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なんちゃってフル装備

 職場での雨降りの朝の会話


同僚「オハヨー。今日は(雨だから)バスで来たの?」

私 「いや、自転車で」

同僚「へーぇ、頑張ったね」

私 「レインポンチョに、レインハット、そしてこの・・・」と、足元を指差し、

  「ガーデニングシューズ」

同僚「(笑)あっはははははは、今日もしっかり、ハズさないでくれて・・・(笑)」

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by vitaminminc | 2014-06-23 21:34 | 笑い | Comments(0)

イナカ者とイカ者

 腐ってもトウキョ~。23区の1つに生まれ育った私の中では、ガッコの保護者会 に出席するには、スーツ着用 というのが常識だった。
 夏はさすがに上着なしでも、白ブラウスにスーツの下(スカート)という、それなりにきちんとしたいでたちでガッコを訪れるものと思っていた。
 ところがドスコイ、結婚して都落ちして住むようになったわが町においては、まったく違った。上の子が小学校に入学し、最初の保護者会を控えた私は、近所のママに、「当たり前のことだけど」と前置きし、念のため確認した。「もちろんみんなスーツで行くよね?」
 「えぇ~~~」と笑われた。「ジーパンじゃまずいけど、そこまでキッチリした格好で行く人なんていないよ」
 半信半疑ながら、「スーツだと浮くから止めた方がいい」という言葉を信じ、割ときちんとした、おとなしめの、真面目そうな服装で参加した。
 みんな結構ラフなので驚いた。なんていうのか、幼児の世話をするため動き易い服装で来るのがベターだった、幼稚園の保護者会感覚のまま、小学校にもつれ込んだ感じ。下手すると、スーツでもないのに、割ときちんとした服装でさえ浮いているような気がしたほどである。
 そして町全般において「保護者会は普段着でも可」が当たり前であったが、地球温暖化に比例するかのように、年々ラフ度が増していくように思われた。さすがに県立中高一貫校の説明会に、ジャージの上下でやってきた夫婦を見た時は我が目を疑ったが。
 ところで、ガッコの最初の保護者会で感じた違和感はどこへやら、私の中の田舎ントリー精神は、必要以上に順応し、ラフ化の一途を辿っていったのである。

 そんな田舎ントリーな私にとって、ムスコの高校の保護者会は、実に敷居が高い。校風なのだろうか。夏場であろうが、95%以上の保護者が黒のスーツで御来光ぃゃ、来校する。誰の葬式ですかってなもんである。ちなみに残る5%は濃紺もしくはダークグレーの上下である。
 そんなことを知らなかった田舎ントリーな私は、昨年第1回目の保護者会でしくじった。黒ではなく、紺のサマージャケットとライトグレーのスカートで参加してしまったのである。講堂のどこを見回しても黒ずくめであるからして、大変肩身が狭かった。下が上と違う色なので、一生座っていたかった。
 全体保護者会が終了し、ムスコのクラスに移動した。斜め前方の席に、ワークシャツにジーンズで来てしまった、気の毒なデザイナー風のおとーさんが座っているのを発見。どんなに癒されたかしれやしない。しかし、その肩は男性にしては窮屈そうで、物言わぬ背中には、「絶対うしろ、振り向きません!」という意思が殴り書きされているかのようであった。

 去年の失敗で学習した私は、今年は黒を身にまとった。が、蒸し暑い。亜熱帯化しているこの日本の夏に、上着なんて耐えられない。それでも一応、丁寧に折り畳んだ上着を持参の上、参戦することにした。
 しかし、今年は服装問題だけでは済まなかったのである。
 出がけになって、履いて行くべき黒のパンプスが行方不明であることに気づいた。当然入っていると思っていたシューズボックスのふたを開けたら、もぬけの殻だったのである。昨年11月に、義母の葬儀の際に履いたあと、一体いずこへ・・・。私は足のサイズが小さい。間違ってもムスメが履いていけるわけはないのである。
 どこを探しても見つからないので、仕方なく、別の古いパンプスを履いていくことにした。確かこれって、足が痛くなるタイプの靴だったような・・・だからこそパンプスを新調したのでは・・・? 悪い予感は的中。バス停までたった3分歩いただけで、すでにアキレス腱のすぐ下(ここも踵に入るのか?)が痛くなった。
 駅に到着してみると結構時間に余裕があった。近くのマツキヨに寄って、靴ずれ対策用バンドエイドを購入。イトーヨーカドーのトイレで両方の踵を保護すべく、応急処置を施した。
 靴ずれ用バンドエイドは高価なだけあって、クッション性に優れていた。これならどうにか耐えられるかもしれない。一縷の望みを抱くことができた。
 
