書道着

b0080718_17234852.jpg 3年生の息子の連絡帳に、「見ました」というサインをする。
 宿題をやり、持ち物を揃えるのはもちろん息子自身がすることだが、連絡帳の持ち物のところに「書写の用意」と書いてあった日だけは、私も動く。翌日の服装の準備。黒、黒、黒の用意。
 
 3年生になって初めて墨汁を使う日、私はうっかりして「黒装束」の用意をすることを忘れてしまった。泣きを見た。汚れてもあまり惜しくないようなお下がりの服はたくさんあるのに、よりによってなぜこの服が・・・? というくらい、墨だらけになって帰ってきた。
 思えば上の娘のときも、書道の日は黒と決めていたではないか。娘自身はほとんど汚さない子であったが、後ろの席の男の子が振りかぶった筆先を肩に受けて以来、ずっと書道の日は墨汁対策として、黒を着せていた。
 男の子は(うちの息子は)汚す。汚れても惜しくないというレベルをはるかに超えて汚す。外に着て出れないくらい、とにかく汚す。とてもじゃないが、黒以外は着せられない。でないと、書道初日に着ていった服同様、全部「パジャマ」行きだ。

 そうは言っても、ほっぺや足の脛にまで墨をつけて帰ってくる息子を見ると、かわいくて仕方がない。だから思う存分墨と仲良くなれるように、連絡帳に「書写の用意」とあった日は、母は嬉々として翌日の服の用意をする。黒、黒、黒。
 「この墨、○○くんにつけられちゃったの」──なんて、‘加害者’になってなけりゃいいけど。あの派手な汚し方からして、ちょっと心配である。
 どうか息子の近くの席の子が、みんな黒の書道着でありますように!
 
# by vitaminminc | 2006-06-23 17:53 | 子ども | Comments(2)

草取り物語

 一昨日。
 私を草刈に駆り立てたもの、それは何か。──鈴香容疑者である。秋田の小学一年生男児殺害の、あの悪魔である。
 最近ワイドショーで、鈴香容疑者を知る関係者が語ったところによれば、鈴香容疑者の家の周りは、「毎年春先から夏のあいだは草ボーボー」だったという。草を刈るよう注意しても、返事ばかりでちっとも草を刈らない。なのに今年に限ってはなぜか「除草剤でもまいたのか」、まったく草が生えていない、と不思議がっていた。やがて詰め掛ける報道陣のカメラを意識してのことだったのか。確かに、テレビに映し出される家の周りは、妙に小ざっぱりして見えた。

 まあそんなことはどうでもいい。「草ボーボー」というコトバに、私は反応した。なぜならその形容は、そのまま我が家の周りにもあてはまってしまったからである。とんでもないことである。何の罪も無い子どもを殺す悪魔、今自分がもっとも嫌っている女の本来の姿と、「草ボーボー」でつながるわけにはいかない。一緒にされてたまるかと一念発起した私は、草むしりを実行した。それも、おそらく悪魔女が使ったであろう除草剤は使用せず、正々堂々額に汗して草を刈る行動に出たのである。自分でもわけがわからない。それが私のこだわりであった。

 蒸し暑い日であった。やぶ蚊の猛攻から逃れるために、サウナスーツを着て草むしりをやった。自殺行為である。スーツの内側には、チャプチャプ音をたてるほどの汗。死んだらおしまいなので、お茶を飲み飲み、もくもくと草を刈った。毛虫と遭遇した。ミミズとも遭遇した。午前中いっぱいかかって、家の周囲から「草ボーボー」をなくした。

 午後。息子が帰ってきた。
 「外、きれいになったでしょ?」
 「え? 気づかなかったけど?」
 夕方。娘が帰ってきた。
 「家の周り、見た? スッキリしたでしょ?」
 「え? 真っ直ぐ玄関にきたから・・・」
 夜。ダンナが帰ってきた。
 「家の周り、見た? 草むしりしたんだけど」
 「暗くて見えるわけないだろ」
 子どもたちは賢明だった。私がへそを曲げないように、すぐに外に見にいった。でないと次回から自分たちが草むしりをさせられるハメになることを知っていたからである。
 「ああ本当だ、すごくきれいになったね!」
 必死になってほめてくれた。
 翌朝。ダンナはしぶしぶ家の前を見て言った。
 「きれいになったというより、ようやく周りの家と同じになったよな」
 カチン。くそジジイ! と叫ぶ代わりに私は言った。
 「うちはほかの家みたく、ご主人が草取り手伝ったりしないからね!」
 一度も庭の草を刈ったことのないダンナは、みなまで聞かず、ぴゅ~と風切って出勤していった。こんな張り合いのない家族を前にしたら、わけのわからない信念も、滝の汗とともに流れ落ちるというものだ。

