お茶歌詞♪

b0080718_1533067.jpg 歌の歌詞の中には、よく「  」(または“  ”)付きで、台詞が出てくるものがある。歌詞なんて始めから終わりまでが長い台詞、心の叫びのようなもの。そうした台詞の中に、別の台詞(別の人格)を盛り込み、ドラマ性を持たせたりしている。

 私はこの「  」書きの台詞の中にこそ、実は曲を作った人の本当の人格が凝縮されているんではないかとにらんでいる。一見、作り手の経験が引っ張ってきた、愛しこそすれ憎めないかつての恋人を彷彿させもするが、その台詞には、たっぷり「理想」込められているのだと確信している。
 なぜなら、「  」の台詞だけを抜き出してみると、唄っている当人のイメージと見事に重なるからである。

 それでは、問題。
 次の「  」の台詞は、誰が作った曲の中に出てくるでしょうか? わかりやすいように、作詞・作曲・ヴォーカルが同一人物の曲だけを抜粋してあります。

  ①「恋人がいるの。どうしよう。」
  ②「たとえどんなきつく抱いたって ひとつになどなれないよ なれないの」
  ③「おまえの出番だ It's showtime」
  ④「あなたのことを深く愛せるかしら」
  ⑤「何とか上手く答えなくちゃ」
  ⑥「あのうただけは ほかの誰にも うたわないでね ただそれだけ」

  A.鬼束ちひろ
  B.スピッツ(草野正宗)
  C.布袋寅泰
  D.槇原敬之
  E.19
  F.小田和正(オフ・コース)

あれ? 難しかったですか?

 <答> 
  ①=槇原敬之~「僕のものになればいいのに」
  ②=19~「すべてへ」
  ③=布袋寅泰~「CIRCUS」
  ④=スピッツ~「冷たい頬」
  ⑤=鬼束ちひろ~「infection」
  ⑥=小田和正~「秋の気配」
   
 ③と⑤の台詞は、布袋寅泰と鬼束ちひろが、自分自身に呼びかけている、または自身のつぶやきのカタチで出てきます。ほかはすべて、“異性”の口を借りて語らせています。⑥の小田和正なんかは、まさに理想の頂点というべき台詞を言わせちゃってますね。実話の引用だとしたら、忘れがたい名台詞だったにちがいありません。
 どうです? こうやってよーく見てみると、どの台詞も、本人が理想とする自分を最確認するための言葉──“心の象徴”であるような気がしてまいります。(←私だけか?)
 おっと、そうなるとマッキーの台詞は・・・どうも槇原敬之だけは、自分を女性に見立てているようです。

──こんなふうに御託を並べながら、手持ちのCDの歌詞カードを眺めてみるのも、秋にふさわしい過ごし方かもしれない。(←どこがじゃ)
by vitaminminc | 2006-09-29 16:25 | 人間 | Comments(0)

運転免許証更新

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 県の公安委員会より「運転免許証の更新のお知らせ」が届いた。
 「え”~!!」
 半開きの目が情けない免許証が交付されてから、もう5年が経とうとは。
 <いつ更新に行くんだっけ?>ふと気になって免許証を確認し、
 <なんだ、まだあと2年も先だった>と安心したのが、ついこのあいだのことのような気がする。心感時間の、なんといい加減なことだろう。

 警視庁のホームページを見たら、『19年1月4日から運転免許証にICチップが導入される』という知らせが目に入った。免許証の偽変造防止のためである。手続きには、4桁の暗証番号が‘2組’必要とあった。会社のPCの暗証番号だって時々忘れる私である。2組も、どうやって覚えよう。‘暗礁’番号にならなけりゃいいけど。
 そもそも私の免許更新期限は12月中ではないか。あとほんの少しのところで、導入前の更新となってしまう。更新したばかりの免許証を持って、再び警察署へ出向かなければならないのだろうか?

 それにしても、免許証の写真というのは、なぜああも写りが悪いのか。よく、人相が悪く写るなんていうけれど、私の場合は思い切り「情けない顔」に撮れる。毎回更新に行くまでは、現行の免許証の写真があまりにもブサイクなので、<今度こそ>なんて思ってはみるが、そのうちどんなに写りが悪くても、まだ前回の方がマシと思うようになるだろう。5年という歳月は、‘面許’には長すぎる。

 5年にたった1度のことなのに、なんだかずいぶん億劫な気がする。5歳も齢をとった──このことを認めたくないからかもしれない。
by vitaminminc | 2006-09-28 14:10 | 人間 | Comments(0)

