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12才chology

 「あー明日楽しみだなー。天気大丈夫かなー」
 9月も半分を過ぎた或る晩。ムスコが何度も口にするのを聞いた高校生のムスメが、呆れたように言った。
 「そんなに誕生日が楽しみ?」
 「チゲーよ! ‘17号の旅’が、だよ!」

 ムスコの誕生日に当たっていたのは全くの偶然。その日(9月19日)ムスコたち小6男児5人は、自分たちの住むA市を起点に、国道17号をチャリンコで行けるとこまで行くというのを計画していた。
 5人のクラスはバラバラ。6年間も同じ小学校に通っていて、毎年クラス替えがあると、同じクラスでなくても帰る方向が同じであれば遊ぶ約束を交わしやすいのだそうだ。
 「なんだー。そんなことがそんなに楽しみなのかー」ムスメは苦笑しながら言った。「そういえば5、6年の頃の男子って、ホントくだらないことに夢中になってたよねー」
 「人生でもっともおバカなシーズンじゃない?」ついでに私も同調する。
 「ひゃははははっ」ムスコは反論もせずに上機嫌で笑う。「あー、早く明日になんねーかな」
 「ケーキはちっとも楽しみじゃないみたいだね」置いてけぼりをくったようで、私は少しさみしくなる。
 「え!?  ケーキもいるよ! オクサンちゃんと買っといてよ!」
 「ロウソクは大きいの1本と小さいの2本がいい? それとも12本?」
 「12本!」
 「17号は南じゃなくて北へ向かいなよ」とムスメがアドバイスする。「南に行ったって都会っぽくなるだけで、お子チャマが遊べるようなとこなんかないからね」
 「そうそう、田舎のガキんちょは田舎もんらしく、ひたすら北を目指せ」と私も助言する。「それから明日の朝、タイヤに空気入れときなさい」

 水筒と昼食代を入れた財布、それにDSを詰めたデイパックを背負ったムスコが玄関でスニーカーを履いている。
 「帰りの時間も計算して、適当なところで折り返しなさいよ」
 「わーってるって!」
 夏休みの間にまた背が伸びて、とうに私よりも大きくなったムスコが、私の頭の上に手を置いた。
 「しかしオクサン本当にチビになったね! オレここ(玄関の一段低くなった所)に立ってんのに殆ど変わらないョ?」
 「うるさい」
 「じゃ、行ってくるー」
 「ちょっと、信号が赤になりかかってるのに置いてかれそうだからって無理に渡ったりしたらダメだからね!」
 「わーってる!」
    *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *
 「あー疲れた! でも超楽しかったー」
 A市⇒B市⇒C市⇒D市⇒E市と、5市を縦断してきたという。
 「お昼は?」
 「E市のマック」
 「おまえ、E市までわざわざマック食べに行ってきたの?」とからかうムスメに、
 「マックが目的じゃなくて、遠くまで行くことが目的だったんだから別にいーの!」と返すムスコ。
 途中、D市で休憩をとるためにスーパーの前に自転車を停めて5人でへたりこんでいたら、おばあさんが、
 「いい若いもんが、グデグデしてぇー」と声をかけてきたという。
 汗だくになっている5人を見て、
 「何、お兄ちゃんたち遠くから来たの?」
 「はぃ・・・」
 「どっから来たの?」
 「A市から」
 「A市から自転車で!? そりゃ~また遠くから来たねぇ!」
 おばあさんは、ムスコたちを喜ばせるに十分な仰天リアクションをしてくれたようだ。
 A市からD市まででも20キロ近くある。区間距離の長い高崎線で、4駅分。
 地図を拡げてみた。
 「ほら、ここからここまで、何cmある?」
 「10cmちょいくらい?」
 「1cmが2キロだから、往復で45キロくらいは走ったのかな?」
 「スゲー!」
 生まれてから最も健康的な誕生日となった。

