猫のヒゲ

 b0080718_22581735.jpg  二日ほど前のこと。居間に掃除機をかけていた息子が叫んだ。
 「大変だ! 猫のヒゲが落ちている!」
 何をバカなことをと相手にしないでいたら、
 「おい、大丈夫か?」などと飼っている猫を気遣い始めるではないか。
 「本当にヒゲなの?」
 「硬いもん、絶対ヒゲだよ」と、息子は断言し、私に‘ヒゲ’を見せた。本当だ。ヒゲとしか思えない。湾曲した白い毛は、ネコッ毛とは全然違って剛毛だった。長さからいっても、いかにも猫のヒゲなのだった。
 「やっぱり! みんみんのヒゲだ!」
 掃除機を放り出して、2匹いる猫のうち、巨大だがおとなしい雄猫を見ていた息子が叫んだ。「こっちのヒゲが、1本足りない!」
 
 猫にとってヒゲはセンサーであり、アンテナでもある。触毛と呼ばれるとおり、毛根には神経が集まっていて、ヒゲの先であらゆるものを感じ取る。そんな大事なものを1本失くして、大丈夫なのだろうか?
 心配になってネットであれこれ調べてみた。ヒゲは丈夫で、普通は折れたりしない。だが、一緒に飼っているもう1匹の猫に顔を舐められた猫のヒゲが数本折れたなんていう話を載せている人もいた。
 もう1匹の雌猫は、みんみんの半分くらいの大きさしかないのだが、野良出身でやたら気が強い。乱暴ギャルのくせに、そういえばよくみんみんの大きな顔を舐めていた。あれは、みんみんへの忠誠や愛情ではなく、単にヒゲを折っていたのだろうか。みんみんものん気なものだ。痛キモチよさそうに、いくらでも舐めさせていた。
 
 息子は、猫のヒゲを大事そうにしまい込んだ。自分の学校の名札の裏に入れたのである。お守り代わりにするらしい。ご利益があれば、そのうち息子は風向きを知るようになるだろう。それから障害物にぶつかることなく歩き、空気の振動から獲物の動きをキャッチするようになる。そして投網のように獲物を捕らえたら、それの体温もヒゲの先で感じ取るようになるのだ。
 
 さて、ヒゲをなくした猫はどうなったろう。ここのところ、怖いほど食欲が旺盛だ。正確にはいつヒゲを落としたのか定かではない。が、どうもヒゲを落とした時期と、異常なほど食欲が湧いてきた時期とが一致するような気がしてならない。おっとりして、身体が大きい割にはそれほど食い意地が張っていたわけでもなかったのに、最近キャットフードの袋を食い破った。こんな現象、これまで一度もなかった。
 猫のヒゲも、人間のように、また生えてくるだろうか。生えてくれなくては困る。ただでさえ巨体なのだ。トラになられても困る。
by vitaminminc | 2006-11-28 15:50 | 生きもの | Comments(0)

日本一受けさせたい授業

●「いじめ」を醸成する民主主義──西部 邁(評論家、秀明大学学頭)
いじめ撲滅にお題目は不要だ──向山 洋一(TOSS=教育技術法則化運動代表)
●もし、いじめ自殺したら・・・残された親の悲しみ考えさせる──東大阪市立長栄中学非常勤・山下教諭の授業
●「いじめは犯罪」教育主義排し、厳罰化を──中嶋博行(江戸川乱歩賞作家、弁護士)に聞く
●不就学、いじめ問題浮上──在日外国人会議 教育めぐり議論

 以上は、11月27日の産経新聞朝刊の見出し。
 社会面には、山形県立高畠高校で飛び降り自殺した同校2年の女子生徒の告別式に、中学・高校の友人ら300人が参列し、別れを惜しんでいる写真が掲載されている。女子生徒が所属していた高校の吹奏楽部のメンバー3人が「いじめに気づくことができずにごめんね」などと弔辞を述べ、発表会のために練習していた「亡き王女のためのパヴァーヌ」をクラリネットで追悼演奏したという。