声を超えて

 今日、仕事で受けた電話の相手は、弦を細かく爪弾くように、振り絞るように発声していた。
 以前、私は同様の電話を受けて、大変苦い思いをしたことがある。相手が何を言っているのか、どうしても聞き取れなかった。申し訳ない思いでいっぱいになりながら、お話の内容を手紙かFAXで送ってくださるようお願いして電話を切った。

 声帯を失った人の声がどのようなものであるかを知ったのは、今から15年前。当時勤めていた会社に1人の女性が中途入社してきた。まもなく彼女は他の先輩女子社員たちから村八分にされ、みんなと一緒に会議室でお弁当を食べることもなくなり、常に1人でポツンといるようになった。
 会社員史上最も気が合った上司に、「彼女どうしちゃったんでしょうね?」と聞いてみたら、
 「なんか変わり者らしいよ」としか教えてくれなかった。私も彼女と同じく中途採用組だったので、放っておくこともできなくなった。そこで、ある日会議室へは行かずに、自分よりも年上のその女性に声をかけて、彼女のデスクの横で一緒にお弁当を食べることにした。
 「あなたはいい人ね」と彼女は言った。「もっといろいろお話がしたいのだけど、よかったら今日会社の帰りに散歩でもしない?」
 妙な気はしたものの、付き合うことにした。
 大きな間違いだった。彼女は上野公園を歩き出して間もなく、憑りつかれたように、ある宗教に関して熱弁をふるい始めた。目は完全にあさっての方にイッちゃってるし、首に青筋までたてて、いかにその‘教え’が素晴らしいものであるかを力説し続けた。何とか逃れる術はないものかと目を泳がせていたら、公園の生垣のそばで、バサバサという大きな羽音がする。
 「何だろう?」と近づいてみると、1羽の鳩が、コンクリートの地面でもがいていた。通りかかった会社員が鳩を手に取り、「怪我でもしてるのかな」と羽の中に息を吹きかけ、地肌を丹念に調べたが、傷らしい傷は見つからない。
 「まだ若そうだから、巣立つ前にカラスにでも襲われて、巣から落ちたのかもしれないね」
 そう言うと、鳩を元の位置に置いてサッサと去ってしまった。キョトンと佇む私に、狂信者と化した彼女が、再び宗教話を始めた時だ。今度は私の背後に人の気配がして、
 「保護してやらないとダメだ」
 と割って入るように言う。人の声ではない。
 思わず振り返って、声の主をまじまじと見た。老人は、慣れた様子で淡々と説明した。
 「驚かせてすまないね。喉頭癌で声帯を取ったから。これでも訓練して、だいぶ話せるようになった」
 「そうでしたか・・・」
 老人の声は、それまで私が耳にしたどんな声とも違っていた。首の皮を震わせながら、老人は鳩を指差した。
 「この鳩。このままじゃ、猫にやられてしまう」
 リハビリを重ねて、ようやく発声できるようになった老人の声が、そう言う。横にいた彼女のことなど眼中にないというように、老人は私に向かって、もう一度言った。
 「保護してやらないと」
 鳩を抱き上げるしかなかった。
 「どうするの?」と狂信者が私に聞いた。「まさか、連れて帰るの?」
 「こっちに確か動物病院があったはず・・・」
 早足で歩き始めた私が、やがて「本日休診」という看板を見て落胆すると、狂信者は突然‘急用’を思い出したと言って逃げるように帰ってしまった。私はむしろホッとした。動物病院に向かう間もずっと‘教え’についてまくしたてられていて、いい加減頭にきていたからだ。しゃべり続ける彼女の声は、明瞭でありながら、私にはちっとも理解できなかった。
 翌日、上司が私に言った。
 「昨日一緒に帰ったみたいだけど、大丈夫だった?」
 「冗談じゃないですよ、ご存じだったんですか?」
 宗教の勧誘はされるし、鳩を連れ帰ってダンナには叱られるし。顛末を話すと、上司は「人がいいからなぁ」とクックと笑った。

 あの老人。私には、どことなく異界の人のように思えてならなかった。
 「これも運命だから」と私に言った。有無を言わさぬ力があった。横にいたもう1人のことは見もしないで、真っ直ぐ私の目を射抜いて、そう言った。
 鳩はそれから約5年の間、死ぬまで私の元で暮らした。「矢ガモ事件」の被害鴨の手術をして有名になった板橋の獣医にも診せにいったが、空を飛べるようにはならなかった。何らかの理由で巣から落ち、脱臼していたとはしらなかったので、診せにいったときにはすっかり筋肉が固まって、手の施しようがなかった。「一生飛べない鳥」と診断された鳩は凶暴で、常に私の手をつついた。それでも人間用のフェイスブラシで羽根を梳かしてあげると気持ちよさそうに目を閉じ、かわいい睫毛を見せてくれた。洗面器で水浴びするのも大好きだった。

