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可もなく不可もなく、永遠にカフカ

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グレゴール・チョッキン
 何の変哲もない、どこにでもいる海老茶色をしたザリガニだったが、うちに来てから徐々に体が淡いブルー系に変色。ハサミにいたっては美しいペパーミントグリーン。大変さわやか。
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S43年9月15日 26刷 定価60円(安い!)の新潮文庫。イラスト画家は伊藤明氏(写真提供=賢者1号)

 3月26日付の新聞で、村上春樹氏が「フランツ・カフカ賞」を受賞したという記事を読んだ。
 なんだか最近やたら懐古趣味に走りがち。70~80年代のJポップスを聴いたり、10代の時に読んだ本が無性に恋しく、読み返したくなる。老化現象の一種に違いない。

 そんなわけで、「フランツ・カフカ賞」の記事の影響だろう、4月はじめ実家に遊びに行った際、迷わず自分が昔使っていた書棚に直行。手に取ったのは、カフカの珠玉の短編「変身」だ。
「変身」は、高校のド真ん中、高二の真夏の真夜中に読んで以来、私の最も好きな短編小説であり続けた。このたび自宅に持ち帰り、読み返してみて改めて感嘆した。透徹した実存主義文学の金字塔ここにあり。大人になって、それも子を持つ母となった目で読むと、高二の時には読み落としていた(あぁ、もったいない)行間までもが読めてきて、まさに目から鱗ンタクトレンズがポロリ。まったく無駄のない文章は、減量して鍛え抜いたボクサーの体躯。高橋義孝氏の洒脱な名訳による一文字一文字が、飛び散る汗のようにきらめいて見えた。こんな薄い本に、こんなにも厚意を寄せられるようになろうとは。「老化」を「成長」と感じさせてれる、カフカの度量に感謝した。
 高二の時点でこの小説を「完璧だ」と絶賛してはいたのだが、主人公グレゴール・ザムザを慈しむには、自分はまだ未成熟すぎた。今回は、ものの見事にグレゴール・ザムザのとりこになった。巨大な毒虫に変身した彼の、現実を受け入れていく順応性。自分の変わり果てた姿を眼の当たりにしたときの家族や上司のリアクションを想像し、「わくわくし」てしまう快活さ。慣れない身体に不自由するも、動作を一つ一つクリアしていく不屈の精神。妹がドアのところに置いた、グレゴールの好物(甘い牛乳にちぎったパンを浸したもの)を見つけた時には、「うれしさのあまり声を立てて笑い出しそうにな」るのだが、虫の身体が好物を受け付けず、「ぞっとしたといわんばかりに壺から頭をそらせて、部屋の中央に這い戻ってしま」う 愛らしさ。そして、習性までもがだんだんと虫へと変化していく中、ベッドの上ではなく寝椅子の下に、「ちょっと照れくさい思いをしながら」身を潜めてホッとする様子には、大いに母性本能がくすぐられた。
 また、グレゴールが、一家の稼ぎ手である自分が働けなくなったことで、老いた両親やまだ学生の妹の行く末を案じ始めた頃、彼の知らないところで父親がこまめに貯蓄に励んでいたという会話を立ち(這い)聞きした時の短い描写には、シュルシュルと舌を巻き、私も危うくカメレオンに変身するところだった。
「グレゴールはドアのうしろでせっかちにうなずき、この思いがけない用心と倹約とをよろこんだ」のだ。─あぁ、なんと健気なことよ。なんと家族思いの息子であろうか。私は「せっかちにうなず」いている毒虫の触角に触れたかった。そのいじらしさに涙しながら、ひゅんひゅん揺れる触角に、いつまでも触れていたいと思った。
 それゆえ、<結末>を見届けた後は、なかなか立ち直ることができなかった。グレゴールにわずかに残された人間らしい感情を、彼の家族は誰一人として理解することがなかった。兄が大事にしていた壁の絵を取り外そうとした時、妹は、毒虫がなぜ額のガラスにへばりついたまま離れようとしなかったのか、考えてみようともしなかった。妹を希望の学校に進学させてやりたいと願っていた妹思いの兄、仲良しの兄妹だったではないか。家族にとって彼は、もはや醜悪な姿をした巨大な毒虫でしかなくなっていたのだ。
 読後、熱病に侵されたように「変身」の魅力を吹聴し、グレゴールに自分がしてやれることはないだろうかと途方もない考えにとらわれていると、賢者の1人が38年前の「変身」の文庫本写真を送ってくれた。実は、「変身」を読み返している間中、グレゴールの無器用さが、うちで飼っているザリガニの「チョッキン」と重なって仕方なかったのだが、奇遇にもその文庫本の表紙に描かれたイラストには、ザリガニのごときハサミがあった。蠍をイメージしたものだろうか。心なしか、目までチョッキンに似ている。

 余談になるが、チョッキンは自分の身体の扱いが下手で、見ていると滑稽だ。どうも狭い水槽の中では、大きなハサミは無用の長物でしかないらしい。餌を落としてやっても、実際にそれを掴むのは巨大なハサミではなく、胸元に生えている細い小さなハサミ。だから餌がたまたま水槽の端に落ちたりすると、大きなハサミが行く手を塞いで前に進めず、餌を掴むことができない。やっとのことで身体を90度方向転換すると、腹を水槽の壁に押し付けるように身体を傾げてみせる。そして下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式に、たくさんの細い脚をジタバタさせて、どれかが餌に触れることに一縷の望みを託し、ひたすらもがく。見ていて実にじれったい。三十六人羽織でも見ているかのようだ。かと思うと餌が顔の鼻面に落ちてきても気づかないで、ずっと顔の上に載せたままでいることもある。

 グレゴール・ザムザが自分の身体を思うように操縦できずにいた変身当初、チョッキンの姿がオーバー・ラップしてしまったのも無理はない。私が持っていた「変身」のカバーはカフカ自身の顔写真をデザインしたものだが、かつての表紙絵がチョッキンに似ていたことを受け、名前を「グレゴール・チョッキン」と改めた。かくしてグレゴールの家族が彼にした仕打ちを詫びるかのように、そして片想いに似た情念を鎮めるかのように、蒼ざめたザリガニに注ぐ愛情を倍増させている私なのである。
 これは、グレゴール・ザムザの結末に傷ついた自分の心のケアでもあり、カフカに寄せる敬意の表れでもある。
 
──カフカは模倣できない。彼は永遠の誘惑となって、地平線に残るだろう。
                                  (サルトルの言葉より)


 

Commented by nikuちゃん at 2006-05-08 22:19 x
返信!じゃなかった、「変身」!なつかしい~。私は机を並べていた頃読んだと思うわ。タイトルに惹かれて買ったら、想像もしていなかった内容だったので、夢中で読んだな。そ~かそ~か、グレゴールか・・・
Commented by vitaminminc at 2006-05-09 15:36
でも「仮面ライダー」って昆虫ですよね。「変身!」って決め台詞、たとえ石ノ森さんが否定しても、絶対潜在意識の中にカフカがいるに違いない。
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by vitaminminc | 2006-05-06 19:40 | 趣味 | Comments(2)