 これらの記事を読んでいて、一番胸に響いたのは、大阪の先生の‘生きた’授業の様子を取材した記事だった。
 授業は、山下文夫教諭(63)が21年前から保健体育の時間に行っている「生と死の教育」の一環。定年後も非常勤で続けており、この日は、いじめによる自殺者が全国的に相次いでいるのを受けて、2年生の授業で緊急に取り上げた。タイトルは「もしあなたが自殺するようなことが起こったら・・・」。
 山下教諭は現実の自殺の例を紹介しながら、自ら命を絶った子供の気持ちや、残された親の悲しみを、プリントを使って冷静に考えさせた。
 「もし、君らが自殺したら、その後はどうなるんやろな」
 そう言って山下教諭が全員に1枚ずつ配ったプリントには、10問の設問が書いてあった。

 <山下教諭が作成した授業プリントの主な設問>
 ①病院や警察から電話を受けた親の気持ちは
 ②病院や警察に着くまでの親の気持ちは
 ③病院や警察に着いてあなたを確認したときの親の気持ちは
 ④自殺で亡くなってしまったあなたを前に家族が集まってきました。親があなたに対して言いたいことは
 ⑤あなたの親への返事は
 ⑥10年後、あなたの部屋、机、持ち物はどうなっているでしょうか?(勉強部屋のイラストを完成させる)
 ⑦きょうは成人式です。着物を着た同級生たちが訪問してくれました。そのときの親の気持ちは
 ⑧きょうの授業を通して感じたこと、気付いたことを書きなさい

 「うそや」「考えられへん」などと声を上げながらも真剣な表情で鉛筆を握り締める生徒たち。山下教諭は、生徒たちが想像しやすいように、時折話しかけた。
 「親はいつまでたっても自分を責める。なんで気付けへんかったんやと。今でも夕方になったら子供が帰ってくるような気がする。トントンと階段を上がっていくような気がする・・・」
 「親はそれだけ君らがいとおしんや。君ら一人一人がそうなんや。隣の席の子も、後ろの子も」
 「自殺した人はそれで終わりと思うけど、残された人はそこからずーっと悲しみが始まるんや。いじめる奴がおったら、学校さぼってええねん。自分の人生は君らのものだけやないんや」

 授業後に寄せた生徒たちの感想。
 「親を悲しませないために、どんなことがあっても死なないでおこうと思った」(男子)
 「死ぬのは自分もいややけど、親の方がつらいんだなって思った。嫌なことがあったら、相談した方がいい」(女子)
 「もし、自殺したら、親はこんなに悲しむと分かりました。親は本当に自分を大切にしてくれている」(女子)
 
 授業ではこのほか、いじめられたときに相手の目を見て「嫌だ」と声を出す練習や、「相談できる人」の名前を3人書かせる試みも行ったという。「嫌だ」と声を出す練習については、現実を前にしたら殆ど無意味だろうとは思う。だが、プリントの設問、それに取り組む生徒たちに話しかける先生の声に、私は本当に涙が出た。

 山下教諭の言葉「世間には、死ねば恨みを晴らせると簡単にハードルを越えてしまう子がいることも事実。命は自分だけのものではないのに、死というものを分かっていない。話を聞いてやるだけでも死ぬという選択肢は出てこなくなる。いじめはなくならないかもしれないが、減らすことはできると思う。」

 同じ社会面に、サントリー次世代研究所(大阪市)が行った「現代親子調査」の結果が載っていた。それによれば、“親と一緒にいて楽しい”と思う子供は、親の予想の2倍。
 「子供は親と一緒にいて楽しいと思っているか」を尋ねた親の回答をはるかに上回っていることが判明。
 同研究所はこの調査結果から、「親の自信のなさがうかがえる」と分析しているが、うちはどうかな? 「子供が自分と一緒にいて楽しいと思っているか」なんて、そもそも考えたこともなかった。気がつくといつもそばにいる。上の子も下の子も「一緒にお風呂に入ろう」と誘いにくる。子供の笑い声が、容易に蘇ってくる。幸せだなあと感じる。だからこそ、山下教諭のプリントを読んで涙が出た。想像しただけで、たまらなくなった。

 結局、人を傷つける行為というのは、「想像力の欠如」が発端なんじゃないかと思う。そして自殺してしまう子は、うんと心が傷ついて、もはや親の気持ちを想像する余裕すらなくなってしまったのだろう。
 減りはしても、いじめはなくならない。そう私も思う。けれど、山下教諭の授業を受けた生徒たちは、簡単には死ねなくなる。そう私は思った。
 成績よりも、まず心を引き上げる。これが真の教育ではないだろうか。私も大いに見習いたい。
 
by vitaminminc | 2006-11-27 10:03 | 子ども | Comments(6)