 鳩を私に託した老人と同じ声が、受話器の向こうで必死に言葉を伝えようとしている。相手を傷つけないように、私も必死に言葉を選び、2回、3回と繰り返し発声していただいた。復唱する私の言葉に対し、「そうだ」「ちがう」と返す3文字すら判別できない。渾身の集中力で耳を傾ける。
 突然、理解できた。「──、ですね?」弾んだ声で私が問う。
 《《ハイ》》
 と短く、でも丁寧に返してくれた。その時の声は、弦の爪弾きから、止まる寸前の、ゆっくりしたオルゴールの響きに変わっていた。お互い顔は見えなかったけれど、きっと相手も私と同じように、ホッとした笑みを浮かべていたに違いない。

──人が声を失う辛さは、どんなものだろう。
 15年も前の出来事なのに、こんなにも鮮明に思い出す。上野公園で耳にした、「声」──相手の気持ちを無視した勧誘、地面でもがく鳩の羽音、声帯を失った老人の言葉。
 信仰など持たない私だけれど、あらゆるシーンが私にとっては‘教え’だ。今日、聞き取ることができた「声」は、地面でもがく羽音ではない。鳥が空に飛び立つ時の、力強い羽音だった。
 
by vitaminminc | 2006-09-27 23:40 | Comments(0)

子どもに、カエル

b0080718_14484997.jpg 学校から帰ってきた息子(小学校3年生)が、ランドセルを下ろしながら私に言った。
 「今日ピエロ公園でみんなと遊ぶ約束したんだけど、行ってもいい?」
 「いいよ。またカエル競走?」
 「うん! たぶん」
 「面白い?」
 「すっごく面白い!」
 先日、同じ公園に遊びに行った息子は、カエルを捕まえて遊んだ。公園の隣にある草原や、すぐ脇を流れる小さな川べりに、アマガエルはいくらでもいるという。捕まえたカエルをピエロの頭のてっぺん(滑り台の上)から放し、誰のカエルが一番にゴールするかを競うのだ。
 そうこうしているうちに電話が鳴って、息子が出た。公園の近くに住む友達からだった。
 「早く来いよ、みんな待ってんだぜ!」
 息子はその友だちの口真似をすると、嬉しそうに出かけていった。
 
 小学3年生から高学年にかけての学童期は、心理学用語では「ギャングエイジ」と呼ばれる。仲間意識が急速に芽生え、大人の干渉を嫌い、閉鎖的小集団をつくって行動を共にする。自分たちの知り得る情報を提供し合い、自分たちで様々なルールをつくる。
 ギャングなどというと聞こえが悪いが、その集団が健全でさえあるならば、これ以上素晴らしいものはない。ここで学んだ社会性や協調性、さらには自立心や競争心などは、社会生活を営んでいく上で、重要な基盤となる。そして、思春期から始まる「自分探し」の心の旅には、欠かすことのできない必須アイテム(精神的旅支度)であると私は考える。
 だからこそ、この時期に負のパワーを与えられることに関しては、ことのほか敏感でありたい。聞くところによれば、まだ小学3年生の身でありながら、悪い仲間に脅されそそのかされて、万引を強要される児童もいるという。心が痛む。

 5時の鐘が鳴った。間もなく、息子が帰ってきた。
 「こないだよりいっぱいいたよ!」と満足げだ。「いっぺんに5匹くらい捕まえて、一気に5レースやった!」
 「そんなにたくさん持ってられるの?」
 「小さくてかわいいからネ」
 息子は、自分の腹にフワッと左手をあてがって見せた。息子の腹と片手のひらとの空間で暴れるアマガエル。想像したら、自分のてのひらまでくすぐったくなった。
 「Nくんなんかヒキガエル捕まえてんの。こんのくらい大きいやつ! でもそれ、ちっとも跳ばないんだよね。体が重いのかな、ビリっけつ♪」

 悪びれもせず万引の手引きをする子に、聞いてみたい。
 「キミは本当は、どっちがやりたい?」
 友だちに万引をさせている間、トイレでじっと待って、泣きそうな顔で友達が差し出す戦利品を巻き上げるのと、
 草っ原を駆け回って、小さなカエルを捕まえて、みんなでカエル跳びレースを観戦するのと。
 「ねぇ、どっちが楽しいと思う?」
 コドモに返ろうよ。
 ‘楽’になろうよ。
by vitaminminc | 2006-09-26 14:48 | 子ども | Comments(2)

