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路傍の意志

路傍の意志_b0080718_9182473.jpg路傍の意志_b0080718_23295046.jpg この世は、謎に満ちている。
 数年前に、気心の知れた女ともだちと三人で飲み会をした時の話。気がつくと、私たちは、身近にある‘わからないこと’について、アーダコーダと面白おかしくあげつらっていた。
「わからないことといえばさぁ──」と一人が言う。「──道路によく、靴が片方落ちてたりするじゃない、アレって何?」
 三人共、靴の落し物を見た経験が有ったので、そうそう、よく見るよく見ると、大いに盛り上がった。
「意外にボロ靴じゃないんだよね」
「結構新しい靴だったりするよね」
「スニーカーならまだしもさ、黒の革靴!?」
「あーはっは! あるある!」
「アレって酔っ払いとかが、片方脱げても気づかないで、そのまま歩いてっちゃうわけ?」
 いやいやいやいや。私が見た黒の革靴は、そんなとこにはいなかった。歩行者の通らない、自動車専用立体交差の橋の上に、横臥状態で世を儚んでいた。
「バイクに乗ってる人かも・・・」とボソッと言ってみた。「バイクで走行中に片方脱げちゃって、そのまま走り去るしかなかったパターン」
「そッかぁ」と一同(って二人)が尊敬の眼差しで私を見る。
「でも脱げるか? 普通」
「まぁ新しい靴は足になじんでいないからね」
「けど、不思議と女物の靴が落ちてるのは見たことないんだよね」
「そう言えば一度もないわ」
「逆に、あったら怖い」
「ハイヒールが片方落ちてたりしたら、犯罪に巻き込まれたかと思っちゃう」
 で、私たちは、‘やっぱ男の人ってマヌケよね~’と結論づけてご満悦なのだった。

 しばらくして、もう一人が思い出したように言う。
「紳士もんの靴が落ちてるのも変だけど、タイヤのホイールが落ちてるのも変だよ」
「あぁ、たまに見るよね」
「あら不思議、なんでこんなところに?って」
 それなら、靴より確実にわかる。また私の出番である。
「縁石に乗り上げると、意外に簡単に外れるんです」とボソッ。
「へ~ぇ、そうなんだ」
「外れたホイールが、またどこまでも転がってくんです」と補足。
「経験者かぁ!?」
 私が頷くより先に、二人が笑い崩れた。
「な~んだ、どういう奴が落としてくのかと思ったら・・・」
「こ~ゆ~奴だよ・・・」
 アルコールの力を借りているとはいえ、息も絶え絶えの感動振りだ。
 そうなのだ。運転し始めの頃に、一度だけヤッっちまった。なにしろ音は派手だし、通行人は転がっていくホイールをどこまでも目で追うし。リアルタイムの通行人がいなくなることを祈りながら、少し先にあるスーパーの駐車場にゆっくり車を停めて、ゆっくり時間をかけて現場に戻ると、哀れ、私のホイールは、次々と後続車に踏み敷かれ、アルミ箔のようにぺしゃんこになっていた。回収にいった自分も思わず凹んだ。

 だからホントは、靴を落としていく男の人を笑う資格など、私にはない。でも、路肩や中央分離帯付近で風雨に耐えている靴の姿を思い出すと、頭の中で勝手に再現ドラマが流れてしまうのだ。
 落とし主の中には、得意先に向かう途中の人もいたかもしれない。だが、片靴姿で得意先を訪問するわけにはいかない。落とし主は、専門店が入っている大型店を泣く泣く通り過ぎ、やっとのことで、商店街にある小さな靴屋を見つける。片靴のままで歩く距離が、なるべく少なくて済む店だ。
 バイクを店の前に停めて、落とし主がさりげなく片靴のまま店に入っていくと、店主の第一声は、
「アレお客さん、靴をどうなすったかね?」
 仕事柄、客の顔より先に足元に目が行くらしい。
「いや、ちょっとした事故に遭って。いや、怪我はしてないです」
「そりゃ大変だったね。あれだろ? やっぱり同じようなのがいいんだろ?」
 そう言いながら、店のオヤジは、合成皮革の艶と輝き丸出しの靴を得意そうに出してきた。
「これなんか、同じタイプだね」
 落とし主には時間がない。自分が履いていたリーガルは19,450円。目の前の靴には1,980円の値札がタグ留めされている。値札だけではなく、左右の靴がはぐれてしまわないように、靴同士もタグ留めされいた。
《どこが同じタイプだ》と憤慨しながら購入。
「履いて帰るかね?」
《当たりめーだバカヤロー、そのために寄ったんじゃねーか》
 店のオヤジが、鋏でプラスチックのタグ留めを切る。値札が取れた代わりに、靴には値札の痕跡として、小さな穴が残った。左右の靴を結びつけておいた穴も入れると、合計3個。
 落とし主は、‘靴辱’のようなものを感じながら、昨日購入したばかりのリーガルの片割れに目をやった。
「あのこれ、処分頼ンます」
 新しい靴の履き心地を実感するには、店の外に出るまの数歩で十分だった。
《最悪じゃん》
 片靴ばかりか、肩まで落とす、落とし主。
《けど、今日の商談だけは、ぜってーキメてやる!》

 これが深い愛情をもって笑わずにおりゃりょーか。
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by vitaminminc | 2006-08-07 00:40 | 人間 | Comments(0)