大人という抜殻

    夢見たもの ひとつずつ箱にしまって
    いつか僕も 大人という抜けがらになる

 コブクロの「願いの詩」という曲の一節。私の大好きな歌だ。
 私的解釈をさせていただくと、前半の主人公は、かつて少年だった自分。彼は、自分がいつか‘大人という抜殻’になることを知っている。
 そして後半の主人公は、少年の頃の自分に対し暮雲春樹にも似た思いを寄せる今の自分へとすり替わる。
 大人になった彼の‘願い’には力がこもっていて、とても抜殻とは思えない。強さと切なさに彩られた願いが、夏の残照を浴びながら、くぐりながら、心地よく耳に入ってくる。それはいつのまにか自分の願いとなって、心臓にも響いてくる。
 過去の自分と現在の自分。この歌を聴くと、子どもだった頃の自分がこんなにも憧憬の対象となり得るってことにまず驚かされる。懐かしむというより渇望に近い気持ち。これは、私だけに起こる現象なんだろうか?

 今朝は、BGMにこの曲を繰り返し流しながら車を運転した。信号待ちをしていると、たくさんの小学生が歩道を歩いてくるのが見えた。
 高学年の班長のすぐ後ろには、一年生の男の子。遅れないように一生懸命歩いている。両腕でクッションのようなものを大事そうに抱きかかえながら。
 ほかの学年の子たちが、ランドセルに体操着袋をぶら下げているのを見て、男の子が抱きかかえているものの正体がわかった。そうか、今日は月曜日だものね。
 体操着袋を抱きかかえて歩いている。なんてかわいいんだろう。それだけで涙腺が緩んだ。

 アパートでの仮住まい生活も2ヵ月が経過した。このわずか60日間余りのムスコの成長ぶりたるや凄かった。越して間もなく、確かによく食べるようにはなった。学校から帰ると夕飯前と夕飯後にも‘軽食’をとるようになった。
 乳歯が2本も抜け(うち1本は「コレ邪魔だ、イテテイテテ」と言いながら自分で引っこ抜いた)、去年はブカブカだった上着の袖が短くなり、買ったばかりのズボンの裾からはひと月も経たないうちにくるぶしがはみ出てしまった。
 おまけに視力まで近視の大人並みに悪くなり、急遽メガネをあつらえる始末(級友からは「メガネかけた方が頭良さそうに見える」と褒められたらしい)。近眼はともかく、心身の成長が眩しくてたまらない。伸び放題の手足に学力が便乗してくれるとなおよいのだけど。

 しかし! 大人とは、本当に‘抜殻’のようなものなのか? そんなことはない。「願いの詩」は、「違う」と気づかせてくれる。答えはくれないけれど、「違うんじゃないか?」と気づかせてくれる。

 見えない殻を捨てられたとき、本当の大人になれるのかもしれない。子どもの成長に目を細めながら、私は今そんなふうに思っている。
 
 殻から抜け出た大人のココロは、案外子ども以上に自由・・・かもしれない。
 
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by vitaminminc | 2008-02-25 20:52 | 人間 | Comments(0)
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