ニャン好み♪

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    ちょっとした、驚き──猫も、音楽を聴く。






 先日土曜の昼下がり、キッチンで音楽を流しながら洗い物をしていたら、娘が嬉しそうに叫んだ。
 「見て~! 音楽聴いてる!」
 振り向くと、床に置いたCDラジカセに顔を預けて、猫がすっかりくつろいでいた。洗い物をしている時は、水道水の流れる音で音楽がよく聞こえない。そのため、ヴォリュームを大きめにしてかけている。それにも関わらず、間近に耳を寄せて寝そべっているのだった。人より聴覚の優れた猫のこと、相当なヴォリュームで脳髄に響いていたことだろう(←骨伝導)。
 さらに不思議なことには、その曲が終わって次の曲に移るやいなや、猫はすっくと立ち上がり、逃げるように廊下に走り出ていった。

 彼(♂猫2歳)が聴き入っていたのは、桃乃未琴の「空」という1曲。やかましいほどではないが、決して静かな曲でもない。アップテンポではなく、ちょっと独特のリズムを刻む。猫の鼓動に合ったのだろうか。

 「空」が収録されているアルバム名は、実に【処方箋】──おぃおぃ・・・妹分(♀猫1歳)の相手をするのに、疲れてしまったのかぃ?
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by vitaminminc | 2006-09-25 08:24 | 趣味 | Comments(0)

dёbut

 娘がデビューした。
 月1回の《ドブそうじ》に、華々しくデビューした。今月はダンナの出張と私の日曜出勤とが重なり、娘に頼むしかなかったのである。
 開始時刻は《8:00》のはずなのだが、近隣の皆さまは朝の目覚めが早い。本日は7:30にドラ(←ドブの蓋を上げる鉄板の音)が鳴り響いた。
 「早いしィ・・・」と眠い目をこすりながら、娘と二人で外へ出た。
 「おはようございます、本日は娘を代理に出しますので、どうぞよろしくお願いします」
 一瞬怪訝そうな顔をされたように思った。まだ中学生の娘では戦力にならんと判断されたのだろうか?
 「腰に力を入れて、おじさんたちのやり方をよく見て──」
 私はデッキブラシを握り締めた娘に言った。
 数年前に体調を崩してドブ掃除要員から引退しているおじいさんなどは、娘のデビューをことのほか歓び、娘の頭を撫で撫で大歓迎してくれた。娘はそのおじいさんの庭の、柿の木の剪定を手伝ったことがある。
 「いいんだいいんだ、ドブ掃除は力でやるもんじゃなし・・・」
 いや、側溝に溜まったヘドロをかき出すには、結構力が要る。お年寄りに大変友好的な性質の娘は素直に受け取ってにこやかにデッキブラシを動かしていた。ちゃんと力を入れろや。

 実家に下水道が完備される前に、たった一度だけ、兄がドブ掃除要員に駆り出されたことがある。その時兄は中学3年か高校1年。父に頼まれて「イヤ」と言えずに引き受けたものの、妹の前でさんざんぼやいていた。
 「な~んでこのオレがドブ掃除をしなくちゃならないんだ?」
 今の私なら、「このオレがダメなら、‘あのオレか’‘そのオレ’に頼めばいいじゃないか」くらい突っ込んでいるだろうが、当時の私はひたすら笑っていた。ザマアミロと思っていたのだ。
 私の両親は、男女平等には手伝いをさせなかった。娘には女仕事(家事)を言いつけ、兄には男仕事(力仕事)を言いつける教育方針だった。日頃、圧倒的に私の方が手伝いをさせられる割合が多かったので、兄がドブ掃除をさせられるというニュースほど喜ばしい話はなかった。
 しかし兄は、「ドブ掃除をやってしまうオレ」がまんざらでもなかったようだ。自虐的になりながらも、自分の身にふりかかった悲劇を妹以外の友人にも語ったに違いない。
 
 その時の兄に比べたら、娘のなんと健気なことか。なにしろ私は「男女平等」の教育方針なので、娘だろうがドブ掃除を言いつけてしまうのである。近隣のおじいさんたちに可愛がられながら、娘は無事にドブ掃除を終え──あ!!──今しがた、外に出ていた娘が戻ってきた。なんと、柿の木の家のおじいさんが、娘のドブ掃除姿を何枚も写真におさめてくれていた。それを早々と焼いて、娘に手渡してくださったという。
 黒のジャージ(←おNew)を穿き、ピンクの軍手をはめてデッキブラシを持つ娘。軍手をはめた片手でピースサインを出している娘。眠かったのか、思い切り目をつぶって写っている娘。軍手を外して両手でピースをつくり、にっこり微笑んでいる娘・・・などなど。全部で6枚も撮っていただいていたとは!
 
