師が廊下で待つ家族に説明するため出ていった。

「麻酔科と耳鼻科の先生は、いずれも再挿管が妥当だろうと─」
「ご家族に聞いたら、手術室に入る前からすでにヒューヒューいってたらしいですよ」

男性医師が隣人に話しかける。
「このままだと十分な呼吸が難しいので、もう一度肺まで管を通して空気が吸えるようにします」
「はぁ」
「管を入れるとき、苦しくないように、少し眠くなるお薬を注射しますね、麻酔じゃないんだけど」
「はぁ、でも、さっきまでより吸うのが少し楽になりました」
「う~ん、確かにヒューヒュー言わなくなったかな」

しかし女医が、「再挿管しましょう」とキッパリGOサインを出した。

「〇〇さん?」
「はい」
「〇〇さん?」
「はい」
「あれ~? こんなに薬が効かない人、初めてだな」と男性医師。

挿管していた女医が匙を投げた。
「ダメだぁ、完全にふさがっちゃってて全然入らない」
ガッ! ゴフッ! ゴッ!
隣人のむせる声。
あんなに腹圧かかったら傷口が開いてしまいそうだ。
薬、少しは効いてるといいのだけど。
「××先生、代わって!」
女医に言われて、男性医師が口ごもる。
「え? でも、一応まだ研修医ですよ?」
「いいからやって!」
ガッ! ゲッ! ゲッ!
隣人が眠っているとはとても思えない。
「あー、なんで俺の担当の日に限ってこんなことが起こるんだ」
男性医師が嘆く。
ゲフッ! オゲッ!
女医と看護師の笑い声(!!!)

隣人さん、隣人さん・・・ああ、耳を塞ぎたい。気の毒すぎる。

つい先ほどまで私を含む3人で、最低3回(←私)は鳴らしていたナースコール。
私以外は全員男性患者。
そのうちの一人は、ナースコールを鳴らし、看護師を呼びつけて言ったもんだ。
「ナースコールの音がうるさいから一般病室に戻りたい」
「無理です! みなさん、手術後は看護師の目の届くこの部屋にいていただきます!」

今は誰も鳴らしていない。
じっと息をひそめて、新入り(男性)の無事だけをひたすら祈念していたと思う。




「あ。入った」
おそらく、リカバリールームにいた誰よりも、真隣の私が一番ほっとした。

ところが、ここで女医があり得ないことを言い出したのである。
「私、胃カメラやってみたかったの。
でも私が研修受けてた頃は、胃カメラは内科の仕事だからやる必要ないって」

「今やってみます?」男性医師が促す。「管の中になるけど」
「ホント? いい?」

おい、マジか─。隣人さん、100%実験台にされている。

少しして、女医の嬉々とした声。
「よし、これでなんとなく、感覚は掴めた」
「じゃ、ICUに運びますか」
患者を除く医療従事者全員の、明るい笑い声。

おい、マジか─。ICUに運ぶレベルだったのにィ?


若き医師たちの、あくなき向上心に敬意を払うべきなのか。
いや、自分の家族にも、同じこと出来ます?

てのひらが、じっとり汗ばんでいた。


翌々日から、リハビリで病棟内をくるくる歩行するようになった。
病室ごとにネームプレートを確認してまわるのはやめにしておいた。
あの、あまりにもお気の毒な隣人の名を、見つけられないことが怖かったからだ。
カーテンの向こう側。顔も知らない隣人。
きっと、点滴を連れながら、リハビリに励んでいる。
そう信じたかった。



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by vitaminminc | 2016-11-18 19:21 | 人間 | Comments(0)
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