 本日。仕事帰りに「除草剤」を買った。そして、‘目も覚めるほどきれいになった’家の周囲に、除草剤の粒をまいた。なんだか花の種でも蒔いてるみたいに、ちょっと楽しい気分になった。
 
 
# by vitaminminc | 2006-06-22 20:11 | 人間 | Comments(0)

Lの字

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               伊能大図彩色図/111→
                 「遠参~浜名湖」
               国土地理院HPより拝借 


 昨日未明。
 8才の息子に起こされた。一緒に寝ているダブルベッドの足元に、ちょこんと正座して言う。
 「なんかボク、おねしょしたみたいなんだけど」
 「えぇ? 寝汗じゃないのぉ?」
 「ほんとほんと」
 「どこにぃ?」
 「このへんに」
 息子が寝ていたあたりに恐る恐る手を伸ばすと、確かに湿った綿毛布が指先に触れた。
 「穿いてたズボンやパンツはぁ?」
 「まだ穿いてるけど」
 「なんでぇ~? 早く脱いで、着替えなよぉ」
 なんでオシッコで濡れたパジャマのまま、ベッドの上を移動するのか。被害が拡大するではないか。
 それでも息子は慌てない。恥ずかしがりもせず、分析している。
 「多分、爆睡してたからだと思うんだよね」
 何がたぶん、だ。理由はそれしかないだろう。
 「夕べ寝る前にお茶飲みすぎたんじゃないの?」
 「そうかなぁ」あくまでもとぼける。
 私もようやく起き上がり、濡れた毛布を一階にある洗濯機の中に入れに行く。梅雨のこの時期に大物洗いとは・・・。物笑いと大物洗い、なんか親戚みたいだ。

 おねしょは誰もが知ってのとおり、睡眠中に排尿してしまうことである。幼児から小・中学生と成長するに連れ、排尿器官の成長や抗利尿ホルモンの正常な分泌などにより、おねしょはしなくなっていく。
 が、膀胱に尿が溜まっている状態であるにも関わらず、眠りが深くて目が覚めないでいると、たいていの人は放尿する夢、またはトイレに行く夢を見て、「一時しのぎ」をする。これは、
    【尿意により放尿したい肉体】vs【尿意により目を覚ましたい精神】
──が見せる夢なんだそうだ。(フリー百科事典Wikipedia「夢との関係」より)
 つまり、精神・神経の成長とともに、尿意を催せば普通は目が覚めるようになり、仮に目が覚めずに夢の中で放尿したとしても、実際に布団を濡らす事態には至らないようになっていく。
 ただし、おとなになっても寝小便が続くようだと、「おねしょ」は「夜尿症」と呼ばれ、病気のひとつに数えられるようになる。しかも夜尿症は、本人自身の問題というよりは、母親のせいにされがちだ。すなわち、やたら神経質だったり潔癖症だったりする母親に原因がある場合が多い、なんて書かれている。
 う~ん・・・神経質とか潔癖症なんて聞くと、私は逆に憧れてしまうなぁ。幸か不幸か、こんな母を持つ息子の地図、単発ものに違いない。

 その朝は、残りわずかな睡眠時間を惜しむかように、親子水入らず(だけどお小水入りの)布団の上で、「Lの字」になって眠った。よりによって、ベッドのど真ん中に湖をつくるとは!
 おねしょした子どもに対する母親のタブーは、「叱る」ことだという。無視無視、私は叱ったもんね。
 一.「寝る前にガブガブお茶を飲みすぎるでない!」
 一.「陣地をわきまえて、もっと左に寄って寝ろぃ!」

 私に似て神経質とは無縁、しかも懲りないアホ息子。新しいシーツが、大好きなガーゼ織りなのを知って喜んだ。その晩、またしてもお茶をガブ飲みしたが、、おねしょはせず、気持ちよさそうに眠っていた。私にエルボー・ドロップをお見舞いしながら。
 