 余談になるが、「娘を代理に出します・・・」と挨拶した時、一瞬怪訝そうな顔をされた謎については、その後すぐに解けた。娘が云々ではなく、私が原因だった。寝癖でボサボサの髪は仕方ないとして、チュニックブラウスを思い切り裏返しに着ていたのだ。出勤前に気がついて、よかった、よかった。
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by vitaminminc | 2006-09-24 16:21 | 子ども | Comments(0)

背中

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先週息子の運動会で、前方に立ち塞がって視界を塞いだ背中に腹を立てたせいだろうか。過去に、まったく違う「背中」をまったく違う気持ちで見つめていたことを、突然を思い出した。
 その背中は、映画館の薄暗がりの中にあった。私は中学生で、地元の名画座に洋画の2本立てを観にきていた。映画は共にフランコ・ゼフィレッリ監督のイタリア映画「ロミオとジュリエット」(68年)と「ブラザー・サン、シスター・ムーン」(72年)。
 オリビア・ハッセー主演の「ロミオとジュリエット」の方が知名度が高かったので、こちらの上映が終わると席を立つ人も多かった。実は私も「ロミオとジュリエット」目当てに来たのだが、映画が大好きだったので、帰る理由などない。何の情報も持たぬまま、2本目の「ブラザー・サン、シスター・ムーン」に見入った。
 舞台は13世紀のイタリア。アッシジの裕福な織物商人の息子フランチェスコ(グラハム・フォークナー)は、十字軍の遠征で心身共に傷つき、半死半生の状態で帰還した。熱にうなされ、回想の海を漂った果てに、彼は自分の歩むべき道を悟る。映画は、フランチェスコ会の創立者・聖フランチェスコの生い立ちから、1210年にローマでインノケンティウス3世(ローマ教皇)に認められるまでを描いていた。
 それは、私がそれまで観てきた中で、最も清らかな作品だった。湧き水のようにコンコンと涙が溢れ出た。クリーニングしたばかりの真っ白な心でふと前方に目をやると、自分と同じように手の甲で涙を拭っている人影が見えた。黒い学生用コートを着ている。学校帰りにそのまま立ち寄ったらしい男子高校生だった。
 その背中は映画の余韻に浸り切っているように見えた。席を立つ気はなさそうだ。全席入替制ではなかったので、もしかしたら、「ブラザー・サン、シスター・ムーン」から観始めたのかもしれない。1人で来るくらいだから、余程映画が好きなのだろう。親しみを感じると同時に畏敬の念のようなものも抱いた。
 小学校を卒業して以来、自分より年上の男性が泣いている姿を見たことなどなかった。泣いている背中を不思議な気持ちで見ていた。相手の顔がわからないのをいいことに、勝手にフランチェスコ役のグラハム・フォークナーの顔を当てはめて眺めていた。きれいな目から、きれいな涙が流れている。ずっとその背中を見つめていたかった。
 「ねぇ早くぅ、帰ろうよぉ、あ~、お尻痛い!」
 ブラザー・サン、シスター・ムーンを観ても涙一つ流さない、鉄の心を持った友達に促されて、私は仕方なく席を立った。後方の扉の前で、もう一度きれいな目をしているはずの高校生のお兄さんを振り返った。彼は前席の背もたれの上に突っ伏していた。おそらく、細く長いきれいな両手の指を組み、その上に白い額を押し付けているのだろう。感動を噛みしめているに違いない。
 <さようなら、高校聖フランチェスコ・・・>分厚い扉を閉めながら、清らかな背中に別れを告げ、私は俗世間に向かって歩き出した。
 しかし、14歳という年頃は、物事を際限なく美化するのが得意だ。映画館で目にした無垢な背中は、聖フランチェスコの背中となって、いつしか私を日曜日のテレビ協会へと導いていった。
 「主よ、わたしを赦し給え・・・」
 我々に代わって、レックス・ハンバード・テレビ牧師が神の赦しを乞う。まだ何の罪も犯していなかったはずの14歳の私は、その吹替えの台詞にさえ累々と涙を流した。ついには番組特製のワインの杯(小さな木製カップ)を申し込み、独り部屋にこもっては、杯に「血」であるグレープジュースを注ぎ、「肉」であるクラッカーを用意して、祈りを捧げた。
 微熱が引くように、いつしか私は普通の自分に戻っていた。なぜテレビ牧師の番組を見なくなったのかわからない。そこの記憶は霞んでしまい、どうしても思い出すことができない。飽きたわけではなかった。木製の小さな杯は、しばらく大切に保管していたのだから。
 当時私を突き動かしたものとは何だろう? あのむせび泣く「背中」の残像だ。映画で得た感動を、あの背中が後押していた。14歳の私にとっては、単純と純粋は「神」一重だったのだ。
 もしも「ブラザー・サン、シスター・ムーン」をもう一度観る機会があったとしたら、私はどうするだろう? 当時の感動を失いたくない気もする。もしかしたら鑑賞を拒否して、単純で純粋だった過去の自分を死守するかもしれない。