なんちゃってグラタン

 あれは忘れもしない、小学1年の、とある土曜の昼下がりのことだった。その日は午後から町内に山車が出ることになっていた。秋祭りの一環だったのかもしれない。
 山車というものにくっついて行くことを思いついた私は、早目に昼食を済ませたいと思っていた。なのにその日に限って、母は悠然と構えていた。家の中に父の姿が見えなかったことが影響していたようだ。
 「ねぇねぇ、早く作ってよぉ」
 急かす私をチラとも見ずに、母は裁縫箱を広げたまま、腰を上げようとはしなかった。
 「どうせ山車がこっちの方に回ってくるのは、2時を過ぎる頃でしょう」
 食事の時間にうるさい父がいないその貴重な半日を、母は自分のペースで過ごすことに決めているようだった。 
 そこで私は、近所に住む幼なじみから聞いた「グラタン」について、熱く語り始めた。
 「おかあさん、グラタンて知ってる?」
 「?」
 「フランスのたべものなんだって。○○ちゃんちがこないだ日本橋のデパートに行って、そこの食堂で食べたって言ってたよ。すっごくおいしかったって。お焦げのところが、すっごくおいしかったって言ってたよ。おかあさん作ってくれる?」
 「フランス料理?」
 「マカロニが入ってるの」
 「ふ~ん・・・」
 それから私は母が昼食を作っている間、庭に出てトカゲを探したり、茶の間の熱帯魚を見たりして過ごした。
 しばらくして、母が私を呼んだ。
 キッチンのテーブルに着いた私に、母は堂々と言ってのけた。
 「グラタンよ」
 目の前にデンと置かれた浅い両手鍋は、どう見ても前の晩に食べたすき焼きの残りだった。そしてその残り汁の中には、茹でたマカロニが、焦げ付くように寝そべっていたのである。
 「おかあさん、これグラタン?」
 母は私ににこっと笑いかけると、一点の曇りもない目でもう一度言った。
 「そう、グラタンよ」
 ○○ちゃんが言っていたグラタンは、確か白い色をしているはずであった。牛乳の味がするはずであった。でも、もしかしたらグラタンにもいろいろあるのかもしれない。私は無理矢理自分を納得させた。そして昨夜と同じ味がする‘グラタン’を鍋から直接食べると、急いで外へ飛び出した。
 「○○ちゃんも一緒に行くんでしょう?」と聞く母に、
 「違うよ、一人で行くんだよ」と答えた。
 そうだ。この日私はたった一人で山車に加わったのだ。ドキドキした。山車はゆっくりと町内を練り歩き、私が1人では行ったこともないような方角へ進んで行った。
 だんだん不安になってきた。帰れるのだろうか? 今まで来たこともないほど遠くまで来てしまった。少し大きくなってからわかったことだが、その山車は町会の所有物で、何年かに一度、町内をぐるりと回るようだった。幼い娘が1人で山車について行くというのを聞いても、母が心配しなかったのは、その山車が戻ってくる場所が、私の住む3丁目の稲荷神社だとわかっていたからなのだった。
 それでも、当時の私はそんなことは知る由もない。たぶん途中から人知れずにべそをかきかき歩いていたと思う。迷子になるとわかっていながら平気で送り出した母。一緒に行こうねと約束していたのに急に行けなくなった○○ちゃん。みんながみんなグルになっているような気がして恐ろしかった。
 そうなると、起きながら怖い夢を見ているようなものだ。妄想は際限なく膨らんでいく。
 「グラタンよ」と言って鍋を用意したときの母の笑顔。どことなく不自然だった。
 もう永遠に、家には帰れないと思った。しかし、どこをどう歩いたものか、現実は私をやさしく裏切った。山車はいつのまにか、見覚えのある商店街の中を進んでいた。私はスッと山車から抜けて、いもしない追っ手を振り切るように、一目散に家に向かって走った。
 「ただいま!」
 母が宇宙人と入れ替わっていてもいい。私が気づかないふりさえしていれば、きっと怖いまねはしない。そしていつか本当の母が戻ってくるに違いない。
 「結構時間がかかったわね」と母は言った。
 いつもの母に戻っているように思えた。
 「途中で迷子になったけど、わかるところまで来たから、1人で帰ってきた」
 「神社まで戻ってからうちに帰ればよかったのに。山車についてった子どもたちには、アイスキャンディーが配られることになっていたのよ」と母は笑った。
 そんなもの全然惜しくはなかった。玄関に足を踏み入れるまでの不安に比べたら、そんな溶けて消えるようなものなど、どうでもよかった。
 いつもどおりの母の様子を見て、少しでも宇宙人を疑った自分を恥じた。だから、
 「おかあさん、ホントはグラタン知らないんじゃないの?」という疑問は小さな胸にしまっておくことにした。
 今でも山車を見ると、なんだかカラーの怖い夢を見ているような錯覚に陥る。そして、生まれて初めて食べた‘グラタン’が、すき焼きの味だったという舌に残る記憶。私がすき焼きの、あのワザとらしい甘ったるい味があまり好きではないのは、これらの強烈な記憶によるのかもしれない。