# by vitaminminc | 2006-06-20 13:37 | 子ども | Comments(3)

ケムシャネル

 その晩、愛娘の「キャーッ!」という叫び声が、我が家の0.65坪の風呂場に反響した。
 娘を怯えさせた犯人は、にこにこしながら一緒に湯船に浸かっていた母親(私)である。狭い浴槽、二人で入るには膝を折り曲げなくてはならない。風呂に入る時くらい、ゆったりくつろぎたいものだ。寒い時期なら仕方ないが、今なら湯冷めの心配もない。私が湯船にいる間は洗い場で待機するよう言っても、すぐに一緒に入ってくる。カワイイもんだが、エコノミー症候群にでもなったらどうしてくれる。しかも窮屈なだけでなく、暑苦しいったらありゃしない。
 そこで、悪寒のする話題を思いついた。これはほかでもない、私が体験した実話である。

──つい最近のことだ。夕飯のおかずをつくろうとした私は、買ってきたばかりの白菜を取り出すと、流しでその葉をむき始めた。1枚、2枚・・・3枚目をはぎとった瞬間だ。何かちょっとした重量感のある物体が、葉を洗うために水をはっておいたボウルの中に、‘ちゃぽん’と落ちた。
 「ひっ!!」
 息を呑んだ私の視線が捉えたもの──それは、ボウルの水面でクネッ、クネッと、身体をひねる、体長2.5cmほどの毛虫であった。黒褐色の体毛は、水鳥のごとき防水でも施されているのか、見事な浮きっぷりである。だが、身の置き場を失って陸地を探しているようには見えない。もがいている。いかにも苦しそうである。もしかしたら、落ちた瞬間に水でも飲んでしまったのかもしれない。
 毛虫は、まるで視力検査の「C」記号の「右」「左」のように、交互に身体をくねらせている。恐怖のあまり瞬きも出来ずにいたせいだろうか。毛虫の動きは、残像現象を呼び起こし、私にある有名ブランドを連想させた。
 排水溝のネットを外して、一気に流してしまえばよかったのかもしれない。だが、この時はとにかく気が動転していた。「トイレに流すしかない」と思いつめた私は、炊事用ゴム手袋をはめると、震える両手でボウルを持ち上げた。
 一歩歩くたびに、表面張力が決壊しそうな恐怖を覚える。足元に水がこぼれたらどうなるか。廊下を這う毛虫、私の足を登ってくる毛虫、勢い余って私の足に踏まれる毛虫(←絶対イヤ!)──いろんな毛虫が頭の中を満たす。
 流しで少しでも水を減らしてきたかったのだが、毛虫は羽のように軽々と水に浮いている。しかもダイナミックに踊っている。水より速く流れ出て、シンクの壁を這い上がる様子を想像したら、とてもそんなことをする勇気が湧かなかった。
 能でもやっているのかというような足取りで、ようやくトイレに到着。ボウルを慎重に床に置き、便器の中蓋を上げる。生まれてこの方、一度も発揮したことがないような集中力で、再びボウルを持ち上げる。そして勢いよく、中身を便器の中に、「ザッ!!」とあけた。
 こわごわ底を覗いてみる。毛虫がいない。いないではないか。確かにココにあけましたという証拠に、浮いた毛虫を目視したかったのだが、幸か不幸かボウルの水量が、流し切るのに十分だったようだ。
 毛虫は跡形もなく消えていた。
 本当は、殺生の後ろめたさを消し去りたかったのかもしれない。念のため、私はもう一度レバーをひねり、水を流していた。

 「最後の姿を確認できなかったのが、なんとなく気持ち悪くてねぇ・・・」と私は言った。
 「思わず自分の手をこうやって──」
 手の甲を裏返して確認するしぐさをしてみせた途端、想像力豊かな娘が絶叫。
 悪寒に包まれた娘は、当然そのまま湯船の中で体育座り。出ようとはしなかった。
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←シャネル/ビーズイヤリング

 
# by vitaminminc | 2006-06-17 18:24 | 生きもの | Comments(7)

悪人面と善人面

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←カブトエビ

 