 あの高校聖フランチェスコの背中──今頃何処でどうしているだろう・・・。
 
by vitaminminc | 2006-09-23 16:32 | 人間 | Comments(2)

家庭科のセンセイ

 あれは娘が小学校高学年のクラス懇談会のときのこと。
 娘の担任は40代の男性教諭。
 「今の先生は、何でもできなくちゃならないんで大変なんですよ・・・」
 先生は苦笑し、こんなことをぼやいていた。「ミシン糸のかけ方もわからないので、家に帰ってから女房に教えてもらっているんです」
 ほかのお母さんたちは「ほほほ」なんて笑ったけれど、私は憮然としていた。先生に対しては同情と不安以外の何も感じなかったが、この怒りは何処へぶつければいい? 家庭科専門の教師をおいていないとは! そんなこと聞いてない。
 腹の中で内臓をグツグツいわせながら、自分が小学生の頃の家庭科の授業を思い出していた。先生の教え方は、それこそミシンの縫い目のようにきめ細やかだった。日頃裁縫とは縁遠い男の先生に、果たしてまともに家庭科を教えることができるのだろうか。心配になった。
 家に帰って娘に聞いてみたら、予想以上にひどいものらしい。笑い事では済まされない。なんでこんな大事なところで人員を削減したりするのか。義務教育にまわす金が足りないというのなら、それは国の税金の使い方が間違っているからにほかならない。先生方も気の毒だ。気の毒だが、そう決まってしまっているのなら、しっかり勉強して、基礎くらいはきちんと教えていただきたい。そう思っていた。

 その頃(5、6年)の弊害を裏づけする出来事が起きた。
 2日前。娘が珍しく私を頼らずに、自分の裁縫箱を開いた。そして体操着に、運動会用のゼッケンを縫いつけ始めた。去年は部活が忙しかったこともあって、私が縫い付けてあげていた。そうかそうか。今年は自分のことは自分でやることにしたか。感心感心。もっともここのところ私の仕事がハードで疲れ切っていたために、娘としては言い出しにくかったのかもしれない。よく気の回る性質で、場の空気が読める娘だ。ババアの殺気も予知していたのだろう。その晩は、娘の‘作品’を点検することもせずに、生欠伸を噛み噛み先に寝た。

 昨日。学校から帰った娘が、「付け直さなくちゃならなくなったぁ」と嘆く。ゼッケンの位置が「下すぎた」らしい。現物を目にして、力が抜けた。本当に、冷蔵庫にもたれかかってしまった。普通ゼッケンといったら胸のあたりに付けるもの。なのに娘が付けたゼッケンは、完全に下腹あたりに付いている。水天宮で売り出すつもりか。
 「いくらなんでもさぁ、腹巻じゃないんだから・・・」
 あとは言葉が続かなかった。手伝ってやりたくなったが、娘がまともなムスメになるためだと思い、グッとこらえて夕飯の支度に取りかかった。だけど、ちょっとだけアドバイス。
 「ゼッケンが曲がらないように、待ち針を使って固定させてから縫った方がいいョ」
 「待ち針? どうやって使うかわからない」 
 なんてこった! 待ち針の留め方も教わっていなかったとは! 
 「でももうだいぶ縫っちゃってるし、今から使っても意味がないからいいや♪」
 本当に、大丈夫なんだろうか。
 
 今朝。運動会当日だというのに、娘がなかなか2階から下りてこない。様子を見に行ったら、
 「すごく大変」と焦りながら、この期に及んでまたまた裁縫箱を広げている。「ほんの一部なんだけど、背中の方も一緒に縫い付けちゃってた!」
 笑ってしまった。
 「ママが縫ってあげるから、早く支度しなさい」
 娘の縫い目を見て愕然とした。縫い始めも縫い終わりも、糸留めが‘表’に出ていた。ここまでとは思わなかった。たとえミシン糸のかけ方以外何も教わらなかったとしても、センスでカバーできることだってある。資質に問題ありと見た。
 思えば私が初めて裁縫の真似事をしたのは、小学1年のとき。バービー人形の洋服を作った。2枚の端切れを縫い合わせて、どうにか頭と両手が出るようにした。原始時代だってこんなシロモノ身につけないゾというくらい、ボロボロでブカブカ。みすぼらしい出来だった。母親が裁縫しているのを見て、自分も針と糸を使ってみたいなんて思い立ったのだ。それから少しずつ腕を上げ、イッチョ前にボタンなんかも付いた人形服もこしらえるようになった。母(私)、当時7歳。
 しかし、娘にはこういった好奇心がまったく見られなかった。私が雑巾以外、滅多に縫いものをしなかったのがいけなかったのだろうか。もっと可愛い子供服なんかを、娘の前で楽しそうに縫っている姿を見せていたら、少しは違っていただろうか。アレ? でも娘が幼稚園に入る前には・・・。

 とりあえず、まともな位置にゼッケンが付いた。体操着姿で家を出ていく娘を見送りながら、母は決心した。中学校では、もう基礎から教わるなんてことはないだろう。ここはやはり、私が家庭科の家庭教師となって、基礎と‘センス’くらいは教え込まねば!