 
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by vitaminminc | 2006-11-22 16:40 | 笑い | Comments(0)

 人の感情というものには、目に見える境界線はない。
 何かが突破口となって、チャンネルが切り替わるように激変するときもあれば、グラデーションを描くように、知らず知らずのうちに変わっている場合もある。

 あなたは今、人と待ち合わせをしている。あなたは約束の時間よりも5分ほど早く着いた。
 駅のターミナルに目をやる。相手の姿はまだ見えない。あなたは交差点で信号待ちをする人々をぼんやりと眺めている。信号が2回変わった。腕時計に目をやる。ぴったり、約束の時間になった。
 再び駅の方を見る。しばらくすると、人の群れが駅の階段を降りてくるのが見えた。電車が着いたらしい。しかしその群れの中に、相手の姿を確認することはできなかった。きっと次の電車だ。あなたは空を見上げ、ゆっくりと流れる雲を目で追う。こんなふうに空を仰いでいる自分の背中を、遅れてきた相手がポンと叩くに違いない。‘ごめん、ごめん’そんな声に振り向く自分を想像しながら、白い雲を追う。
 首が痛くなってきた。相手はまだ来ない。もう約束の時間はとっくに過ぎている。あなたはイライラと腕の時計に目を落とす。少なくとも、すでに電車3本分は遅れている。いったい何をやっているのだ。あなたは自分の表情が険しくなってきているのを感じる。何時と決めたら、その時間までに来るのが礼儀というものだろう。何分人を待たせれば気が済むのだ。
 30分を過ぎた時点で、あなたは公衆電話ボックスに駆け込む。携帯のない時代だ。受話器からは、無機質な呼び出し音が繰り返し聞こえてくるだけ。家は出ているようだ。こうなったら待つしかない。
 45分が経過した。もしかして待ち合わせ場所を間違えたりはしていないだろうか。そんなに時間にルーズな相手ではない。それを知っているだけに、あなたは自分を疑い出す。手帳を取り出し、日時と場所を確認する。間違いない。間違えるはずがない。あなたは立ち通しで疲れてきた。どこか適当な店にでも入って、窓からこの場所を見ていることにしようか。
 しかし、下手に動いてはまずい。相手はあなたが短気なことを知っている。遅れてきて、待ち合わせ場所にあなたがいないとわかったら、‘怒って帰った’と判断し、引き返しかねない。下手をすると待ち合わせ場所よりもずっと手前で、姿が見えないとわかった途端に踵を返すかもしれない。
 あなたはもはや、身体の自由が利かなくなるくらい十分待ち続けている。1時間が経過した。いくらなんでもおかしい。事故に遭ってやしないだろうか。心配と不安とが入り混じって、あなたは落ち着かなくなる。事故に巻き込まれたんでないとしたら、ほかに何が考えられるだろう? 実は部屋にいて、電話に出ることができない事態に陥っているとか。まさか部屋で死んでいるのでは。
 あなたの心臓は、早鐘を打ち出す。頼む。どんなに遅れても構わない。来てくれるだけでいい。いや、来れなくてもいい、生きていてくれるのならば。
 1時間半が過ぎた。これだけの時間があれば、相手の部屋を訪れることだって出来た。あなたは疲れ果て、苦笑をもらす。でも、今から訪ねていってどうなる。死体の第一発見者にでもなるつもりか? あんなに元気そうだったではないか。こんなことになるのなら、もっとやさしく親切にしてやればよかった。
 すると、懐かしい相手の笑顔が、涙で滲んだ街角に、すっと浮かんでくるではないか。
 「早かったね」
 幻聴まで聞こえてくる。
 あなたはつい、「ありがとう」なんて口走る。最期に会いに来てくれて、ありがとう。こうしてずっと待っていてよかった。あなたはしきりに瞼をこする。
 「さーて、どうしようか」と相手が言う。
 よくよく見ると、本当に生身の人間が立っている。「腹、減ってない?」とか聞いてくる。2時間も待たせておいて、詫びの一言もない。どうやら相手の方が、14時の待ち合わせを夕方4時と間違えていたようだ。
 それでも、あなたは怒る気になれない。2時間も待って現れないよりは、ずっといい。あなたは感謝したいような気持ちで、弱弱しく微笑む。