 しかし、渋谷駅で撃沈。いい加減ウンザリする距離を歩かねばならない乗換途中で、右の踵に痛みが走った。バンドエイドがズレてしまったのだ。苦痛と闘いながら、「痛くない、痛くない」と自己暗示をかけて歩き続けた。
 そのうち、踵をかばうように歩いたせいで、さらに右足の小指まで痛くなってきた。もともと靴が窮屈なわけではない。むしろ若干ゆるいために足がフィットせず、踵に靴ずれが生じてしまうのだ。それに反しての小指の痛み。明らかに、締め付けられることによるものである。踵の痛みから逃れようとして、無意識に足が前方に寄り、その結果、魔のデルタ地帯(とがったつま先)に押しつけられ、小指が悲鳴を上げているのだ。
 地獄であった。小指の血流は堰止められ、うっ血し、じんじん痺れてきた。しかも、小指を犠牲にすることによって踵の痛みが軽減することはなく、ズル剥けはing形なのである。
 
 ガッコに着いた。校舎までの並木道が永遠に思われた。教室までの廊下も永遠に思われた。
 痛みのせいでにじみ出た脂汗は引くことを知らない。従って、誰もがきちんとスーツの上を着ている中、私だけが白いブラウスで光り輝いていた。もうどうでもよい。
 担任登場。白Yシャツに、ライトグレーのスラックス。上着など着用していない。私は指差して叫びたかった。
 「ざまあ御覧ください、先生も正しく肌で季節を感じておいでです! 夏仕様です!」
 私の心の叫びは教室に響くことはなく、担任が型どおりの挨拶を始めた。ところが、話の途中でいきなり話題を変えたのである。
 「教室、暑くて申し訳ありません。室温を26度までしか設定できないようになっているもので・・・」
 クラスの特徴などを話していたはずなのに、なぜ急に?
 まもなく、せわしなく動くものが私の視界に入ってきた。
 それは、私の左手に持たれて私の左手首によって高速前後運動を続けている扇子であった。
 一瞬だけ体感温度が下がった。私はそーーーーっと扇子を畳み、そーーーーーっと机の端に置いた。そして、そーーーっと黒目だけを左右に動かして、周囲の様子を窺った。ある人は机の上に上品に置いた両手を聖母マリアのように組み、ある人はしゃんと背筋を伸ばして担任の言葉に聞き入り、またある人は自前の手帳に自前のペンで何やらメモをとっていた。
 私の体感温度は確実に20度上昇し、完全に発熱状態に陥った。
 しかし、やがてスーーーーッと平熱に戻る事態が起きた。担任が、定期テストの成績表を配ったのである。
 驚いたことに、いや、予想通りというべきか、わがムスコの成績は、数Bただ一教科をのぞき、ほかはすべて、見事なまでに、きれいに平均点を下まわっていたのである。
 ヤリイカ、アオリイカ、スルメイカ・・・イカにもいろいろあるけれど、
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 うちのムスコは、平均イカ。

 帰りは妄想で痛みを紛らわせるしかなかった。
 もう、右の踵は血まみれに違いない。昇りエスカレーターで私の後ろに立つ人は、さぞかしドン引きしていることだろう。
 もう、右足の小指は、壊死しているに違いない。家に帰ってストッキングを脱いだら、つま先に、もげ落ちた小指だけが残ることだろう。
 歯を食いしばって歩く凄い形相を人に見られたくなくて、復路はこの暑いのに、マスク着用で帰った。

 うちに着くなり、恐る恐るパンプスを脱いでみたら、小指が赤くなって、アキレス腱下の踵は薄皮が剥けただけだった。血も滲んでいやしない。どれだけ痛みに弱い体質なのか。
 それにしても若いころ、よくもこんな非人間工学的履物を履いて歩けたものである。
 あの頃私は痩せていた。体の重さを分散させるには、足の小さい私は不利である。いっそ一年中雪駄を履いてはどうか。などと屁理屈こねてないで、真面目に減量してみるか。
 「奥さん、もうやめて!」
 「頼むから、もうそれ以上痩せないで!」
 子どもたちが手に手に握り飯を持って私にすがりつく姿を妄想し、ふとズル剥けた踵に目をやる夏の午後。
by vitaminminc | 2014-06-21 17:26 | 人間 | Comments(0)

