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幽体離脱脱線奇譚

 幽霊を見たことは一度もない。
 でも、‘なんかヤ~な感じ’という感覚なら、いくつか経験がある。
 たとえば駅に向かう途中。ある雑居ビルが建っているのだが、なぜかそのビルだけが、私の目には暗く映る。やけに鬱蒼として見えるせいか、その前を通り過ぎるたび、みぞおちのあたりが重~い感じになる。ずっとのちに人から聞いたところによると、かつてそのビルの屋上から、飛び降り自殺をした人があったということだ。妙に納得してしまった。

 ここでふと、疑問に思うことがある。
 「視力の良し悪しと、霊感の有無は、比例するのか?」
 幽霊は物体ではない。だから本来は見えるはずのないものだ。が、見える人には見える──ということは、幽霊を捉えるのは、顔面に埋め込まれている‘目’ではないのかもしれない。
 つまり、幽霊が見えて困っている人がいたとして、その人がたとえどんなにド近眼であろうとも、裸眼ならば見ずに済むだろうか? 
 「いや~、幽霊を見たくないもんで、最近はメガネをかけないようにしているんです」なんて話は聞いたことがない。とすると、やっぱり見えてしまうのではないか? 視力などお構い無しに現れそうだが、本当のところどうなんだろう?

 冷笑されることを恐れずに、ここで季節はずれの怪談──私自身の身に起きた出来事を語ろうと思う。

 あれは今から20年数年前。季節は夏だったように思う。自室のベッドの上で、突然目が覚めた。なぜかというと、体がシーツから引き剥がされるような感覚に襲われたからだ。
 うつ伏せに寝ていた私は、引き剥がされないように、必死でシーツをつかんだ。横に向けた視線の先には、小さなグリーンの点と赤い点が光って見えた。「弱」にかけておいた扇風機が、正常に作動していることを示す灯りだった。
 ベランダに面した南の窓を少し開けておいたので、外から入る生ぬるい風と、部屋の空気をゆっくりかき回している扇風機の風で、レースのカーテンがふくらんだりすぼんだりしているのがわかった。観葉植物の葉が揺れているのも、暗がりで確認できた。
 ‘これは夢ではない’と確信し、絶対に引き剥がされてはいけないんだと強く思った。

 シーツをつかむ手に力を加えながら、「幽体離脱」という言葉が思い浮かんだ。これに関しては、いろんな人が体験しているようだが、自分には向かないと直感した。離れたら最‘期’、二度と戻っては来れないような気がした。
 なぜなら私はひどい方向音痴だからだ。
 本気でそう思ったので、本気でうろたえた。一体どうすれば離脱なんかしないで済むのかを。 
 わかるはずもなかったので、とにかく目の前の現実──そう、シーツに意識を集中することに決めた。白い、綿100%の、シーツ。白い、綿100%の、シーツ。白い・・・・・・綿100%の・・・・シーツ・・・。
 
 まもなく、それ─体の中から抜け出てしまいそうな感覚─はおさまっていった。シーツをつかんでいた手から、力が抜けていくなぁ・・・なんてことを思いながら、たぶん一瞬で寝た。

 こんなことを思い出したのは、最近ムスコが夕食後、ぼーっとテレビを見ながら、よくこんなことを口にするせいだ。
 「あー、びっくりした! 今また金縛りにあったよ」

 おい。そりゃ普通、「舟を漕ぐ」と言わねーか?
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by vitaminminc | 2007-11-27 18:48 | Comments(0)

冬のソノタ

「おはよう」
「おはよー」
「明日から(出張で)二泊だから」
「わかった」

・・・・・・7秒か。

 朝、ダンナと交わした‘会話’である。これを一人二役で声に出して再現したところ、時計の秒針が10秒を刻む3歩手前で終了となった。

 今日の朝刊に、明治安田生命が全国約1000人を対象に実施した調査結果が載っていた。
 それによると、平日の会話が「30分以下」という夫婦が約4割に達し、このうち3分の1は配偶者に愛情を感じていないことがわかったという。妻の約半分が離婚を考えたことがあると答えていることから、同社では日頃のコミュニケーションを大切にと呼びかけているんだそうだ。ふっ・・・。

 夫婦の4割が「30分以下」しか会話をしていないという事実も、また妻の半数が(一度以上は)離婚を夢見ているってことも、さほど驚くような結果ではない。
 また、会話が30分を超える夫婦は、94.5%が「(相手に)愛情を感じている」って事実も、そんなもんでしょうと納得できる。残業の少ない職場、マイホームパパ像が浮かんでくる。
 