 ↑↑↑こういうのが、【いり】が【いり】に変わる一つの現象である。

 息子は毎日同じことを注意される。「朝起きたらポストから朝刊を取って来る」──たったこれだけのことが守れない。習慣づけることが出来ない。
 ほとんど毎朝、「朝刊はどうした」と注意される。毎朝怒るのはしんどい。朝から怒りたくなどないし、息子だって怒られたくはないはずだ。なのに、毎朝ケロリと忘れる。自分が興味のないことは、頑固なくらい見事に忘れる。
 「やれと言ってるんじゃない、取って来てくれと言うパパの頼みが、なぜ聞けない」とも言ってみた。
 「起きたらトイレに寄らず、そのまま真っ直ぐ歩いて行けば玄関のドアにぶち当たって思い出せるんじゃないか」とも。
 それでも忘れる。ダンナもしまいには怒らなくなった。あきれている余裕も無く顔が曇った。
 「オレは心配だ・・・」
 脳の記憶中枢に、何らかの障害があるんではないか? 両親揃って似たような不安を覚えたらしい。

 「愛情が同情に変わったら、おしまいですから」
 こう言ったのは、千葉真一と離婚した野際陽子の言葉だったろうか。
 息子は自分の子どもだ。同情などという他人行儀な感情の入る隙はない。どうか、思い違いであってくれ。ただ忘れっぽいだけだと思いたい。ひたすら祈るよりほかない。
 ある朝、庭で洗濯物を干し終えた私は、家に入るついでに朝刊を入れた。その日に限って新聞のことを覚えていた息子が、口をとがらせた。
 「なんだぁ、せっかく入れようと思ったのに」
 それが突破口となって、日々の【いり】は再び【いり】に変わった。
 「そんなこと言うなら、毎朝自分できちんと入れなさいよ!」
by vitaminminc | 2006-11-21 22:37 | 子ども | Comments(2)

亀のキモチ

 その朝、わたくしは亀の気持ちがわかったような気がしました。仰向けにひっくり返ったカメのキモチ──それがわかったのです。
 朝、仕事に向かう途中に、自損事故は起きました。
 市の中心部に位置する、国道の大きな交差点でした。
 信号が青になって、自転車を漕ぎ出そうとしましたら、なぜかフリーズ状態となり、そのままバランスを崩しました。
 アレ~~~という疑問府を扇状に放ちながら、なす術もありませんでした。自転車に跨ったまま、見事に左に横転しました。スローモーションのような感覚でした。
 自転車の下敷になったわたくしは、亀のようにジタバタもがいておりました。そしてやっとのことで、自転車を抱きかかえるようにして起き上がることに成功しました。
 散らばったバッグや傘を拾い集め、再び自転車に跨りました。一瞬、ペダルの踏み方を忘れてしまいました。踏み込めないはずです。下に下りている方のペダルを踏み込もうとしていたのです。それほど気が動転しておりました。
 どうにかこうにか横断歩道を渡ることができました。背中で聞いた音で判断したところでは、左折しようとしていた巨大なカーキャリー、わたくしがすっかり渡り切るのを見届けてから、ようやく発進したもようです。鈍くさ…ぃぇかよわげな淑女の姿に、またいつ倒れるかわからない不安を覚えたのでございましょう。おそらく、曲がり切る前に、信号が変わってしまったことと思います。朝っぱらからご迷惑をおかけしました。
 横転の原因は、ハンドルにかけていた傘です。漕ぎ出す瞬間に、傘がナナメッて、前輪のスポークの間に突き刺さったらしいのです。
 会社に着いてから、ズキズキ痛む左脚をオソルオソル見てみました。赤い色が目に飛び込みました。タイツが破れ、ブーツのすぐ上で剥き出しになった膝が、真っ赤にヌメッておりました。
 トイレに直行して、ガードルと、ボロボロになったタイツを脱ぎました。タイツは激しくデンセンし、ガードルには脱ぐ時に膝の血液が付着してしまいました。
 この2アイテムだけを見たら、立派な“婦女暴行事件”です。鏡を見て、「ぷっ」と吹き出しました。妄想している場合ではありません。膝からは、相変わらずO型の血液がジワリジワリとにじみ出ておりました。傷の周りの血を、濡らした《トイレットペーパー》で拭い、応急処置として同僚からもらったポムポムプリンの絆創膏を2枚貼りました。1枚では足りなかったのでございます。
 すり剥いた傷よりも、打撲の方が痛み、しばらくは階段の上がり下りに難儀しました。傘さし運転も危ないけれど、傘さげ運転も危険です。自転車通学の娘にも注意しましたら、そんな心配は無用だと一蹴されました。学校指定の雨合羽の着用を義務づけられているので、傘なんか持って出たことはないとのこと。そりゃそうだ。