御目に掛ける

 漢字を2つ並べると、それなりの表情の顔に見えてくるからオモチロイ。


 (白.白;) 白い目で見る

 (無.無;) ~に目がない

 (長.長;) 長い目で見る

 (皿.皿;) 目を皿のようにする

 (日.日;) 日の目を見る

 (裏.裏;) 裏目に出る

 (毒.毒;) 目の毒

 (黒.黒;) 目の黒い内

 (脇.脇;) 脇目も振らず

 (猫.猫;) 猫の目のように

 (回-回;) 目が回る

「無」とか「黒」は、下まつ毛が少女マンガっぽくて好き。

「長」は表情豊か。重そうな三重瞼の下で、薄目開けてチラ見している。

「毒」も、かなり困りきっていて、憎めない。




 (鱗.鱗;) 目から鱗が落ちる     けっ・・・ケバい!

by vitaminminc | 2014-06-13 22:30 | 趣味 | Comments(0)

100-70=30

 ムスコが、高校で採血有りの健康診断を受けたのが、今年4月の第一週。
 「なんかオレ、血液引っ掛かったらしい」とムスコから報告を受けたのが、5月の第一週。
 「明日放課後、校医のところに行くよう、今日担任から言われた」
 不安に駆られた我々両親は、「ラーメンばっかり喰ってるからだ」とムスコのラーメン大好き小池さん的嗜好をなじった。ラーメンと白血球の数とどう関係があるんだと反論するムスコに、「食生活を甘く見るんじゃない」と我々両親は口々に説教した。
 「塩分・脂肪分の摂りすぎは栄養バランスを崩し、免疫力にだって影響するのだ」
 「おまえの将来は確実にメタボだ」
 翌日、校医から渡された手紙を読んだ我々両親は、益々不安に駆られた。「要再検査項目」として、「白血球数」の値が基準値をオーバーしている旨、記されていたからである。
 毎年会社で受ける健康診断の説明書を取り出して、オットが言った。
 「これによると、成人男性の場合になるけど、9500くらいまでだな、基準値の上限は」
 ムスコの数値は13800だった。
 「あ、でもまだ未成年だし、白血球の数って風邪をひいただけでも結構高くなるんだよね」とさり気なくなだめる私とは対照的に、オットはムスコに追い打ちをかけた。
 「ラーメンばっか喰ってるからだ!」

 私は一刻も早く再検査を受けさせたかったが、ムスコが頑なに拒んだ。
 「大体そんなに深刻な事態だったら、オレなんか介さずいきなり親に連絡がいくはずだ」と、やれ部活(大会含む)だ、親戚の結婚式はいたしかたないとして、やれ定期テストだ、と先延ばしにすることおよそ三週間。
 それまでは自覚症状がなかったものの、5月の半ばからは変な咳まで出る始末。
 結局ムスコを医者に連行することができたのは、5月も下旬にさしかかろうという頃だった。
 「咳が出ているうちは正しい白血球数は出ないよ。微熱もあるし。風邪引いてると白血球数、上がるから」
 「でも先生、このような咳が、もう二週間近く続いているんです。風邪なんでしょうか」
  そりゃ百日咳かマイコプラズマか、咳の原因を特定する必要がある、血液検査せにゃならん、ということで、この日は検査結果が出るまで7日分の抗生剤や鎮咳薬が処方された。
 微熱まであったなんて・・・。ムスコには、ラーメン禁止が言い渡され、代わりに免疫力を上げるために、やたら乳酸菌がふるまわれることとなった。
 一週間後、医師に検査結果を見せてもらった。幸い白血球数は基準値に戻り、熱も平熱に下がっていた。ただ、ゲホゲホ、コホコホというスタッカートな咳だけが続いていた。
 「この赤字で示された2項目、PT(百日咳毒素)とFHA(線維状赤血球凝集素)の数値だけが高いのわかる? まず百日咳で間違いないね」医師が太鼓判を押す。
 「おそらく三種混合は受けてるはずだから──受けてるよね?」
 「受けてます」と私。そうかそうか、三種混合って、ジフテリアと破傷風はすぐ思い出せるんだけど、あと一つがいつも不確かで──それが百日咳、おまえだったのか。
 「その免疫力が切れたか、型が違ったかして、もらっちゃったんだろうね」と医師。
 「え? まだムスコ16ですけど、もう免疫、切れちゃうものなんですか?」
 「うん、人によっては。白血球の数値が高くなってたのが、4月の頭? てことは、もう2ヵ月は罹ってるか。100-60=40(笑)あと1、2ヵ月は続くと思うよ。長いんだ、百日咳というだけあって」
 「はぁ」苦笑するムスコ。
 「先生、やはり周囲の方にうつしたりしますよね」念のためムスコにマスクをさせてはいたが、それでも心配になって私は訊いた。
 「う~ん。誰か周りで咳が出るようになった子、いる?」
 「いや、誰も」とムスコが答える。実際、咳を撒き散らされたにも関わらず、我が家は皆無事。
 「乳幼児がいたら気をつけてあげないといけないけど、基本的にキミたちくらいの子はみんな三種混合受けてるからね、罹りにくいといっちゃ罹りにくいんだよ、大人よりは」