 子どもができて幼稚園に行くようになったら、手提げ袋やお弁当袋、体操着袋、ほかにもたくさんいろんなものを作ってあげるようになるんだよ。既製品を買うよりも、少しくらい下手でもね、自分の手で作ってあげたくなるものなんだよ。
 特にあなたは、絶対、そういう母親になる。
by vitaminminc | 2006-09-21 12:43 | Comments(2)

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←娘が小2のときに描いた
  運動会の「大玉転がし」



 

 昨日は息子の運動会だった。台風の影響が心配されたが、曇天もようの空の下、どうにか無地に終了。
 ところで、毎年運動会のたびに、必ず目が点になるような人々がいるのはなぜだ。理解に苦しむ。
 息子の小学校では、エスカレートする場所取りトラブルを回避するため、原則として場所取りは禁止している。特に前日からの場所取りはもちろん、当日の朝も7時の開門より前に校庭に入ることは禁じられている。にも関わらず、会場にぐるりと張り巡らされたロープに隣接するように、大きなレジャーシートが敷き並べられ、家族の居場所を確保している人たちのなんと多いことか。こういう人たちは、当然開門よりはるか前から校門前に並んでいたものと思われる。それはそれで、別にいい。自由にやってくれればいい。私が信じられないのは、そうやって確保したカブリつきの特等席で、【立って】見物する行為だ。後ろの見物人のことなど全く頭にない。それが私の目を点にする。
 種目によってカメラ位置も変わる。私はしょっちゅう息子の姿を追って移動する。だから今年も場所を確保しようなんて考えは頭をかすめもせず、ジプシー・スピリットで家を出た。
 そうしたら、いたのだ。はじめは斜め前方に、いかにも無神経そうな母ちゃんが、一人立っているだけだった。それだけでもいい加減邪魔で仕方なかったのに、その母ちゃんは後ろを振り返り、さらに大柄な母ちゃんを見つけて声をかけた。二人で仲良く座ってくれることを期待したが、類は友を呼ぶらしい。立ったまま見物する人間が、二人に増えてしまった。
 二人並んで一番前に立たれると、どういうことになるか。私が覗くビデオカメラでは、80メートル走の【半分からゴールした後】までが、見事に塗り壁のような背中に塗りつぶされてしまった。冗談じゃない。その二人以外は、みんな座ってカメラを構えている。それもそのはずだ。一番前の特等席を確保したのだから、前には何の障害物もない。つまり、立つ必要はないのである。にも関わらず、立っているのはなぜか。興奮しているからである。興奮のあまり、自分の子ども以外が走っても声援を送り、手を振り上げる。気持ちはわかる。わかるが迷惑だ。座ってやってくれ。
 後方でビデオを構え、小柄であるにも関わらず、誰かの邪魔になってはいまいかと時折後ろを振り返っては確認している自分が、なんだか虚しく思えてきた。
 同じことを感じている人は私のほかにもいて、「あぁ・・・!! 座ってくれないかなぁ」とぼやく声が横からも聞こえた。それでも私を含め、誰も注意しに行く者はいなかった。5時か? 6時か? 何時から並べばあんな絶好の場所を確保できるのだろう。そんなに入れ込んでいる人を敵に回すのは得策ではない。たとえこちらの言い分が正しくても、後味の悪い思いをすることになるだろう。みんなが同じ気持ちでいたかどうかはわからない。けれど、何らかの自己防衛本能が作動したかのように、みんなじっと我慢していた。
 するとどうだろう、さらに前方でまた一人、一番前に場所取りしている男が立ち上がったではないか。ビデオカメラをMAXズームしてその横顔を確認し、思わずのけぞった。このオタッキーな雰囲気のオヤジには、去年も同じ被害に遭っていたのだ。今年も見事に起立してくれた。・・・ということは、息子の学年が近づいているってことではないか。
 おかげで私のかわいい息子がスタートラインに立つ姿さえ撮れなくなってしまった。そもそも息子は何番目に走るのか? 予め息子に聞いたのだが、役に立たなかった。
 「それがなんと!」と息子は言った。「練習時間がなくて、80メートル走はただの1度も走る練習してないんだよ。当日じゃないとわかんない。けど、たぶん背の順だから、半分より後ろの方になるはずだよ」
 数年前から近隣への騒音公害を配慮して、やたらスピーカーの音を絞っている。現在何学年が走っているのかも聞き取れやしない。
 「なんだよ、いつのまにか学年が変わってるじゃないか」と、ゴールしてきた子たちのゼッケンを見て、慌ててカメラを構えるおとーさんもいた。
 私も顔を右に左に傾けながら、どうにか背の高さがガクンと変わったことから、学年の切り替わりを確認。走るのは一度に8人。4クラス2名ずつが並ぶ。背の高さからいって、少なくとも4番目以降に走るだろうと予測して、早めにビデオを回し始めた。スタートが見えず、10メートル~30メートルを走る姿と、ゴールが見えず、走り終えた姿が撮れただけだった。ひどい・・・。立っているバカもんたちを、モグラ叩きのように片っ端から叩いてやりたかった。
 早起きして場所を取るのは勝手だ。頑張ったのだから、一番いい席で見物できて当然だとは思う。でも、立たなくても見える場所にいながら立つことはないだろう。後方の視界を塞ぐ権利までは与えられていないはずだ。わかっていたら、普通はやれない。それを平気でやってのけるのだから、そういう人たちには何を言っても無駄だろう。
 しばらくして、一番最初に立っていた母ちゃんは、再び後ろを振り返り、別の一人を手招きした。手招きされた人は、私もよく知っているお母さんだった。けれどその人は頬を赤らめると、軽く首を横に振って辞退した。そして、別の‘住人’がいない空シート(場所だけ取っておいて、結局子どもを撮りに行ったまま無人のシートも多い)に靴を脱いでお邪魔すると、膝をついた低い姿勢で、何度も後ろを振り返り、誰かのカメラの妨げになってはいないかと気にしながら、自分の子どもが走ってくる姿だけを待ち構えていた。シャッターを切り終えると、低姿勢のままツツツ・・・と素早く後方に退却していった。自分の知っている人には、ちゃんと神経が通っていた。嬉しかった。
 塗り壁にはなりたくない。「チッ、なんだよ・・・」という舌打ちと共に、自分の背中が誰かのビデオの思い出の1シーンに、生涯障害物として残るのなんてごめんだ。
 あとで息子に聞いて、80メートル走は8人中6位だったと知った。でも、ママはおまえがスタートラインに並ぶ姿も、紙テープの消えたゴールに入ってくる姿も、しっかり撮っておきたかった。
 壁を倒すことができなかった。ゴメン。
 勇気の無さ──これが私にとって、本当の「壁」なのかもしれない。
by vitaminminc | 2006-09-18 14:57 | 人間 | Comments(0)