 そのムスコ、本日は修学旅行へと旅立った。
 行き先は日光。私の時代と変わらないやんけー。
 修学旅行実行委員として、出発前にいっちょ前に挨拶したはずである。はず、というのは、「来ないで」と言われたので、実際にこの目で確かめられなかったからだ。
 去年も、林間学校実行委員として出発前に挨拶していた。去年私は鶏小屋の陰に隠れてムスコの晴れ姿を見守ったのだが、挨拶を終えたムスコと目が合ったときに、ムスコの目が1.5倍の大きさになったのを見た瞬間から、1年後に「来るな」と言われる覚悟は出来ていた。
 面と向かって「来るな」と言われなければ、しらばっくれてまたコッソリ見送りに行くつもりでいたが、ハッキリ拒否されたので、行けなくなってしまった。
 隠密行動をとればいいのに、私は変なところで律儀だったりする。
 「じゃあ見に行かないョ。その代わりに、ここで挨拶してみせてョ」と昨夜ムスコに頼んだ。「リハーサルのつもりでさー」
 「めんどくせーなー」
 「どんな挨拶するのか知りたいだけだからさー」
 「あー、めんどくせー」
 「今挨拶してくれなきゃ明日見に行っちゃうよ」
 「言うョ、言えばいいんでしょ」なぜか私のベッドで毎晩DSをやる習慣のあるムスコが、だるそうにDSを片付けた。
 「えー、みなさん、おはようございます。僕たち実行委員は、修学旅行の楽しい思い出づくりのために、先生方のご指導のもと、今日まで準備を重ねてきました・・・」
 「それから?」
 「えー・・・無事に元気に帰って来られるよう・・・」
 「で?」
 「眠ィ、もーココで寝ル」
 そのままムスコは私の左横で、朝まで眠りこけた。
 カーちゃんの見送り願望を断固拒否した穴埋めのように、私の横で丸くなって眠った。
 右横には愛猫の眠眠が、やはり丸くなって眠っていた。

 2匹のムスコに挟まれて眠る私。こりゃーシアワセだなぁと思った。
 鶏小屋の陰からムスコの生の挨拶をコッソリ見る後ろめたさよりも、はるかにシアワセだったなぁ。
 
 
by vitaminminc | 2009-09-29 16:08 | Comments(8)

遠い記憶

なぜだろう?
ここのところ無性に、あの日の記憶が蘇る。

あれは、私が小学1年の、新緑の季節のことだった。
土曜の昼下がりに、父が私に言った。
「Sさんちに行って、大きなお姉ちゃん2人と遊んでもらってくるか?」

Sさんというのは、父の仕事の内職をしている未亡人で、高校生と中学生の娘さんがいた。そんな大きなお姉さんと遊んでもらったことなどそれまで一度もなかった私は、有頂天になった。
年上といったら従姉妹か友だちのお姉さん。せいぜい3つか4つ上。それ以上は親戚のおばさんで、いきなり中年になってしまう。
中高生というのは当時の私にとってはまったく接点のない未知の領域、憧れの世界でもあった。

「行く行く!」
たまに従姉妹と会っただけも人見知りするような子どもだったくせに、その日の私は2つ返事でOKした。

父の車に乗せられて、私鉄にしたら5駅分ほど離れたSさんちに到着した。古い小さな木造平屋建てだった。
「ごめんください」
父の呼ぶ声に、Sさんと下の娘さんが玄関に迎え出て、私を見るなり大歓迎してくれた。
「では、明日の午前中に迎えに来ますんで」
そんなことを言うと、父はそのままSさん宅には上がりもせずスタスタ帰ってしまった。
明日迎えに来る? 遊んでもらうとは言ったが、泊まることまでは聞いていない。
父がいなくなって急に不安になった私の顔からみるみる笑顔が消えていくのを見たお姉さんは、
「みん子ちゃん、こっち来て」
と私を手招きして奥の和室に通した。