 家に帰って母子手帳を確認。やはり第Ⅰ期3回、追加で1回、計4回接種している。
 ネットでも調べた。ワクチン接種による免疫の持続期間は、4年~12年。だいぶ開きがある。ムスコが4回目を受けたのは、平成12年の10月。今から14年程前? ゲゲッ! とっくに有効期間、切れてるやんけ~!
 国立感染症研究所の調べによると、2001年には百日咳で成人の占める割合が、わずか2.8%だったのに、10年後の2010年には56%に達し、以降増加の一途を辿っているという。これは世界的にも同様で、ワクチン接種により患者数が減ったことで、自然罹患による追加免疫を得られない世代が増えたことが、成人の感染者が増加している理由らしい。
 今回感染したムスコは、「自然罹患による追加免疫を得られた」ことになるのだろうか。
 それにしても、体力ある。私なんかこれだけ咳が続いたら、もう消耗し切って寝込んでいるに違いない。
 ムスコは違った。体力測定で1500m走るわ、部活での筋トレ、走り込みは当たり前にこなすわ、恐るべき10代パワーである。
 身近に乳幼児がいなかったのが何よりだった。現在百日咳の特効薬がないことから、相変わらず咳を鎮める薬だけ飲み続けてはいるが、ムスコの咳もだいぶ減ってきた。
 100-70=30、あと三十日咳。
ムスコはまた週一の割で「ラーメンを食わせろ」とうるさい。咳よりずっとうるさい。

 


by vitaminminc | 2014-06-12 19:49 | 健康 | Comments(2)
 前回の記事で反省したのも束の間。煩雑な時間に追われ、またもや母に電話を入れないまま三日ほど経った夕方。母の方から電話がきた。
「あの、どうしても耳が聴こえなくて。米寿のお祝い、やっぱり補聴器がいいんだけど」
 うへぇ~~~と思った。なぜなら、補聴器に関しては、すでに何回も試した結果、『どうもうまくいかない』『いまはまだ聴こえる範囲内』『今作ったとしても症状が進むたび買い替えることになる』との結論に達し、しばらく様子を見るということに落ち着いたはずであった。
 補聴器関係だけでも、4回は試している。
 1回目は、テレビの音がよく聴こえる、という集音器。私が母にプレゼントしたものだが、あまり役に立たないようなことを言われ、今ではどこにいったかも不明。
 2回目は、母が自分で新聞広告を見て、「これが欲しい」と指定した補聴器。聞いたことのないメーカーだったが、「使用後でも返品可」だったので、私が注文。そしてそれが届くと同時に母の住む葛飾まで往復5時間近くかけて出向き、装着具合や聴こえ具合を確認した。
 この時は、補聴器の付属品である耳栓(型とサイズの異なる6種類)すべてが、母の耳の形状にまったく合わないという、聴こえる聴こえない以前のあり得ない問題があって、早々に返品(送料は私が負担)した。
 3回目は、カルチャースクールで一緒になる人が使用している補聴器。母がその方に尋ねたところ、誕生日に息子さんからプレゼントされたものらしい。
 母は、そのメーカー名をしっかりメモしていた。有名な音響機器メーカーP社であった。
「会社がわかっても、そこで取り扱っている補聴器はピンからキリまであると思うよ」
「その息子さん、読売新聞の広告を見て買ってくれたそうよ」
 ならば話が早い。私も母のために、何かいいものはないものかと、日頃から「補聴器」という文字には敏感に反応するようになっていた。先日切り抜いた新聞広告を確認したところ、それこそがP社の補聴器にほかならなかった。
 私は兄・イチローにメールした。今度はアナタの出番です。広告のあらましを入力し、母に代って注文してあげなはれと伝えた。
 後日兄から電話あり。
「P社に問い合わせたら、ごく初期の、軽い症状の人向きだって言うんだよ。お母さん、前に耳鼻科で聴力を測ってもらったら、中の上って言ってたろ。全然ダメ。注文しなかった」
 そののち、イチローは母を連れて、補聴器専門店にも行ってくれた。ずいぶん時間をかけ、いくつかの補聴器を店で試したらしいが、いずれも芳しくなかったという。
「高けりゃいいってもんでもないらしいんだよね」とイチローが私に言い訳(?)したのを裏付けるかのように母は感想を述べた。
「片方10万円の、その店では一番安いものしか試させてもらっていないけどね」
 いやいや、おかーさん。「20万もしたのに」とか、「50万円もかけたのに」と嘆く人は実際多いですよ。イチローが言うのはまんざら間違いじゃないんですよ、おかーさん。