 納得できないのは、同社の『呼びかけ』だ。大きなお世話である。40歳以下の夫婦に限定した呼びかけならわかるが、ただ漠然と言い放ってもらいたくはない。なぜならうちの場合、「コミュニケーションを回避することこそ離婚の回避」だからだ。

 大体動物が大好きな妻と動物がキライな夫とで、どうコミュニケーションを取れというのか。オットはいまだに「動物がキライなわけではねー」と平然とホラを吹く。
 「なぜならオメーのような珍獣とケッコンまでしてやったんだぜ」
 と、口にこそ出さないが、目が完全にそう言っている。が、どこの世界に飼猫を一つ処に閉じ込め、居間への出入りを禁ずるなどと提案する‘動物好き’がいるだろう?
 ま、そのおかげで年明け早々着工する新居では、私にもささやかな‘個室’が与えられることになった。2階で最も陽当たりの良い、西日ガンガンの灼熱ジゴクが私の部屋=猫部屋になる。マイルームには、猫との触れ合いを求めて始終子どもたちが出入りすることだろう。
 オットはますます孤立していくに違いない。が、実はこのオット、独りでいるのがまったく苦にならない人種、今で言う「アキバ系」なのだ。いや、むしろ独りでいたいくらいかもしれない。休日居間でキャッキャ騒いでいる子どもたちに、「うるせー」と怒鳴る様子や、食事以外はPCばかりやっている姿を見るたびに、「オット=動物&子ども嫌いの典型」を再確認せずにはいられない。

 新しい家で、オットが自室に囲う気でいるのは、子どもたちでも妻でも、もちろん猫でもなく、PCである。ただでさえ休日ともなるとPCを独占し、すっかりゾンビ化した信長に変化(へんげ)しては果てることなき野望を抱き続けているというのに、これではまるで、
 「オレ、絶対引きこもるから」と宣言しているようなものである。
 が、妻や子どもたちにどんなにブーイングされようとも、妻を妻の愛する猫部屋に追いやり、己は己の野望を果たすべく、PCと共に自室に引きこもる近未来予想図というのは、ある意味秘策──「熟年離婚回避策」と言えるかもしれない。

 新聞によると、最も会話に乏しい年代は40代。「30分以下」が夫で50.0%、妻で56.8%。働き盛り故の数値だろう。「0分」というのも2.8%。あるにはあったが、これは時間帯が合わない夫婦も含めた回答だから、真意の程はわからない。うちの「10秒以下」という数字に、該当項目を設けるとしたら「その他」になるんだろうか。
 新婚時代が春で、子育て時代が夏。倦怠期が秋で、老後は冬。冬支度に余念のないオット(?)と、猫部屋大歓迎の妻。こんな夫婦の会話時間は、いかにもたこにも「その他」的。今更だけど、尚更殊更
 冬のソノタなんである。
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by vitaminminc | 2007-11-26 11:01 | Comments(2)

クソまみれの品格

 仮住まい先への引越しを二週間後に控え、ダンボール箱を積み上げた要塞の中、私は本を読んでいる。
 読書好きに勧められ手にした一冊は、金城一紀『映画篇』。エッセイのようなタイトルだが、短編集だ。
 クソ忙しい最中だからこそ、小説のありがたみが身に沁みる。砂漠で水を恵んでもらった旅人のような心持で、第一話「太陽がいっぱい」を読み終えた。

 金城 一紀(かねしろ かずき)はご存じのとおり、自称コリアン・ジャパニーズの韓国系日本人作家で、2000年に『GO』で直木賞を受賞。この作品は窪塚洋介、柴咲コウの出演で映画化され、若者たちから支持された。

 私は『GO』を読んではいないし、観てもいない。贈られた『映画篇』もまだ第一話を読み終えたばかりだ。なのに語らずにはいられない。

 文体が、なんだか不思議な魅力でいっぱいなのだ。ちょうど木漏れ日が降り注ぐ木陰のように、暗いはずなのに明るくて気持ちがいい。

 しかも‘クソみたいな’とか‘クソみたいに’とかいう表現が(主に会話文)随所に登場し、多いところでは1ページに5個も6個も‘クソ’に出くわす。全部で20個近くもの‘クソ’にまみれるにもかかわらず、この短編にはがある。
 同じことを私が書いたら最後、ページが便所紙に見えてくるに違いないのだが、金城一紀の文は決して品を失わない。読んでいて気持ちがいいのは、この品位のせいなのだろう。

 光が強く当たるところには、濃い影ができる。斜面での加速には、重さが有利だ。
 明るさと軽快さ。そうだ、きっとこの作家は、それを生み出す原動力──影と重さをとてもよく知っている。