和室には仏壇があった。男の人の遺影が飾られていた。
私がその写真をじっと見つめていると、お姉さんが、
「それ、お父さん」と私に教えてくれた。
Sさんは未亡人で、ご主人は戦争で亡くなったと聞いていた。私はまだたったの7歳だったが、幼心にも「あれ?」と不思議に思わずにはいられなかった。
言うなれば「計算が合わない」というやつである。もちろん、当時の私は計算できるほどお利口さんではなかった(今でもだが)ので、単純に「うちのお父さんと同じくらいの年のおじさんが戦争で死んじゃったのに、どうして子どもがいるの?」と疑問に思ったのだ。「このお姉さんは、戦争中に生まれたようには見えないぞ?」と納得しかねた。なんかおかしい・・・。
‘お父さん’というのは聞き間違いで、本当は‘おじいさん’だったのか? でもそうすると、お父さんの写真が飾られていないのはなぜ?
それでも、初めて会った相手に「おかしい」と言うのは本能的にためらわれたので、質問せずにおいた。

まもなく上のお姉さんが帰って来た。下のお姉さんもきれいだったが、上のお姉さんがまたクール美人。髪が長いというだけで「美人」に分類していた私の脳が、顔のつくりもちゃんと見るようになったのは、この日がきっかけかもしれない。
まもなく2人のお姉さんに連れられて、近くの野原(土手だったかもしれない)に散歩に出かけた。
風に乗って、エレキギターの音色が流れてきた。誰かがGSの「エメラルドの伝説」を演奏していたのだ。
上のお姉さんは、独りで、誰も寄せつけないオーラを発しながら、音のする方へと歩いて行ってしまった。
「ごめんね。お姉ちゃん、ああいうのに弱いから」
ちい姉さんが途方に暮れたように佇む視線のずっと先に、セーラー服にお下げ髪の後姿が見えた。草原が風になびき、アンドリュー・ワイエスの絵のような光景だった。
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3人は家に戻った。
大姉さんはSさんと二言三言話をして、妹にめくばせしながら家に入った。私に「ちょっと待っててね」と言うと、妹と2人で台所にあったキッチン・テーブルを手際よく和室に運んだ。
「これ、ラケットの代わりね」
ちい姉さんが下じきを2枚用意して、姉と2人でピンポンを実演してくれた。
「ゆっくりでいいから、球が来たら、こうやってポーンて打ち返して」
私は大はしゃぎだった。下じきに当てるのが精一杯で、ほとんど返せなかったが、私が外すたびにお姉さんが大げさに「あらあら~」とか「こらこら~」と追ってくれるのが楽しくて、バカみたいに笑いながらピンポンもどきに熱中した。大姉さんがリタイアしたあとも、ちい姉さんに相手をしてもらって、飽きもせずにピンポンを続けた。

いつのまに出かけたのか、日もとっぷりと暮れた頃、Sさんが‘買い物’から帰って来た。夕飯は確か出来合いのお惣菜とお寿司のようなものだったように思う。
2人のお姉さんたちの反応から、それはいつもよりもかなり‘豪華な夕餉’だったようだ。
「もう布団敷いちゃおか?」
食事が済むと、ちい姉さんがいたずら顔で提案した。
「みん子ちゃんはいつもどんな布団で寝ているの?」
「ふんわかふんわかの、ピンクの布団」
ありのままを伝えると、2人のお姉さんは顔を見合わせて、
「きゃ~!」と嬌声を上げた。
「ふんわかふんわかの布団だって~!」
「ごめんなさいね、うちにはペッタンコのお布団しかないわ」
とSさんが苦笑しながら言うのを聞いて、私は調子に乗って「ふんわかふんわか」などと言ったことを恥じた。

よく朝、Sさんが私の髪の毛を丁寧に梳かしてくれた。
「ツヤツヤしてきれいな髪ね。ほんと、ツヤツヤ・・・」
そう褒めてくれる鏡の中のSさんの表情が、なぜか悲しげに映った。見間違いかと思って実物のSさんを振り返ろうとしたときには、Sさんはもういつものにこにこ笑顔に戻っていた。