 そんな母が、最後の頼みの綱としている補聴器の情報は、下記のごとくである。

 1.地元の文房具店に来る客の、知り合いの知り合いが使用 
 2. 使用者は、区の広報に載っていた広告を見て、その補聴器を購入したらしい
 3.高額なので、片耳分しか購入していないそうだ
 4.片耳だけとはいえ聞き取れるようになったからか、うつ病みたいだったのが見違える
ほど 明るく積極的になったらしい
 5.店に行ったのではなく、わざわざ家に来て測ってもらったらしいから、その人の足が
   不自由なのか、または店のサービスがすこぶるいいのか?

 母が最初に私にこの話をした時に、私は母に言った。その快適な補聴器を実際に使っている人がわからなくても、「言い出しっぺ」=つまり、知り合いの知り合いだという、文房具店に来た客が特定できさえすれば、必ず使用者に辿り着ける。もう一度よく確認してみたら?と。
 よほど耳の聴こえに不自由しているのだろう、母はわざわざ買う物もないのに、もう一度文房具店に行って確認したという。
「ごくたま~にしか買いに来ない客だから、どこの誰かもわからないんですって」
 解せぬ。ごくたま~にというのは、誰かが死んだ時に香典袋を買いに来る程度なのか?『耳が遠くなった』ことを話題にするくらいである。そこそこお齢をめした方のはずなのに、あの狭い下町で、古くから営んでいる文房具やのおかみさんが、その客のことをどこの誰だかわからないとは。
 母よ。貴女は単なるリップ・サービスに食いついてしまい、文房具やのおかみさんを焦らせてやいませんか。
 まあ、そんなことはどうでもいい。肝心の、母からの電話の話。
「インターネットとかいうので、その補聴器を取り扱っているお店、簡単に調べてもらえるんじゃないかと思って」
「私が? 簡単にって簡単に言ってくれるけど、店の名まえもわからないんでしょう?」そんなに暇じゃねーんだよと思いつつ、ああ、そうかと独りで合点した。
「区の広報に広告を載せていたなら、葛飾区内に限定できるよね。それでも、補聴器を取り扱う店って結構多岐にわたるんだよ。私の職場の近くなんて、宝石店でも補聴器取り扱ってるもの」
「あのね、みん子ちゃん、確か錦糸町からお店の人が来てくれたらしいのよ」
 はぁ? 補聴器使用者にとって赤の他人である、ごくたま~に来る客が、そんな具体的な町名を?
「ちょっと待ってよ。錦糸町なら、葛飾じゃないじゃない。錦糸町は確か墨田区だよ。情報が雑すぎるよぉ」
「でも、もしかしたら姉妹店なのかもしれないし」
 だから何という店の!? いいえ、おかーさん。一番大切なことをお忘れです、おかーさん。
 補聴器は、Aさんの耳に合ったからといって、Bさんの耳にも合うとは限らないのです。
 私が家事を投げうってリサーチしたところでですよ? そこが正しい店なのかを判断する術もなければ、そこで注文する補聴器がおかーさんの耳にも合って、おかーさんも見違えるように明るくなっちゃえるという保証は、ないに等しいのではないでしょーかね、おかーさん。
 