写真は2点とも「フリー百科事典Wikipedie」より




↓ホウネンエビ

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 先月の終わりから、「カブトエビ」(写真左)を育て始めている。
 昨年の9月だったか、夏休みの売れ残りばかりを集めたワゴンセールで、「自由研究/生きた化石・エビ伝説」を買っておいた。
 説明書には、水温が高すぎても低すぎてもよくないとあった。残暑の厳しい秋を見送っているうちに、いつのまにか寒い冬になり、伝説の謎解きは延び延びになっていた。半年以上もお預けをくらっていた息子にせがまれて、とうとう春の終わりに開封。
 カブトエビは、ジュラ紀(1億9500万年~1億3600万年前)には、ほぼ現在と同じ形態に進化し、以来その姿を維持している超完成度の高い生物である。絶滅の危機を免れてきた最大の理由は、卵の生命力であろう。寒さや乾燥に強い耐久卵は、我が家に来てからも隙間風に耐え、寒い冬を無事に乗り越えたわけだ。
 淡水に卵(約0.5mm)を投入してから数日後、1mmほどの幼生を2匹確認。その後2匹は順調に成長し、半月過ぎた今現在は、尾の先まで入れると体長3cm。生後10日目くらいから急成長し、小さな水槽からはみ出ているのではないかという恐怖で、とても一人では確認する勇気がなく、少し前までは息子と二人、声を掛け合い水槽を見る始末であった。
 こんな小さな生き物にも、悪人面と善人面というのはある。実はカブトエビは2つの複眼がつり上がって見えるせいか、強面である。前に田んぼで捕らえたことのある「ホウネンエビ」(写真右)の、いかにも人のよさそうな顔と比べると、圧倒的に不利である。
 とはいえ、飼えば当然愛情が湧く。ようやくその容姿にも慣れてきたわれわれ母子。卵の孵化→幼生→成体までをビデオの早送りのように披露してくれたカブトエビに感謝しながら、今や1日でも長く生きて欲しいと願うばかりだ。

 カブトエビの一生は、わずか1ヵ月足らずだという。あと10日も過ぎる頃には、今度はまったく別の理由から、再び一人で水槽を覗く勇気がなくなるのかもしれない。
 
# by vitaminminc | 2006-06-13 15:07 | 生きもの | Comments(2)

ジージョ逮捕

b0080718_1947243.jpg←トッポジージョのお面
ダイシン/2500円(高いョ)

 テレビに、懐かしのトッポジージョが出ていた。
 スーツを着て、ネクタイなんかしちゃって、一体どうしたんだろうと思ったら、村上ファンド代表の逮捕直前会見だった。
 耳、目、口。一度トッポジージョに見えてしまうと、村上世彰容疑者が話す日本語さえもがトッポいイタリア語に聞こえてしまう。
 東大→通産官僚→数千億円を操る投資組織のトップ─「モノ言う株主」にも誤算はあった。証券取引法違反容疑で逮捕。あの会見も、トップ辞意上等・・・・あ。ちょっと無理矢理でしたね。
# by vitaminminc | 2006-06-06 19:51 | 人間 | Comments(4)

朝の情景

b0080718_2034974.jpg                      椋鳥→
          YAHOO!きっず図鑑より

  スズメよりも大きくて、鳩よりも小さい鳥が、電信柱のところで器用な飛び方をしていた。ハチドリのように空中で停止飛行している。何をしているのだろう? 訝しがりながら近づいていくと、その鳥は突然飛び去った。椋鳥だ。嘴に白い紙片をくわえ、少しバランスを崩しながらヨタヨタと、少し離れた建物の向こうに消えていった。巣作りの材料に使うために、電柱に貼られたビラを剥がしていたのだ。端をちぎり取られたビラはと見ると、違法に貼られた「バイアグラ」の広告だった。