朝食は質素だった。ご飯と焼き海苔。
Sさんは、焼き海苔を軽く醤油に浸すと、私の茶碗のご飯の上にそっと置いた。そして、お箸でご飯を海苔ごと包み込むようにして海苔巻きをこしらえてくれた。
「はい、あ~ん」
赤ん坊みたいに口を開けさせると、Sさんは私の口に素早く海苔巻きを入れた。
「あら! ちょっと大き過ぎたかしら。今度は自分でやってみる?」
醤油につけた海苔でくるんだだけのご飯。すごくおいしかった。自分でも意外なほど器用に海苔巻きを作り、巻いては食べ巻いては食べした。

朝食が終わる頃、父がやって来た。2人のお姉さんは、少し照れた様子ながらも父のことを慕っているように見えた。

自宅に戻ると、案の定、母の不機嫌な顔に迎えられた。案の定、というのは、母がSさんのことを快く思っていないことを、年に似合わず地獄耳の私はとうに知っていたからだ。
私自身はSさんのことが大好きだったので、Sさんがどんなに自分にやさしくしてくれたかを熱心に話した。髪の毛を梳かしてくれたこと、海苔巻きをつくって食べさせてくれたことなど。
「で? おとうさんは? みん子を送ってからすぐに帰ったの?」
「うん。すぐに帰っちゃった」
「Sさんは?」
「夕飯ごちそうしてくれた」
アバウトな返答にも関わらず、母はなぜか急速に機嫌を回復した。
「そう? 海苔巻きつくってくださったの? よかったわねぇ」

内職を納めに来るSさんが、いつもとびきりおしゃれをしていた──けれど子どもの目から見ても、その服装はいつも流行遅れで切なかった──ことや、内職を依頼していた人がSさん以外はみんな地元の人だったこと、そして母の不機嫌などから察するに、Sさんと父がどういう間柄であったのかは容易に察しがつく。
わからないのは、なぜあの日父は私をSさんの娘たちと引き合わせたのか、ということだ。

Sさんのことを快く思っていない母は、反対するに決まっている。だから父は泊まることを伏せたまま私を車に乗せたのだ。
Sさんと父の逢瀬のカムフラージュに利用されたのだろうか? いや、かえって不自然だ。父は自営業だ。子どもが学校に行っている間に、いくらだって工作することが可能。それに父は物凄い亭主関白でもあった。
「浮気して何が悪い」と逆ギレするタイプだ。こんな台詞は実際聞いた覚えはないが、ケチな小細工などするはずがない。

では、なぜ?
しかも、たった1度だけ。

Sさんは、未亡人。2人の娘さんがいる。でも、亡くなったご主人のお子さんとは考えにくい。いや、年齢的に、絶対有り得ない。
ぅぅぅ・・・特に上の娘さんの目。父に似ていた・・・ような気がしないでもない。

父が亡くなったとき、母は私に言った。
「Sさんにも知らせた方がいいかしら」
私はぜひそうしてと母に頼んだ。

父が仕事を畳んでからは、Sさんとは仕事上の付き合いも切れていたと思う。何十年ぶりかで見たSさんは、
相変わらずたいへん腰が低く、母に丁寧に挨拶してくれた。
内職の納品に訪れていた頃の、おしろいの匂いや真っ赤な口紅の色が強烈だったSさんの面影はすっかり消え失せていたが、おばあさんの姿になって父の焼香に訪れてくれたことが、何だかとても嬉しかった。

そんなSさんのことを、どうして最近やたらと思い出すのだろう?

もしかすると、Sさんはもうこの世にいないのかもしれない。
by vitaminminc | 2009-09-18 19:01 | Comments(0)