 『映画篇』の次は、ぜひ『GO』も読んでみたい。
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by vitaminminc | 2007-11-25 22:52 | Comments(0)

猫舌バグ(*)

 「猫舌」って言葉がありますが、あれは真っ赤なウソ。

 猫さんのご先祖さまはエジプト出身。だから猫さんは暑さには滅法強く、寒さにはとことん弱い。だから口にするものだって、本当は温かいものが好きなんであります。それなのに‘猫舌’だと思われている理由はなぜでありましょうか。

 猫さんはわんこくんのように(一部のへちゃむくれ犬種を除き)鼻面が突出しておりませぬ。それゆえ、がっついて食べようとしちゃ~鼻の穴に飯粒やら汁気やら鰹節のカケラなんぞが入り、『ヴシャッ』てな具合に吹き出し、時には驚いて飛び上がり、顔を振り振り警戒するのであります。そしてちょっとの間、愛すべき敵=ねこまんまの様子を窺い、今度は少し慎重に舐め始めるというわけです。

 また、わんこくんに比べ猫さんは野性本能が強い分、学習能力に欠けます。当然、毎度毎度『ヴシャッ』を繰り返すため、傍目には‘熱いものに弱い’んだナと映るわけでございます。
 無類の猫好き作家塩田丸男が、猫は冷や飯より湯気の立つ飯を好むという事実をエッセイの中で力説していたように、私もまた、猫さん本人は実は「猫舌ではない」と見ております。現にうちの猫さんはお風呂場が大好きで、器用に風呂の蓋をクルッと丸めて開いては、温かい湯に手を突っ込みます。湯加減をみているわけではありません。
 手で湯をすくって飲むためであります。

 つまり、猫さんが猫舌と言われる所以の『ヴシャッ』は、多少の個体差はあれど‘熱いものが好きだからこそガッツイて飯を鼻に詰め自分でビックリする現象’なのだ!と私は思うのであります。

 だから今後みなさんは「猫舌」という言葉に隠された意味を知り、どなたかを「猫舌だね」と評するときには十分注意をする必要があります。なぜなら、本当の「猫舌」は、熱い食べ物に弱いお上品な舌ではなく、
  熱いものが大好きゆえについがっついてヤケドしてしまいがちな食いしん坊の舌
だからです。早い話が、「猫舌」=「がっついた舌」ということです。

 以上のことを踏まえてお知らせしておきますと、私は決して猫舌ではありません。ただ、食道癌になったらどないしょ、ってなくらいあちいスープが大好きで、ときどきジタバタしながら顔面でジタバグを踊るだけのこと。にゃはは。
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 *ジタバグ⇒jitterbug テンポの速い社交ダンスの一種、ジルバのこと。
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by vitaminminc | 2007-11-23 10:02 | Comments(0)

忘却ブラリ~

 ヒッジョーーーに神経を遣う仕事をしている上に、年がら年中思いつきのようにシステム変更が繰り返される我が職場。みんながみんな度忘れの度を増していっているような気がする。これは明らかに職業病だ。
 システムが変わった直後は、新人に仕事を聞くのが一番である。余計な知識なしに最新情報を教えられているからだ。そんな頼りになる新人も、半年も経つ頃には『ボケた頭で気持ちだけはブキミに初々しい』旧人類になり下がる。

 先日も私の隣席の同僚(私よりは新しい旧人類)が、思い出したように話してくれた。

隣「こないだなんかひどかったわよ~」と笑いながら言う。「みんこさんが休みの日。ほら、なんとかいうドラマにもなった映画があったじゃない、去年の映画よ。それのタイトルがどうしても思い出せないって話。一人が思い出せなくっても、ふつうは周りのだれかが教えるものじゃない? なのに全員思い出せないわけ。‘豊悦の’とか、‘『失楽園』的にエロイ’ってとこまではみんな口に出るし、何の作品のことを言っているのかもわかってはいるんだけど、肝心のタイトルがどうしても出てこないの」
私「『失楽園』と同じ、渡辺淳一の原作でしょ?・・・アレ?そういえば何ていうんだっけ」
隣「ね? 思い出せないでしょ。しまいには主題歌の話になったんだけど、今度は曲のタイトルも、それから歌っている人の名前も度忘れしちゃって。みんなで‘あの濃い顔の男’とか‘『大きな古時計』を歌ったヤツ’とか、そんな言い方しかできなくて、もう笑ったわよ~」
私「平井堅ね」
隣「そう、平井堅」
私「モアイみたいな」
隣「そう、モアイみたいな。映画のタイトル、いまだに思い出せないんだど─」
私「う~~気持ち悪い。何だっけ?早く思い出してよ。私原作読んでないし映画も観てないから」
隣「なんてったっけ」
私「でもどうしてその話題になったわけ?」
隣「それも・・・忘れちゃった」
私「重症だなぁ。あ!ぁぁぁ『愛の─』」
隣「あ!そうそう!『愛の─』なんとか!エロイ映画!」
私「『愛の─』」
 