 朝、駅に向かう途中、時折見かける一組の親子がいる。私が家を出る時間がバラつくせいで、毎日見かけるわけではない。それだけに、その親子と同じ時間に通勤できた日は、すごく得した気分になる。
 おとーさんは、イヤんなるほど若い。細身の濃紺のスーツを着て、緩くウェーブがかかった髪を赤茶色に染めている。おとーさんは、ベビーカーを押している。ベビーカーには2歳前の坊やが乗っている。カウボーイハットなんかかぶっていて、とても可愛い。おとーさんはベビーカーを押しながら、やさしい声で坊やに話しかける。
 「ほーら見てごらん、車がいっぱいだねぇ」
 「ブーブ、あっち」
 「そうだねぇ。あ、バスが来たよ。おっきいねぇ」
 もう、私の目尻は下がりっぱなしだ。目が縦になりそうである。
 おとーさんは、とにかく若い。スーツを着ているけど、そのまま成人式に行ってもおかしくないくらい若い。マックのドナルドのような髪の色で、いったいどんなお仕事をしているのだろう。ベビーカーに取り付けたフックには、ジェラルミンのアタッシュケースが下がっている。おとーさんのお仕事道具だ。
 「今日はあったかいねぇ。暑いくらいだね」
 「あっち、ぶぶ」
 息子はまだ幼すぎる。まともに会話が成立しない。それでもおとーさんは、息子と心を通わせている。いつでも息子に話しかけている。その穏やかな話し声を耳にしていると、なんだかとても幸福な気持ちになれる。
 ベビーカーの父子は、まもなく道を左に折れて、私の前から姿を消してしまう。坊やを保育所に預けに行くのだろう。短い距離だけど、素敵な朝をありがとう。
 坊やのおかーさんはきっと、幸せだろうな。安心して臨月を迎えている。あるいは新生児の世話を焼いている。それとも夫婦は共働きで、送るのがおとーさん、迎えにいくのがおかーさんか。

 30を過ぎた大人が、平気で子どもを虐待したり、殺したり。そんなニュースばかりが増えている。
 あのカウボーイハットの坊やは、絶対やさしい大人に成長する。子どものことが大好きな大人になる。そんなことを信じさせてくれるから、私は幸福な気持ちになれる。

 巣作りをしていたあの椋鳥も、きっとやさしいおとーさんになるんだろう。
# by vitaminminc | 2006-06-05 21:19 | 人間 | Comments(0)

ドリームランドセル

b0080718_231486.jpg安全帽に尻を隠し昼寝する猫
     

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 私は物を捨てるのが苦手だ。ボケたらきっと、「ゴミ屋敷」の主として、ニュース番組の特集で取り上げられるに違いない。どうも物に対する思い入れが、人よりも強いようだ。
 生身の人間は案外スパスパ切り捨てるくせに、物言わぬ物に対しては、なかなか想いを断ち切れない。家の中が常に混沌としているのは、そのせいだ。

 ムスメが小学校を卒業してからしばらくの間、私を悩ませたのが、ランドセル。捨てるに捨てられず、かといって押入れにしまっておくには嵩張り過ぎた。ムスメが自分の思い出にとっておきたいと言うのであれば、ミニチュアサイズに加工してもらうことも考えた。ところが、当のムスメはドライなもので、「処分していい」ときたもんだ。
 卒業式が終了し、ムスメたち卒業生が体育館から退場していく姿を見送っている時、私は確かに見たのだ。6年前のムスメの姿を。それは、入学式の後、担任の先生に引率されて、はにかんだ表情で退場していくムスメの姿だった。ピンクのスーツを着て歩く、小さなムスメの姿。大きな卒業生の列に見え隠れするのを、瞬きするたびに確かに見た。その時の幻影が、ランドセルに詰まっているような気がして、とても捨てられないのだった。
 さあ困った、どうしようと思いながら、ズルズルと半年が過ぎた頃、ムスメが中学校から手紙を一枚持ち帰ってきた。「思い出のランドセル募金」──アフガニスタンの子どもたちに送るために、不要となったランドセルの提供にご協力ください──との呼びかけだった。涙が出るほど感激した。捨てることはできなくても、誰かに使ってもらえるならば、こんな嬉しいことはない。それはまさに、私が最も望んでいたランドセルとの別れのカタチだった。
 物を大切に扱うムスメの赤いランドセルは、6年間使用したとは思えないくらいきれいだった。1年足らずしか使っていない弟のランドセルよりも遥かにきれいだった。早速皮革製品用のクリームを塗り、柔らかい布でせっせと磨いた。パッと見は新品に近くなり、このランドセルを手にした子どもの笑顔が目に浮かんできた。ランドセルの中に、新品の鉛筆や消しゴム、メモ帳なども入れて、指定日に学校に持っていくと、係のおかあさんにも驚かれた。
 「あら、いいんですか? こんなきれいなランドセルを」
 「6年間毎日使っていたものです。どうぞよろしくお願いします」
 年が明けて今年の2月。(財)ジョイセフから、ムスメ宛に礼状が届いた。
 『「思い出のランドセル募金」にご協力をいただき、ありがとうございます。心より感謝いたします。皆様のご支援により贈られるランドセルは、アフガニスタンの村の小学生や戦争で親を失っても頑張って小学校に通っている子どもたちの手に届けられます。これからも皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。』
 
