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宮崎アニメンタル・クリニック

宮崎アニメンタル・クリニック_b0080718_15454120.jpg 夏休み最後のイベントとして、二人の子どもを連れて「ゲド戦記」を観に行った。
 正直、それほど期待はしていなかった。父上(宮崎駿監督)に対する尊敬の念が強すぎたせいかもしれない。それでも腰を上げたのは、娘の恋心に応えてあげたいという親心からだ。娘は、テレビで初めて「ゲド戦記」の予告を見た瞬間、心に闇を持つ少年=エンラッドの王子アレンに一目惚れしていた。
 「アレン君に会える・・・」娘は二次元の顔で歓んだ。
 
 映画は、私に意外な感動を与えてくれた。第一回監督作品としたら、申し分のない仕上がりで、「蛙の子は蛙だなぁ」と唸らされた。でも私は物語そのものよりも、映画の中でテルーという少女が唄う歌(「テルーの歌」←もうちょっとほかにタイトルはなかったのか?)に、より感動を覚えた。「蛙の子はオタマジャクシ♪」でもあったのだ。
「テルーの歌」は、映画のCMでも流れていたから、映画を観ていなくても、一度は耳にしたことがあるだろう。唄っているのが、今回テルー役として声優もこなした、まったく無名の新人、手蔦葵。とにかく声がいい。澄み切っているわけではない。乾いた牧草地を思わせる響きだ。そしてそこを、時折遠くの水面を撫でた湿った風が吹きわたる──そんな声なのだ。もう少し齢を重ねたら、屈指のボサノバ・シンガーになるかもしれない。
 私はこの映画で、たった一度だけ泣かされた。テルーが唄っているシーンだ。歌の詞が、風のように、自然に心に吹き込んできた。泣けた。感極まって、涙がツツゥーーと頬にこぼれ落ちた。アレンと心が一つになった気がした。
 作詞は、宮崎吾朗。作曲は、谷山浩子。吾朗監督は、この映画で、作詞家としての才能も見事に開花させている。公式サイトの「テルーの歌」を読むと、萩原朔太郎の詩「こころ」に着想を得て生まれた詞であることがわかる。

  こころをば なにに たとへん
  こころはあじさゐの花
  ももいろに咲く日はあれど
  うすむらさきの思い出ばかりは 
  せんなくて
      ──萩原朔太郎「こころ」より

 
  雨のそぼ降る岩陰に 
  いつも小さく咲いている
  花はきっと 切なかろう
  色も霞んだ雨の中 薄桃色の花びらを
  愛でてくれる手もなくて
  
  心を何にたとえよう 花のようなこの心
  心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを
      ──宮崎吾朗「テルーの歌」より

 雨だれのように、心を打つ。この美しい詞が、谷山浩子の旋律を得て、手蔦葵の声で唄われるのだ。「ゲド戦記」の公式サイトで、1コーラス聴くことができる。テレビCMよりもじっくり聴けるので、心が乾いたときにでも、ぜひ聴いて欲しい。

 実は宮崎吾朗監督の父上には、若い頃に、精神的自立を助けてもらった恩がある。「風の谷のナウシカ」が公開された当時、私はちょうど自爆的失恋をしたばかりであった。映画鑑賞が趣味だった私は、次の恋が見つかるまでは映画も当分お預けか・・・なんて悲嘆していた。情けないことに、それまでただの一度も独りで映画を観に行ったことがない。映画は誰かと一緒に観るのが当たり前。独りで観に行くことなど想像もできなかった。観たかった映画を何本か見送ったある日、職場で「風の谷のナウシカ」の鑑賞券を入手した。アニメなんて、と最初は思った。でも、ぽかんとした心でチケットを見つめているうちに、脱皮できるような気がした。アニメだったからこそ、気軽に観に行けるような気がしたのかもしれない。
 仕事帰りに、有楽町マリオンに寄った。最終上映─確か18:30くらいに始まったはずだが、春休みか夏休み中だったのだろう、館内は親子連れで結構賑わっていた。
 感動した。軽い気持ちで観に訪れたことを恥じなければならないくらい、感動した。ダンゴムシを巨大にしたようなオームの魅力。映画が終わってからもしばらくの間、余韻に縛られて動けずにいた。ハンカチで涙を拭っている私を見た小学生男児が、横にいる母親に報告していた。
「おかあさん、あのおねえさん、泣いてるよ」
「いいの。見なくていいの。前向いてなさい」
 そうだ、私は泣いていた。独りぼっちで初めて観たアニメ映画と、独りぼっちでも映画に感動できる自分に感動して泣いていた。だから「風の谷のナウシカ」は、甘ちゃんだった私から依頼心を吹き飛ばし、独りで行動する楽しさを教えてくれた、記念すべき作品なのだ。
 それを手がけた宮崎駿監督の息子が、もう監督として一人立ちするなんて。月日の経つのは早いものである。考えてみたら、自分もいやになるくらい変化していた。独りでは映画も観に行けない「おねえさん」だったのに、今や二人の子ども連れ。宮崎二世の作品に泣かされている。
「ゲド戦記」には、私の大好きな龍も登場する。その顔が、どことなくうちのかわいいメス猫に似ているように感じたのは、期待薄の心で足を運んだ無礼を詫びる気持ちが働いたからかもしれない。
 宮崎吾朗監督は、近い将来、必ず父上のライバルとなる。あんなに美しい詞が書ける人なのだ。今はアレン君に会えた歓びに浸っているだけの能天気な娘だが、自分の脆さに身動きできなくなる日が来ないとも限らない。そんなとき、宮崎吾朗監督なら、きっと娘を助けてくれると信じている。
 スクリーンいっぱいに、処方箋を描いてくれると──。
  

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by vitaminminc | 2006-08-27 15:46 | 趣味 | Comments(0)