 ようやく傷口に、ごく薄~い皮膚が再生された昨日の晩、久しぶりに絆創膏無しでお風呂に入りました。娘と仲良く湯船に浸かっておりましたら、少々湯がぬるくなってまいりました。すかさず追い炊きボタンを押したところ、娘の足元に熱い湯が循環して出てきたようです。
 「あちち!」と娘があわてて湯船から出ようとしました。ところが、狭い浴槽に二人で体育座りなどして浸かっていたものですから、容易に身体が抜けません。
 「あぢぢ!」とわたくしも叫びました。わたくしの方は、熱かったからではなく、滅茶苦茶痛かったからです。
 体制を立て直そうとした娘の‘踵’が、あろうことか、わたくしの膝に再生されたばかりの処女膜の上を、「ぐりり」と擦り上げていったのでございます。イッテーノナンノの騒ぎでございます。
 故意にやったことではないので、娘を責めるわけにもまいりません。くくくくく・・・とくのいちのように膝の周りを押さえ込み、無言で痛みに耐えました。

 傷口が固まり、亀の甲羅のような瘡蓋ができるまでには、またしばらく日数がかかりそうです。
こんなことで亀のキモチがわかったような口をきくようでは、亀に「バカめ」と言われそうです。
by vitaminminc | 2006-11-16 16:47 | 笑い | Comments(2)

ふはは

 今日の放課後、娘は二者面談を受けてきた。
 「どうだった?」
 と私が尋ねると、 
娘「1人10分の予定なのに、5分で終わった」
私「ふ~ん。特に問題がなかったからじゃない? どんなこと話したの?」
娘「‘どんな大人になりたいですか?’って聞かれた」
私「へー! なんて答えたの?」
──泣けた。娘の答えを聞いて、私は感涙に打ち震えた。こんな優しい言葉がこの世にあるのかと思ったほどだ。14年前、14時間の陣痛に耐えた甲斐があるというものだ。
私「ウレシイ♪ 頭の弱った母を守りたいだなんて・・・!」
 小躍りしてはしゃぐ私を見る娘の笑顔が、なぜかひしゃげたように見えた。

 「‘マナーを守れる大人になりたいです’って答えたんだョ」

──迂闊であった。そもそも二者面談で自分の‘母’のことを‘ママ’というほど娘は稚拙ではない。何を自分の都合のいいように聞き間違えたのだろう?
 ま、これもある意味、ポジティブな性格のなせるワザかもしれない。
            不母・・・ふはは、ふはははははは・・・!
by vitaminminc | 2006-11-15 20:37 | 笑い | Comments(2)

にっくき日記

 やられた。
 息子の担任の先生は気まぐれに、月に一度、あるいは週に一、二回『日記』を宿題に出す。
 先日初めてそのことを知り、息子の「日記ノート」を見てのけぞった。その週は、二日間にわたり、日記が宿題に出されていた。よりによって、その二日間、私は期限つきの仕事に追われていた。そのため、たまたまきちんとした夕飯を作ってあげることができなかった。
 子どもたち二人がコンビニに行き、夕飯用のお弁当を買ってくることになった。娘の方はいくらか栄養のバランスも考え、自分の分と私の分を選んでくれた。だが、息子は自分の好きなものしか選んで来なかった。イクラのおにぎり1個と、スパイシーチキン。いつものパターンだ。だから私は、野菜不足を補うために、サラダだけは手早くこしらえてあげたのだ。
 しかし、息子の日記にはこう書いてあった。↓↓↓