 上の左の写真は、日本から贈られたランドセルを背負う、アフガニスタンの子どもたちだ。かつてムスメの背中で6年間揺れていたランドセル。海を越えて、遠くアフガンの空の下、今はどんな子どもの背中で、どんな夢を乗せて揺れているのだろう。ジーンとなる。ランドセルを生かせることが出来て、本当に嬉しかった。

 ところで、ランドセルと共にムスメが毎日身に着けていた黄色い安全帽──これまた処分できないまま、ムスメを6年間安全に登下校させてくれた守り神の象徴として、家の中に奉られている。というより、猫相手に余生を送っている。
 現在ムスメは自転車通学。毎日着用しているあの白ヘルも、近い将来は家の中のオブジェの1つになるのだろう。いや、私がボケたら起床とともに頭にかぶせるよう、今からムスメに頼んでおくべきか。安全に徘徊できるように。
 
# by vitaminminc | 2006-06-03 23:03 | Comments(4)

娘は天然色

 娘の日本語はおかしい。
 ウケ狙いで言っているのではない証拠に、人から指摘されて初めて自分がおかしなことを言ったらしいと気づく。ひどい時には、「え? 別におかしくないんじゃない?」と反論してくることもある。
 小学5年の時には、家庭科の授業でつくったエプロンに、自分で作品説明をつけるようになっていたのだが、娘は大真面目にこう書いていた。
 「もようはペンやフエルトでつけました。かわいいもようが出来たのでよかったのです。」
 これを見た時、私は娘が単に書き間違えたのかと思っていた。
 「なにが・・・・のです、だ。これは笑える」
 「え? そう?」
 おぃおぃ。大丈夫か?
 こんなセンスのまま成長するから、中学校で友だちから「天然」記念物に指定されちゃうのだ。
 
 ☆幼稚園時代→「靴下」のことを「つくした」、「逆立ち」のことを「さだかじ」と言っていた。
 ☆小学校時代→「来週の図工でガニマタを使うから用意しておいて」と娘に頼まれた。ガニマタを「針金」のことだと解釈し、見事に当たっていた私も凄い。
 ☆中学1年→私がトイレに入っていると、廊下をこちらに近づいて来ながら娘が聞いた。
  「ママ、チンパンジーってさぁ・・・」
   何の話かと思っていると、娘はトイレの前を通り過ぎて、玄関の下駄箱の前で立ち止まった。娘が何のことを言っているのかわかった。身体を「く」の字に折ったままトイレから出た。声も出せない。チキチキマシン猛レースのケンケンのように「ひゃんひゃん」苦しんでいたら、さすがに娘も自分の言い間違いに気づいて二人で大笑い。下駄箱の上には、娘が買ったばかりの鉢植えのパンジーが一輪、黄色い花を咲かせていた。結局娘はあの時、パンジーについて何を知りたかったのだろう?
 ☆そしてつい先日→駅で友だちと待ち合わせていた娘の携帯が鳴った。友だちから待ち合わせ場所変更の知らせを受けた娘は、その指示通りに歩いて行ったのだが、いつまで経っても目的地に辿り着けない。仕方なく駅まで戻って交番のおまわりさんに道を尋ねた。
娘「三須土という交差点に行きたいのですが、どう行けばいいですか?」
警「ミスタードーナツのそばの交差点なら、ここを真っ直ぐ行って─」
娘「あ!!!・・・・はぃ・・・」
 おまわりさんに言われるまで、娘はミスドの前を二度も通り過ぎながら、「三須土」と書かれた信号機を探していたらしい。すでにミスドは公用語だという人もいるというのに(ーー;)・・・。
「あ~ぁ、女子高生のお兄さんが欲しい!」と意味不明の日本語(高校生の─と言いたかったのだそうだ)を話す娘は、きっと今年の夏の花火大会も、自分が着るのは「ゆたか」で、弟が着るのが「ごんべえ」なんだろうな。考えれば考えるほど、浴衣と甚平が発音できなくなるわが娘。