 あぁ、まただ。母と電話で話した後は、どうしてこう後味が悪いのか。私がドバイの億万長者で、とっかえひっかえ金に糸目をつけず、最高級の補聴器を、クリアに聴こえるその瞬間まで、百万回でも試させてあげられたらいいのに。
 何もしてあげられないもどかしさ。必ず自己嫌悪に陥る。母に電話を入れ忘れるのは、もはや自己防衛本能としか思えない。
 電話で私と話す分には、さほど聞き取れないこともないそうで、不自由はないという。FAXを送信されるよりも、声の便りの方が嬉しいという。
 実際、「え?」と言われた時以外、七割は普通のボリュームで話していられる。
 一方、大好きな話し方教室で、発表している人の話が聞き取れないのが余程辛いと見える。発表した人に、適切な感想を言ってさしあげられないからだろう。
 話は「音」としてのみ聞こえて、何を言っているのかわからないそうだ。だから、耳鼻科での聴力測定も、「重度」とは診断されず、軽度と中程度の間くらい、になるという。
「ピーーーーという音は聞こえるから、ボタン押すでしょ、そうすると先生に『それほど悪くないですね』って言われちゃうの。いつもは人が何を言っているのかもわからないのに」
 聞こえはするが、聞き分けられない。これが難聴。

 後ろめたさのあまり、その晩リアルすぎる夢を見た。私は新入社員で(ああ、ここはリアルでないですけど)、ある企業から内定をもらい、早々と新人研修に参加していた。
 30人ほどが長方形になってテーブルを囲み、グループ・ディスカッション形式で研修している。なぜなのかわからない。発表者の声は聞こえているのに、何を言っているのか話しているのか、さっぱり聞き取れない。両隣も向かいの新人も、みんながみんな熱心にメモをとり、すぐさま自分の意見をまとめては挙手を争っている。
 私は自分の耳を手のひらで何度も押したり、耳たぶを引っ張ってみたり。聴力の回復を期待してみるが、一向に聴こえない。一人、また一人と意見を述べていく。誰一人として私が問題を抱えていることを気に留めやしない。誰が何を話そうが、街中のざわめきにしか聞こえない。まったく聞き取れないのだ。
 自分独りだけが、暗闇に取り残されていくような気がした。内定を取り消されるどころか、自分自身の存在を取り消されるような、底なしの恐怖。ついに心臓が悲鳴を上げた・・・と思ったら、目覚ましの音だった。
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「高齢者疑似体験」を導入している自治体や企業のニュースを見たことがある。思うように膝を曲げられない拘束具や、視界が狭まったりぼやけて見えるゴーグルなどを装着し、身をもって高齢者の
不自由さを理解しようとする試みである。

 聴力に関しては、私は夢の中でしっかり疑似体験した。これは何というか、とにかく本当に、
    しんどい。

by vitaminminc | 2014-06-12 11:37 | 人間 | Comments(0)

照れポート

 一昨日の晩のことだ。
 忙しさにかまけて、つい母に電話を入れるのを忘れてしまった。電話をしよう、電話をしようと思いながら、一日一日と先延ばしになっていただけに、寝床に入ってからさすがに自己嫌悪に陥った。
 別に用があったわけではない。なんだかんだと一週間以上声を聞いていなかったので、朝の時点では、仕事から戻ったら母に電話するつもりでいたのだ。
 どうして忘れられるんだろう?
 職場にシフト表を提出するたび、母に電話を入れ、翌月中旬以降の予定を確認してきた。コーラスや話し方教室、さらに整形外科や眼科にも通っている母のスケジュールに合わせ、仕事の休みをいれるためだ。
 そうしたところで、必ず母に会いに行けるわけではない。母と同じ日に休みがとれたにも関わらず、家でたまりにたまった家事と格闘したり、たまりにたまった疲れを消化するため爆睡してしまうことの方がむしろ多い。
 休みを確認しておきながら、実際には会いに行けないまま2ヵ月が過ぎたせいだろうか。性懲りもなく母の休みの日を確認した次の日、今度は母の方から電話が入った。
「あのね、いつも私の休みに合わせてくれているけれど・・・」と母は申し訳なさそうにいった。
「こちらは趣味とボケ防止でやっていることなんだし、これからはみん子ちゃんの休みに合わせてもらえばいいから。お仕事のほうがずっと大事でしょ?」
 それまでは、私が仕事で休みをとりにくい曜日に限って母のオフであることが多かった。合唱コンクールや話し方の発表を控えている時などは、何週間も前であっても母は休みたくないと主張した。私ももちろん母の趣味を大切に考えていたので、自然いつも自分のほうで調整するかたちになっていた。
「どうしたの? 急に。こっちは予め休みを決められるんだから、お母さんの習い事を優先してくれて構わないのに」
 2ヵ月も高齢の母を放っておいた後ろめたさに小突かれるように、私は母に訊いた。
「なんだかね、私も会える時に会ってもらわないといけない齢になってきたし・・・」
 そう。母は間違いなく高齢者。今年の4月で満88歳、米寿を迎えた。見た目が若いから、つい忘れたくなるが、去年あたりから耳もだいぶ遠くなってきた。体調が比較的よいときと、そうでないときとの差が、かなり精神面に影響を及ぼすことにも気づいている。
 頻繁に会えないのなら、せめて毎日電話の1本くらいかけてあげればよいものを、それすらも忘れてしまう自分に嫌気がさす。
 こちらもこちらで自分の子どもの世話(ムスコが4月の健康診断に引っ掛かり、再検査のため二度医者に連行)に追われていたというのが、今回の親不孝の言い訳の一つ。

