涙腺上のエリア

 50を超した私は、よく泣く。
 人前での話ではない。私を泣かすのは、主に映画館のスクリーンだったり、本のページだったり、テレビの画面だったり。それに、現実の何気ない風景だったり。
 涙腺が脆くなったというよりも、そのエリアが拡大したような気がする。
 泣き幅(?)が、広がった。

 再放送中のドラマ「離婚弁護士」で、津川雅彦の演技(30を過ぎた娘を想う親心)に泣き、
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 同僚から借りた文庫本「永遠の0」(百田尚樹)の元ヤクザの特攻隊員のエピソードに泣き、
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 自分で購入した文庫本「ふがいない僕は空を見た」(窪美澄)の中の一話『セイタカアワダチソウの空』を読んで泣いた。
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 それだけではない。しばらく庭に姿を見せなかった外猫のミケ母さんが、誰かのはからいで避妊手術を受けたらしい、との報告をムスメから受けた日も、何時間も経ってからしみじみ泣いた。
 ミケ母さんは、毎年欠かさず出産を繰り返していたベテラン母さんだ。野良猫の場合、その出産回数と寿命とが反比例するということがわかっていながら、捕獲に失敗してばかりで、私はどうすることもできずにいた。ミケ母さんは特別賢い猫なのだ。
 だからムスメが、ミケ母さんの耳に避妊手術を施したことを示す印(耳カット)を発見したと知って、私はずいぶん嬉しかった。
 自分ではまだミケ母さんの耳を確認していない。けれど、先日少し離れた場所で、ミケ母さんがじっとこちらを見る視線の中に、これまで感じたことがないくらい、警戒心というか人間への不信感を含んでいるように感じた。あれは単なる思い過ごしではなかったわけだ。おそらく、ちょっとした格闘の末、捕獲されて避妊手術を受けたのだろう。
 どこのどなたか存じませんが、ありがとうございました。志を同じくする仲間が、少なくとも自分以外に1人はいることを再確認でき、勇気がわいてまいりました。自分は独りで闘っていたわけではないのだ。そうと知って、たいへん心強く感じております。
 術後の外猫ちゃんにどんなに嫌われたって、我々はこれからもチャンスがあれば、彼らを捕獲し、避妊手術を受けさせ、マンマを与えてまいりましょう。
 ご存じでしょうか。たぶん我々二人の手で、二度も避妊手術を受けさせてしまった(私が耳カットを拒否したせいで)にも関わらず、ずっとなついてくれていたチビハチのこと。
 あの子は、春先でしたか、交通事故に遭って、天国にいってしまいました。寂しいです。今でも仕事から戻った私のチャリンコの音を聞きつけて、どこからともなくあの子が庭に現れるような気がして、涙腺を刺激します。
 あなたのおかげで、チビハチを産んだミケ母さんは、娘の分まで長生きしてくれることでしょう。
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by vitaminminc | 2014-05-29 21:18 | 人間 | Comments(0)

きのうかきょうか

 なんてこった。
 ブログを始めて幾年月。
 これまでひとつも記事をアップしない月などなかったのに、気づけば穴を開けていた。
 いつもの年なら・・・・・060.gif4ガッツだぜ パワフル魂
                   4ガッツだぜ すいもあまいも
                     4ガッツだぜ Do the ド根性
                       私は汗かいて ベソかいて Go! ・・・・・のはずだったのに。4月が落ちてもた。パワレス虚しい。
  
 言い訳は山ほどある。外猫ちゃんの1匹、チビハチを交通事故で失ったのはショックだった。だが、それらを一くくりにして、非常にわかりやすい言葉に置き換えると──
 老化・・・・・これに尽きる。
 げにおそろしきは老化なり。この私から、体力ばかりか気力まで吸い取るとはのぉ。
 さらに、老化に比例してしかるべき知識がまったく備わっていないことを、この春私は嫌というほど実感したのである。

