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アニはからんや

 携帯が鳴った。
 兄からだった。
 以前ブログに書いたように、兄はたった一人の妹にも滅多に電話をかけてこない。私を嫌っているわけではなく、寡黙なだけだ。
 兄が語る話には、尾鰭がつくことなどあり得ない。時には身までそぎ落とし、魚の骨格だけしか語らないので、兄の言葉を日本語として理解するには、聴力と想像力が必要不可欠だ。
「それはつまりコレコレこういうことですね?」
 推理力を駆使して話の内容に肉付けし、こちらが尾鰭をつけて復唱し、確認する。すると妙な間をおいてから、兄が「あぁ」とつまらなそうに言う。嘆息ではない。肯定を意味する‘言葉’である。
 そんな兄がこれまで寄越した数少ない連絡は、8割が訃報関係。果たして今回の内容やいかに?

「もしもし?オレだけど」
「はい、こんばんは」
「7回忌だけど」
「(やっぱりそうきたか)もうそんな? 早いねぇ」
「土曜日だけど」
「命日?(カレンダーを見る)ホントだ、土曜日だね!」
「いいかな?」
「いいよ。6月28日にお父さんの7回忌法要ね? 土曜でちょうど良かったね!」
「呼ぶからさ」
「親戚のおじさんたち?」
「(オレから連絡を)入れておく」
「ありがとう」
「あとの(会席場所)も(オレが予約を)入れておくから」
「よろしくお願いします~」

 仏事メッセンジャーの兄は、特別暗いわけではない。銀行マン特有の堅さはあるが、時々大真面目に面白い側面を見せてくれる。

 数年前のバレンタインデー直前のある日。それまで兄へのチョコレートは毎年欠かしたことがなかったが、その年はすっかり忘れていた。今更もう間に合わない。観念した私は、携帯で「●」の記号を兄の年齢の数だけ入力し、『ハイ、マーブルチョコだよ。年の数だけ贈るから食べてね』というメッセージ添えて2月14日にメールした。
 兄から返事はなかった。日頃から何を考えているかわからないところのある兄だが、この時ばかりはムッとされたような気がしてハラハラした。やはり冗談が通じなかったかと後悔した。

『クッキーを年の数だけ送る。食べ過ぎるなよ』
 兄から「◎」の記号がズラズラ並んだメールが届いたのは、3月14日だった。食べ過ぎを心配されるほど年を取ってて悪かったね。一ヵ月間も無言で通したのは、単に無口なだけなのか?それとも兄の‘作戦’か? たぶん後者だ。苦笑した。

 また、今年の正月の帰省中。兄と私と私のムスメの3人でイトーヨーカドーに出かけた。屋内駐車場で車をおり、兄を先頭に、私とムスメが「店内入口」を目指して歩いていると、突然兄が、意外な扉を開けて一歩中に踏み入った。ダクトがひしめき合っていた。
 兄は一歩退いて、何事もなかったかのように鉄の扉を閉めた。
「冷暖房配管室・・・」ムスメが扉の文字を読み上げた。
「関係者以外立ち入り禁止」畳み掛けるように、私がその下の文字を読み上げる。
「軽いジョークだ」
 クールに言い捨てる兄の頬は、うっすらと赤かった。本気で間違えたのがバレバレである。

 兄の意外な一面については、忘れることのできない強烈な記憶がある。私が小学校3、4年。兄が5、6年の頃のこと。
 夕方。辺りはまだ明るかった。家のブロック塀に寄りかかりながら、近所の友だちと3人でくだらないおしゃべりを楽しんでいた。兄が茶の間でテレビを見ている様子が窓から見えた。
「みんちゃんのお兄ちゃん、いつも何の番組見てるの?」
「さぁ~、わかんない。この時間だと何やってるんだっけ?」
 どうせ『ルパン3世』か『あしたのジョー』か『タイガーマスク』だろう。少年アニメを見ているに違いないのに、兄はなぜかシリアスな顔をしていた。眉に力を入れ、深刻な表情で画面に見入る兄。我が兄ながら、なんと知的な顔だろう。誇らしかった。
 と、私がちょっと目を離した隙に、友だちが2人が爆笑し出した。笑いすぎて言葉が出ないらしい。兄を指差し身体を「く」の字に曲げて笑い崩れている。
 窓の向こうの兄は、目元に相変わらず哲学者のような苦悩を浮かべたまま、思い切り鼻をほじっていた。もはや無我の境地である。外の喧騒も耳に入らないらしい。
「ま、まだほじくってる・・・」
「長い・・・」
 2人の友だちは涙を流しながら塀の向こうの兄を見学している。
 ぅあぁぁぁ・・・やめてぇぇ・・・一刻も早くその指を抜いてくれぇ・・・妹は笑いの発作を抑えながら、必死に兄を弁護する言葉を探したが、見つからなかった。友だちと別れて家に戻り、鼻をほじっているのをみんなに笑われたではないかと文句を言った。
 兄は「何のこと?」という顔で私を見た。意外な一面は、あにはからんや、兄本人にとっても意識の外だったらしい。兄はコバエでも払うように耳をかいて、「あ~耳が痒い。略してミカちゃん」とヌカした。
 この「ミカちゃん」発言は、これより30年後に、兄自身の息子と娘に知られる運命となる。入れ知恵したのはもちろん叔母。決して話に尾鰭をつけたりしない、寡黙な叔母ちゃんである。

 余談だが、現在バレンタインデーのやりとりは、寡黙な兄妹間の暗黙の了解のうちに省略されている。
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by vitaminminc | 2008-03-09 19:04 | 笑い | Comments(0)