 昨日は、電話を入れるタイミングを逃す前に、しっかり電話を入れた。
 母はなぜかいつもより元気な声だった。
「あら~、ゆうべ来てくれたと思ったら、今日は電話までくれて」
「え?」
 私は母の元へ行っていない。一瞬で蒼褪める。
「ゆうべね、お布団に入ってから、しばらく寝つけないでいたら、みん子ちゃんが私のベッドの足もとにちょこんと座ってたのよ」
 母はおかしそうに、そして嬉しそうに話す。
「夢で見たの?」
「それが、夢じゃないのよ。『あら、わざわざ来てくれたのね』って私、話しかけたんだから」
「確かに私だったの?」
「うん。みん子ちゃん」
「私、生きてますけど、枕元に立ちました?」
「ベッドの足もとに、座ってた(笑)」
「でも私、まだ生きてますけど?」
 母はなおも嬉しそうに続ける。
「それで私、このままじゃ暗いわね、と思って部屋の電気をつけたのよ」
「うんうん」──なんだかドキドキする。
「そうしたら」
「そうしたら?」
「誰もいないの、不思議なことに」
「何かを見間違えたんじゃないの?」
「確かにみん子ちゃんだったわ」
「会話したの?」
「う~~~ん、眠れないなぁと思っていたらすぐそこに気配がして、振り返ったらみん子ちゃんが座っていたのよ。だから『あらぁ~、わざわざ来てくれたのね』って」
 少し泣きそうになった。
「お母さんが見たもの、なんかお化けみたいじゃなかった? ゾッとするとかなかった?」
「全然。きれいなお着物きてたわよ」
「えぇ!! きもの!?」
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「いえ、洋服。赤くて、いろ~んな柄の入った、きれいな服──」
「よかった~、みすぼらしいなりしてなくて」(って、そういう問題かい)

 母には、ちょうど昨晩母のことを考えていたから、私の意識がそちらに飛んだのだろうと話しておいた。元気にしてるかなぁとか、足は痛くないかなぁとか、そういう気持ちの現れだろうと。
 瞬間移動(テレポート)とか幽体離脱とか、レビー小体認知症(症状の一つに幻覚が見られる認知症)とかが頭をかすめた。が、母は今のところ、自分が見たものが、限りなく現実に近いであったことを自認している。さらに、その不思議な体験を楽しんでもいる。いきなり医者に連れていくのは時期尚早だろう。
 ここはこまめに電話を入れ、母の言動を注意深く見守っていかねば。今月下旬には実父の十三回忌も控えている。おとーさん、どうか母の正気をお守りくださいぃぃぃ!

「また近いうちに、きれいなベベ着てお邪魔しますね、お母さんの枕元に」
 私が冗談をいうと、母も明るく応じた。
「いつでもいらしてね041.gif
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by vitaminminc | 2014-06-04 11:28 | 健康 | Comments(4)

男子ing!& 立ち漕ギャル

 男性のふとしたアクションが、女性にとって萌えポイントとなることがある。
 
 その筆頭に挙げられるのが、有名な「壁ドン」である。

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 壁を背にした彼女と至近距離で向き合い、彼女を挟み込むように腕を伸ばし、壁に「ドン」と手をつくアレのことである。自分一人で彼女を囲い込み、完全に支配し、逃がさない。誰にも邪魔させないよ、てなポーズである。
 これらの光景は、高校の休み時間の廊下あるいは電車のドア付近などでよく見られる、青春の1シーンだが、ケッ、そんな大げさにガードしなくたって、誰もオメーの彼女なんかさらいやしねーよ、と言いたくなるが、これは若い女子にとってはたまらないらしい。ど~りで少女漫画では定番のお約束ポーズなわけである。
 ところで、若くないおばさんである私にとっての萌えポイントは、そんな静止画像のようなものとは違い、実に健康的である。なぜなら、自転車の立ち漕ぎだから。
 しかし、萌えポイントとなる条件は、意外に細かく、案外厳しい。すなわち、