倅の夏休み

 この夏休み、ムスコは自由人そのものだった。

b0080718_11275134.jpg夏休みに入って早々、南房総へ。ダンナの仕事の都合で、今年は7月中に家族旅行を組まなければならなかった。
運の悪いことに、わが家の旅行と、春に転校した大阪の友だちIくんの来訪期間とが重なってしまった。
そのことを知ったときのムスコの嘆きようは傍で見ていてもかわいそうだった。
─いっそ家族旅行を捨てて友情を取ろうか─ 一瞬、そんな光がムスコの目に宿ったのを私は見逃さなかった。
聞けば、Iくんが大阪に帰るのは、ちょうどうちが旅行から戻る翌日とのこと。なんだ、まったく会えないわけではない。
ドライバー(私じゃ)の特権を行使して南房総を早めに発ち、夕方にはこちらに戻った。
 「ほら、行ってきな!」
 「サンキュ!」
家の前に停めた車から転げるように降りると、IくんとKくんへのおみやげを手に、ムスコは自転車を飛ばしてオレンジ色の夕陽の中に消えていった。
Kくんのお母さんの配慮により、翌朝ムスコをはじめ5年時に仲の良かった仲間がKくん宅に集結。最後のひとときを楽しく過ごさせていただいた。
東京駅までIくんを見送ったのは、Kくん母子とムスコの3人。
一緒に過ごす時間こそ短かったが、ムスコの友情はIくんにも十分伝わったことと思う。


b0080718_16574885.jpg友だちと遊びに行く途中、

2人乗りしていたところをおまわりさんに見つかった。

レッドカードを切られた。

奥さんに見せたら、

叱られるより、珍しがられた。

「へ~!自転車にも違反切符なんかあるんだ~!」

家計の事情と、オレの根性。

いろいろ足りないものがあったらしく、私立中受験を免れた。ひっひっ♪

だからといってそんなに毎日遊び呆けていいのかと奥さんは言ったけど、

「子どもはこうでなくっちゃいかん」とオレは言ってやった。

b0080718_1728194.jpgこのボーボー・ジャングルは、

母の日にオレとねーちゃんが奥さんに贈ったトマトの苗。

恐ろしいことに、たった1株の苗が、こんなふうに妖怪化した。

なんと、隣のうちの庭に大量発生した毛虫が、

このジャングルに大移動してきやがった!

葉は食べないで実だけを食べる。贅沢なヤツラだ。(涙)

虫食いトマトは食べられないと奥さんが嘆く。

ジャングルごと撤去してくれとオレに依頼する。
b0080718_11564468.jpg苦学生苦楽生のオイラ。

毛虫に刺されないように、合羽に身を包んでの作業。

毛虫用殺虫スプレーを合計2缶、空にした。

頑張るにはワケがある。

タダではないという話だ。

オレは汗水流して働くぜ。
b0080718_115721100.jpgトマトが植わっていない、

南の小庭の雑草も抜いてやった。

葛飾のばあちゃんからもらったお小遣いとお駄賃を合わせれば、

ゲームソフト「A列車で行こう」が買える!

鉄道王めざして、労働に燃える夏だぜー。
b0080718_11574585.jpg暑かったー。

合羽なんか着てたから、ホントもう、バカクソ暑かったー。

熱中症で死なないように、何度も水分補給させられたし。

ビッショビショになって、毛虫の巣窟、雑草、

それもひっからまったツル草と闘った。
b0080718_11593722.jpg合計3時間半。

時給にすると、300円くらいかな、1000円もらえた!

なんか、達成感ての?

あー奥さん、早く車を出してくれー。

車に乗って「A列車で行こう」を買いに行こう!
b0080718_11581842.jpgたまにはゲーセンで、でっかく遊ぶのもいいよな。

マリオカートって面白い。

オレ、このゲームはなかなかの腕なんだ。
b0080718_1204362.jpg暑すぎる日は家の中で読書。

漫画に夢中。

漫画家ってスゲーよなー。

ストーリー考えるだけでも大変なのに、

絵まで描いちゃうんだもんなー。
b0080718_129339.jpg今日も友だちが誘いに来た。

パパと奥さんは仕事、

ねーちゃんも、夏休みだというのに毎日生徒会の仕事で留守。

心配しないように置手紙を書いてったら、

かえって怒られた。

「‘遊’ぶという字もまともに書けないような奴に遊ぶ資格なし!運動公園くらい漢字で書け!」

急いでたんだから、しょーがねーだろ。

by vitaminminc | 2009-09-03 13:00 | Comments(4)

日々の暮らしに「ん?」を発見


by み茶ママ