 自治会の班長になった。
 本来であれば、年度変わりの4月に就任するはずが、2ヵ月早く務める羽目になった。前任者(近所の奥さん)が病に伏したからだ。
 ところが就任早々、その前任者のご主人(もともと心臓を患い入院していた)が急逝。遺族の話によれば、今年は例年になく2月に亡くなる人が多発しており、連日満杯。公営葬祭場も奇跡的に申し込めたんだとか。
 班長の私は通夜・告別式の日程を確認し、急ぎ班員に連絡した。回覧だと時間ばかりかかるので、一軒一軒電話を入れて伝えた。
 不幸はつづくものである。
 その翌月、3月。今度は隣家のご主人が、入院先の病院で亡くなった。今度も班長の私は通夜・告別式の日程を確認し、班員に知らせて回った。
 誤解しないでもらいたい。私は死神でもなければ、他人の賞賛を浴びたいがために殺人に走る自己愛性人格障害者でもない。
 もともと古い住宅街の一角で、班員の平均年齢も半端なく高い。何しろこの私が「若い人」と呼ばれるほどである。だから、いつかこんな日が──香典を包む日が来ることは予測していた。
 でも、なんで今年なのか? なんでこの春なのか? あと一年、いや、せめて夏まで命をつないでほしかった。これが本音。そう、この春我が家は結婚以来、いまだかつて経験したことが無いくらい冠婚葬祭ビンボーだからである。

 本題に戻そう。
 立て続けに不幸があったればこそ、識ることができた「常識」がある。
 二軒目のご遺族が、葬儀から三日目の早朝(7時半ころ)、我家の玄関チャイムを鳴らした。そして応対に出た私に、「ああ、やっと会えた。いつもお仕事でいないから」と、大輪の白菊が顔を寄せ合う、それはそれはゴージャスな花束を持ってきたのである。
 「ああ、それはどうも、ご丁寧に・・・」
 私は困惑が表に出ないよう、必死に顔面の筋肉を操り、5キロはあろうかという立派な花束を受け取った。

 取り敢えず、水を入れたバケツに花束を浸した。家にはこんな大きな花束を生ける花瓶などない。いや、それ以上に、葬儀にお供えしていた花をもらったことなど我が人生史上初のことだったので、よからぬ考えに囚われていた。
 そう、結婚式で花嫁がブーケを投げる、あれである。
 「次は貴女の番よ!」
 そんな西洋かぶれした慣習が刷り込まれた歪んだニッポン人たる私にとって、白菊は敬遠すべきものに等しく、正直有難迷惑であった。完全に持て余していた。
 葬儀参列者には、お清めの塩が配布されるくらいである。果たして、この花は大丈夫なのだろうか?
 ムスメに話したら、ちょっとだけ苦笑いして、私の望んでいた通りの答えを返してくれた。
 「花は神聖なものだから、花に何かが憑いていたとしても、きっとそれは良い精霊だよ」

 それからさらに二日が経過した、仕事休みの朝。私はまだ生き生きとしている大きな花束を車に積んで、久し振りにポポやチャオが冥る墓地に向かった。
 家に相応の花瓶がないので、墓参がてらペット霊園の共同墓地に花を供えにいったのだ。
 亡くなった隣家のご主人は、うちのダンナと違い、動物好きの方だった。おそらくお空の上で微笑んでくれたに違いない。

 かように私は無知であった。供花を葬儀参列者にお裾分けするというのは、生前のその方の功績を称える象徴、ありがたく頂戴すべきものであることを学んだ。
 供花のお裾分けをいただいたら、家に飾ったり、仏壇がある家では仏壇にお供えして、「もうすぐ○○さんがそちらにいきますから、どうぞよろしく」とご先祖様に予めご報告したりするのだそうだ。
 「次は貴女の番よ!」を勝手にイメージしてしまった愚か者の私は、もしも高齢の母と同居の身であったなら、なんだかんだと屁理屈を述べて、受取りを拒否したやもしれず。せっかくのご遺族の厚意を無にし、近所づきあいに亀裂が生じるところだった。

 無知とは、すなわち無恥である。まだまだ未熟者の私である。
 今回は、久し振りに天国のわんにゃんたちに会いに行けて、それはそれで有難かった。
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 ※帰納(きのう)⇒個々の具体的な事実から共通点を探り、そこから一般的な原理や法則を導き出すこと。
 ※供花(きょうか)⇒葬儀に際し、お悔やみの気持ちを込めておくる生花のこと。「くげ」「くうげ」とも読む。
by vitaminminc | 2014-05-03 14:16 | 人間 | Comments(2)

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