 条件1. 中高生男子に限る
 条件2. 夏の学生服(白Yシャツ+黒ズボン)着用
 条件3. 10代らしく気持ち良い痩せ方をしている(病的不可)
 条件4. オーソドックスなハンドル及びサイクルは27インチ以上
 条件5. 白Yシャツの袖を肘あたりまで腕まくりしている
 条件6. 黒髪でなくてはならない

 チャリの立ち漕ぎは「ダンシング」と呼ばれ、れっきとした有酸素運動として着目されているようである。
 そういえば、2、3年くらい前から、ずーっと立ち漕ぎしっぱなしのダンシング族を街中で見かけるようになった。見るからに減量を目的とした人びとである。彼らは除外される。なぜなら、そのような人びとの中に10代はまずいないし、カッコイイとは思えないからである。
 某テレビ番組の名物キャラ桐谷さんみたいに、《ずーっと》ではダメ、見る者を疲れさせてはいけないのである。 
 では、どのような立ち漕ぎが理想なのか。それは、加速度的立ち漕ぎである。
 交差点の信号待ちなどで停まっている状態から漕ぎ出す際に、ごく自然に上体が持ち上がる姿勢、あのアクションのことである。せいぜい左右合わせて6~8漕ぎか。速度を得るための自然な動作なので、時間にしてわずか10秒。
 観察してみるといい。中高生男子というのは、実によくコレをやる。力むわけではない。自意識過剰な彼らにとって、力むなんて絶対有り得ない。ただ、他人より遅れを取らないためだけに、人波にうまく乗るためだけに、自然に出る行動なのだ。
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 立ち漕ぎの美しいシルエットの条件として、両腕は限りなく真っ直ぐに近く、ごく緩い「く」の字であること。自転車のサイズが本来の身長に合っていないと、腕がしなやかに伸びない。よってあまり美しくないので、適正サイズの自転車に乗っていることが必須条件となる。
 実は、中高生男子の立ち漕ぎ姿に見惚れたきっかけは、ほかでもない、わが馬鹿ムスコのソレを見たからであった。
 あれは今から2年前。ムスコ中3の夏であった。
 その日、私とムスコは、どこかの私立高校の説明会に出席すべく、自転車で駅に向かっていた。
 かあちゃんと駅までツーリングしている情けない姿を、この世の誰にも見られたくない、自意識過剰な年頃だったムスコ。赤信号が青に変わるたびに、やっと追いついた私をいち早く引き離すべく、27インチチャリの上に伸び上がっては立ち漕ぎした。
 それでもあまり腹が立たなかったのは、その姿が優雅で美しかったからである。
 ここまで言い切ると、親馬鹿を通り越して間違いなく馬鹿親である。読んでくださっている希少な方々もどん引きしているに違いない。
 ただ、美しいと感じたのは、あくまでもそれが後ろ姿だったからである。正面からだったら、中3というより社会人3年目にしか見えなかったであろうムスコは端から対象外である。
 後ろ姿のムスコは、でかいくせして少年らしく痩せていた。その細い肩と長い腕に、ほんのわずか守ってあげたい、などとわが無垢なる母性が大いに勘違いしたせいであり、風をふくんで少し膨らんだYシャツの白さが、夏の紫外線よりも強くわが老眼を射抜き、眩惑させたのである。
 だから条件7. には、「後ろ姿に限る」という文言を追加しておく必要がある。
ネットの立ち漕ぎ画像の中に、立ち漕ギャルの姿を発見した。女子の美しい立ち漕ぎ姿というのは、分母が小さいため、そうそうお目にかかれるものではない。
 いや、待てよ。別に男子中高生に限らずとも私の場合、女子中高生であっても全然OK、萌えポイントであることに変わりはないようだ。
 これは公平というより、私がオッサン化しているだけなのか。
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by vitaminminc | 2014-06-03 18:52 | 趣味 | Comments(0)

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