 『今日はばんごはんのかいものに行きました。ぼくは、おにぎりをかいました。とてもおいしかったです。でも、少し足りなかったのでポテトチップを食べました。』

 チキンやイクラはどーした。母手製のサラダは。…ワナワナしながら読み上げる私の横で、娘がバカウケしていた。
娘「どんだけ貧乏なんだ?」
私「夕飯にコンビニおにぎり1個しか食べさせてないみたいじゃない!」
 翌日の日記は、「おにぎり」が「スパゲッチー」に変わり、‘足りなかった’という記述がないだけで、ほぼ同じ内容。
 この日も前日同様、猛烈に仕事に追われていて、気がついたらすでに夕飯の時間になっていた。ご飯を炊いていたら遅くなる。仕方ない、子どもたちに、コンビニではなくスーパーでスパゲッティと好きなソースを買ってくるように言った。茹でたのはもちろん私だ。簡単ではあったが、サラダと卵スープも作った。なのに日記を読むと、コンビニでパスタ弁当を買ってきてわびしく食べたような印象しか受けない。(ToT)
 「二度と晩飯のことは書くな!」とどやしつけた。個人面談を控えているというのに、ろくでもない日記を書きおって! 夕飯のこと以外に書くことがないのだろうか?

↑↑↑そしてこれらの日記から、およそ10日後・・・またしても私の‘検閲’をすり抜けていつのまにか提出していた日記が返ってきた。内容は、こうなっていた。
↓↓↓

 『11月7日(火)  今日は、スイミングスクールに行きました。ぼくはローリングキック、クロール、めんつけイタ(←板=ビート板のこと)キック、水中ジャンプ、ノーブレール(←ノーブレスの間違い?)クロールをやりました(←。区点ヌケ)先生はきびしかったけど、とても楽しかったです。バスにのって帰ったら、7時5分でした。夜ごはんは、サラダ、おみそしる、ごはん、お肉でした。ぼくはおなかが、いっぱいになってのこしてしまいました。けど今日の夜ごはんは、とてもおいしかったです。おふろに入ってそのあとはねました。』

        先生より──「水えいのあとは、おなかがすくでしょう。」

(ToT)また…やられた。
 すでに先生の赤字のコメント入り。手遅れである。
 あれほど「晩めしのことは書くな」と言っておいたにも関わらず、息子は夕食のことを書いた。なぜにこうも晩飯に固執するのか? 母の汚名を晴らそうとしたのかもしれない。
 確かに前回、私は叱った。理由は、「事実を書いていない」からである。まず、なぜ夕飯をコンビニに買いに行くことになったのか、その理由が書いてない。さらに、実際に食べた内容を記さずに、ただ「足りない」とだけ書いている。実際は好きなものだけしか買って来なかった息子に、「それっぽっちで足りるの?」と私は聞いた。息子は「そんなにおなかが空いてない」などと、ケロッと言ってのけた。ポテトチップが食べたかっただけなのだ。結局、「足りない」と抜かし、まんまとポテトチップを食べるに至ったいきさつが抜け落ちている。
 「自分に都合のいいことしか書いていない!」と私は叱った。
 
 その後反省して書いたのが、上記の日記である。だが、これではまるで【母親の差し金】によって書かされたみたいである。この日の日記に限って字がすごくきれいなのも不自然だ。前回、字が汚いこともさんざん注意したからに違いないのだが、いかにも虐待母の監視下で書かされたという感じだ。
 “けど今日の夜ごはんは、”という限定つきの書き方が、妙にリアルで泣かせる──ぃゃ腹が立つ。息子は肉食獣だ。食卓に肉さえ出ていれば“おいしい”のだ。先日はコンビニおにぎり1個で“足りなかった”けど、この日は“のこしてしまう”ほどおなかいっぱい食べられたことを強調してある。担任の先生もさぞかし安心してくださったことだろう。

(-_-#)ゲッに恐ろしきは、子どもの日記なり。
by vitaminminc | 2006-11-14 16:32 | 子ども | Comments(2)