 思い出そうとすればするほど頭の中にBGMが流れて邪魔をする。25、6年も前に流行ったクインシー・ジョーンズ『愛のコリーダ』。
 
隣「思い出した! 『愛の流刑地』!」

 同僚が勝ち誇ったように叫ぶ横で、私はボソリとつぶやいた。
 「実はさっき『大きな古時計』で、平井堅のほかに
 信楽焼のタヌキも一緒に思い浮かんだんだけど」
 
 私と同僚はそのあとしばらく目尻の涙を拭ったり腹筋を鍛えるのに忙しく、しばらく仕事にならなかった。
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                        なぜ?

 ※忘却ブラリ~=ボキャブラリーが度忘れの連鎖によりどんどん変化していく様

  
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by vitaminminc | 2007-11-13 22:01 | Comments(2)

11月の便り

 「ママ~、△さんていう男の人から葉書が届いてるよ~」
 △さん? 女性なら知っているけど、男性は思い当たらない。
 「喪中葉書だよ~」
 ムスメが補足説明するのを聞いて、鳩尾のあたりがキュッとした。頼りない心に届いた11月の便り──先生・・・亡くなっちゃったの──?

 差出人は、△先生のご主人だった。喪中の挨拶につづき、妻が63歳で永眠したことを伝えていた。

 △先生は、私の保育園時代の担任だった。
 引っ込み思案で恥ずかしがり屋だった私は、在園中先生に特別かわいがってもらった記憶はない。思い出されることといえば、五月に飾るこいのぼりを作っている最中、先生の話をよく聞かないで、紙面いっぱいに糊を塗ってひどく叱られたこと。みんなが満面の笑みでこいのぼりを手に写っている集合写真の中で、私だけが目を腫らして泣き笑いしていた。
 それから卒園式の日。オルガンで「思い出のアルバム」を弾いていた先生が、堪え切れずに「わっ」と泣き出し「先生もうダメ、みんなで歌って─」と伴奏を放棄。そのドラマチックな感動シーンで、何人もの園児がつられて泣き始める中、私といたずらっ子の男の子だけがゲラゲラ笑ってしまったこと。

 けれど、一番良く覚えているのは、先生と手をつなぎたいという自分の気持ち。
 私は(笑い上戸のわりには)おとなしい子どもだったので、先生と手をつないでもらうことができなかった。先生の右手や左手には、いつも人懐こくて積極的な友だちがぶら下がっていて、触れることさえできないのだった。
 いっそ泣いてばかりいる「泣き虫」になってやろうか──そうすれば一時だけは先生が手をつないでくれるだろうし、もっと泣き続けたら抱っこもしてもらえるかもしれない。そんな妄想に取りつかれたこともあった。
 休み時間のスナップ写真。私は、うんと端の方に写っている。先生を中心に、先生と手をつないでいる友だち。その友だちと手をつないでいる友だち。私はさらにその友だちと手をつなぎ、ギリギリ写真におさまっている。
 卒園するまで、とうとう先生の手を独占することは叶わなかった。

 小学校一年の夏休みに、先生に手紙を書いた。直接手をつないでもらうことのなかった私は、先生から返事がもらえるなど予想もしていなかったのだろう。とても嬉しかった。

 それから毎年、年賀状と暑中見舞いを出した。先生は必ず一、二行の短い言葉を添えて返事を下さった。お正月と夏休みの、年2回。私が成人してからは、私が出すより先に先生の葉書が届くこともあった。──‘お子さんの成長を毎年楽しみにしています。’

 40年間。保育園を卒園して以来、ずっと受け取ってきた先生からの便り。もうこの手にすることはないのかと、ちょっと上を仰ぐ。

 先生。まだ63歳じゃないですか。記憶の中で、先生がずっと私の先生であったように、私もずっと先生の園児だったのでしょう? もっともっと手をつないでいて欲しかったです。
 ‘先生もうダメ’って突っ伏しても、今度はもう笑えません。

 葉書に書かれた文字。先生のご主人は、一字一字、本当に丁寧に私の名前を書いてくださった。
 上を仰いだのに、目からいろんな思いがあふれ落ちてきた。

 
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by vitaminminc | 2007-11-06 09:20 | Comments(4)

日々の暮らしに「ん?」を発見
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