 とは言え、私自身も「ご無沙汰」が「ご豚さん」に、「腹立たしい」が「腹正しい」になってしまう。おまけに去年は「早くニワトリを洗っちゃいなさい!」と息子を叱り、「ママ、これは上履きだよ」と注意されてしまった。
 今思えば、「ママも職場で『天然』て呼ばれてる」と娘に告白した時の、娘の自虐的薄笑いの口元──あれは、逃げ場がないことを悟った檻の中のコヨーテのようであった。

 
# by vitaminminc | 2006-05-30 13:45 | 子ども | Comments(3)

めげめげ懺悔

 今朝、私は息子を叱った。
私「先週の金曜に、体操着袋を持ち帰らなかったでしょう!」
息子「ちゃんと持ち帰ったよ」
私「だって昨日洗って干した中に、体操着なんて入ってなかったわよ!」
息子「でも持ち帰ったよ」
私「ないからないと言ってるの! 今日忘れずに持ち帰ってよね!」
息子「・・・・行ってきます・・・・」
私「行ってらっしゃい!」
 息子、世にもうらめしそうな顔でちょっとだけ振り返り、そのまま肩を落として歩き去って行く。
 どうもあの目が気になる。二階に上がって息子の洋服ダンスを開けてびっくりたまげたよ。洗って畳んで体操着袋に入れてあるのは、紛れもなく、金曜に息子が持ち帰った体操着セットなのだった。先週は土曜日も仕事だったので、金曜の晩に洗って干して、土曜日に仕事から戻って取り込んでタンスにしまっておいたのだ。日曜の洗濯物の中になど、あるわけがなかった。
 朝から私に叱られて、それも無実の罪で叱られて、息子の一日のスタートを台無しにした私はなんという大ばか者なのだろう。このまま息子を半日くさくさした気分にさせておくわけにはいかない。
 息子よりも少し後に家を出る娘に、「かわいいメモを1枚ちょうだい」と頼んだ。
「何に使うの?」
「ママが悪かったって謝って、仕事に行く前に学校の下駄箱に入れておくの!」
 体操着の話をすると、娘は苦笑いをしながら、「これなんかいいんじゃない?」と王子様がシンデレラにキスをしているディズニーのメモを見せた。これ以上息子に嫌われたくなかったので、
「これじゃなければどれでもいい」と哀願し、アラビアンナイトのメモを1枚もらった。
『ママがまちがっていました。体そう着は金曜日にあらっていました。本当にごめんなさい』
 文頭いきなり「ママ」という言葉で書き出したのは、息子がメモをラブレターと勘違いする時間をできるだけ短縮するため。あまり期待する時間が長くなると、後半手紙の主が私だとわかった時のガッカリ感が憎悪へと変わるかもしれない。
 すっかり気弱になったアホ母は、とにかく一刻も早く息子に詫びたい一心で自転車をこいで学校の下駄箱の息子の運動靴の中に、アラビアンナイトのイラスト入りの詫び状を挟んでから出勤したのだった。
 美容と健康のために徒歩通勤している私が今日は自転車で会社まで来たことを知った人たちに、「どうしたの?」と聞かれるたびに、息子の下駄箱に詫び状を入れに学校に寄ってきたのだと説明した。月曜日から何をやっているのかと笑われた。
 買い物をしてから家に帰ると、すでに息子は遊びに出かけていていなかった。玄関には、
「ともだちんとこにいってきます」の短い置手紙。
 何だがもう息子に会えないような気がして、オロオロした。誰のうちに遊びに行くのかくらい書いていけばいいのに、まだ怒っているのかな。
 洗濯を終えて浴室の掃除をやっていると、息子が帰ってきた。
「ただいま!」
 元気な声で風呂場に顔を出してくれた。
「ごめんねぇ」とカビキラーで真っ赤になった目をしぱしぱさせながら言うと、
「いいよ。ママは別に謝ることなんかないよ。また忘れてんだなって思ってたもん」
 なんて、仏陀のような目をして言うのだった。
 これから先も私はいろんなことを忘れていくのだろうけど、今日の息子の仏陀の目だけは瞳に焼き付けておこうと心に誓った。
 こんな母親を持つと、子どもはどれだけ仏の顔を見せることになるのだろう?
# by vitaminminc | 2006-05-29 20:37 | 子ども | Comments(2)