バカの軌跡

 ある朝、忽然と私の箸が消えた。娘のお弁当を作っている時に、菜箸代わりに使っていたことは覚えている。しかし、いざ朝食をとろうとしたら、さっきまでキッチンで使っていたはずの箸が、どこにも見当たらない。箸立てや流しも見た。食器入れも見た。娘のお弁当箱を入れる袋の中も見た。キッチン中を探したが、見つからない。
 息子も娘も協力してくれた。息子はガス台に置いてある両手鍋の蓋を開け、娘は冷蔵庫と冷凍室の扉を開けた。
 (いくらなんでもそんなところに入れるわけがない)とは思いつつも、どうにか言葉を飲み込んだ。母の素行を知りつくした子どもたちが、「ココかもしれない」と見当をつけて探してくれているのだ。黙って見守るしかない。
 それでも、やはり見つからない。ゴミ箱を探したのを最後に、諦めた。割り箸で朝食をとっていると、私よりも先に朝食を済ませ、身支度に取りかかっていた娘の笑い声が聞こえた。洗面所からだった。一人でよくああも笑えるものだ。
 「箸、あったよー!」
 笑いながら叫んでいる。
 間もなく、私の箸を持って、娘がキッチンに戻ってきた。
 「ほら」 
 「脱衣所に? 脱衣所のどこ?」
 「洗濯機横の、カラーの引き出しの上」
 そうか。娘の弁当を作りながら、途中、洗濯機を回しておこうと思いついたのだった。それにしても、なんで箸を持ったまま洗面所に行ったりしたのだろう。

 もう一つ。私の携帯にかかってきた電話の着信履歴でもっとも多いのが、自宅からの電話。自宅の電話を携帯に登録する際、めんどくさいから自分の氏名を入力しておいた。つまり、私の携帯に電話してくるのは、「私」が圧倒的に多い。
 なぜか?
 携帯の捜索である。半ば無意識に、ポイポイと何処にでも置いてしまうから、後で使おうと思った時に、見つからなくて困る。時計代わりに時間を確認するのがいけないようだ。
 家電から自分の携帯に電話をかけ、ブーブー振動しながら奏でるメロディをたよりに、携帯の居場所を探す。遠くで鳴って、音源が絞れない時もある。つながってしまっては、通信料がもったいない。3コールさせて電話を切り、方角と距離を見定めてから捜索に行く。
 どうしても携帯が見つからない時は、二階から子機を持ってきて、もう一度かけてみる。おお! 見つからないわけだ。私の携帯は、なぜかトイレの床でブーブーと身悶えながら、鼻歌を唄っていたりする。
 こんな生活をしているものだから、しまいにゃ子機までいなくなる。二階にいる時に電話をかけようとしたら、充電器に子機の姿がない。仕方ない。今度は携帯で、自宅にいながら自宅に電話する。あぁ、よかった。電池切れになりかかっていたのか、かぼそい声で、子機が居場所を教えてくれた。
 
 そんなわけで、今日も忽然と姿を消した、我が携帯。置き場所として認知されている数箇所を探したが、見つからない。自宅の電話で、自分の携帯番号をプッシュ。
 すると、自分のお腹がブーブー震え、軽快な音楽を流し始めた。パーカーの腹ポケットに、私の携帯はいた。
 自分の家の中、自分の家の電話から、自分の携帯に電話して、自分の身体から、着信音が流れ出る。こうした世にもバカげた日常を、私の携帯の着信履歴は物語っている。私の名前がズラリ。自宅電話の登録名・・・今度「バカ」に変えようかと思う。
 
by vitaminminc | 2006-11-09 15:04 | 笑い | Comments(0)

ガンバレ

 仕事帰りに、こんな光景を目にした。
 車の往来が少ない裏通り。
 70前後のおじいちゃんが、24インチの自転車に乗っていた。一番低くしたサドルに跨り、口を真一文字に結んで、ペダルを一漕ぎ、二漕ぎ・・・すぐに地面に足を着けてしまう。
 そのおじいちゃんの背中を、もう一人のご老人が見ていた。手を後ろに組んで、ゆっくり歩を進めている。途中何か言いたげに口を開きかけたが、微笑だけ浮かべると、そのまま黙って見守っていた。
 自転車のおじいちゃんは、視線を落とし、前輪だけを見ながら漕ぐ。肩にすっかり力が入ってしまっている。
 息子に自転車を教えた時の、自分の言葉が蘇ってきた。
 「怖くても、遠く前方を見て漕ぐようにしなさい。そうすればグラつかなくなるョ」
 私もそう言いたかったけど、黙って通り過ぎた。
 いくつになっても何かに挑戦するのって、いいもんだ。私の顔も、ほころんだ。
──ガンバレ、おじいちゃん。
by vitaminminc | 2006-11-07 10:29 | 人間 | Comments(0)

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