空飛ぶ私

 鳥になって、空から自分の家を見てみましょう。

 実は、友人からその方法を教わった。いつも検索サイトは「Google」を利用しているくせに、まったく知らずにいた。
 友人から届いたメールを見て、大いに焦った。私の家の住所を入力して拡大したら、「庭で変なババァが草むしりしている姿が映っていた」みたいなことを言っていたからだ。友人は、「冗談」だと付け加えていたし、そんなもんが確認できるようじゃ大問題だろうと頭ではわかっていた。それでもどうにも落ち着かない。早速自分でも確かめてみることにした。
 
 ①Googleのトップ画面にあるウェブメニューで「マップ」を選ぶ
 ②カーソルが点滅している箇所に、自分の家の住所を入力する
 ③表示された地図の右上にある「航空写真」を選択する
 ④画面左上にある目盛を「+」にすることで拡大される

 正しい番地を入力しても、3~4軒ズレて表示されるのはご愛嬌。それでも必ず自分の家をとらえることができる。自分の家の屋根なんか上から見たことはない。
 「おぉ!」とちょっとした感動と、
 「なんだ、思った以上に小さいな」という落胆とを同時に味わった。
 小さいとはいえ、確かにあるはずの庭が、撮影角度の関係で完全に見えなかった。最大限拡大してみても、ほかの家のだだっ広い庭に停めてある車がどうにか確認できる程度。つまり、わが家のような猫の額ほどの庭では、そこに停めた小さな軽自動車も、その横でボーボーに茂った草をむしる人の姿も、まったく確認できなかったってことだ。(ホッ)

 東京下町にある実家も見てみた。こちらは自分の住む町より、航空写真が鮮明でよく見えた。いつも犬を散歩させていた土手。9年間通った小学校に中学校。キュンとなる。
 空の上から生まれ育った町を眺めていたら、航空写真にかぶって「望郷」という2文字が浮かんで見えた。
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by vitaminminc | 2006-09-14 14:54 | 人間 | Comments(2)

日々の暮らしに「ん?」を発見