Zapping

 片時も携帯を手放せない携帯依存症の人々が増える中、テレビのリモコンがないと落ち着いて座ることもできない人間を私は知っている。うちのダンナだ。
 休日遅く起きてきて、リモコンがすぐに見つからないと、
「オレのチャンネラーはどーした」と子どもたちに詰め寄る。何がチャンネラーだと呆れながら、子どもたちと必死になってリモコンを探す。リモコンが見つかってダンナの手に渡ると、ダンナはようやく人心地ついたようにテレビの真ん前に座る。

 ダンナのテレビの見方には子どもたちも私もとても着いていけない。ダンナがテレビを見始めると私は後回しにしていた家事を始め、子どもたちはパソコンでゲームを始めたりする。それでも食事は居間でとるしかない。嫌でもテレビが目に入る。いっそテレビを消して欲しいのだが、テレビを見ることがダンナの休日の唯一の楽しみ(←寂しかねーか?)であるのを知っているだけに、我々はひたすら我慢し、耐え忍ぶしかないのである。
 せわしいというのか、せわしないというのか(←どっちなんだ、この日本語)。ダンナのテレビの見方は病的を通り越して、ビョー気だ。3分ごとに、ひどいときは1分ごとにチャンネルを替える。まったくほかの家族のことなど眼中にない。
「パパ、今のどうなったの?」
「え~? 4チャンネルに戻してよー」
 めまぐるしく替わる番組に、ものすごい順応性を発揮して、必死で内容を理解しようとする子どもたち。
「早く戻して~、もうコマーシャル終わってる頃だよ」
「さっきの答え、何だったの?」
「さっきの答え、知りたい」
 ダンナは意地悪く鼻でフンと笑う。
「うるさいなー、ちゃんと時間を見計らって戻してやるよ」
 子どもたちは、何かの番組の何かの結果発表が終わってしまいやしないかと、気が気ではない。私までなんでドキドキしながら食事をせねばならないのか。
「ほーら、ちゃんと間に合っただろ」とダンナは得意そうだが、こっちはいい加減腹が立ってくる。
「落ち着かないから、どれか一つに決めてじっくり見させてよ、食事の時くらい」
 とうとう我慢し切れずに私がクレームをつけると、ダンナはムッとしたように1つの番組に落ち着く。だが、それは私も子どももまったく興味のない将棋番組だったりするのだ。底意地が悪いったらない。
「25秒・・・20秒・・・」──なんてフラットな口調で時を刻を刻まれると、頭を掻き毟りたくなる。(←「むしる」という漢字が「毟る」であると知り、ちょっと愉しかった)もっともこれとて、もって7,8分。まもなく私と子どもたちは、再びスロットマシンのようにめまぐるしく替わる番組に、目をチカチカさせながら、超自己中なダンナに従うしかないのである。

「ふは・・・・ふははは・・・・くっくっく・・・・」
 突然私が笑い出すと、ダンナはギョッとして振り返った。
「なんだよ?」

 私の兄もそうだったのだ。といっても子どもの頃の話。あの頃はリモコンがまだなかった。だから兄はテレビにかぶりつくようにして、チャンネルをガチャガチャ回していた。とにかく、NHK以外の民放は一度に全部見ておかないと気が済まない。ひっきりなしに回す。私がそばで一緒に見ているというのにお構いなしである。一度その様子を父に目撃されて怒鳴られてからは、父の前ではやらなくなった。それでも父が居間に入ってくるまでの間は、我が者顔でチャンネルを切り替える兄であった。
 ある日、「わぁ!」と叫ぶなり、兄が自分の右手を信じられないといった顔で見た。
 廊下では、こちらに歩いてくる父の足音。
 兄は、引っこ抜けたチャンネルつまみを、素早くテレビ本体の穴にねじ込んだ。そして居間に入ってきた父に、愛想よく聞いたではないか。
「おとーさん、何の番組にする?」
 父からお望みの番組を聞き出すと、つまみが抜け落ちたことがバレないように、慎重にチャンネルを回す兄。その様子はまるで、銀行強盗が金庫の鍵を開けるときのようであった。兄は私に、《言ったらしょーちしないからな》というスルドい視線を投げかけたが、バレるまでにさほど時間はかからなかった。新聞のテレビ欄を見た父が、別の番組に興味を持って、兄ではなく私にチャンネルを替えるよう言いつけたのだ。私はどうすればチャンネルつまみが外れないかという加減がわからない。触れた途端につまみが畳の上に落ちた。父の目前でつまみを落としたのは私だったが、父は兄を叱った。
「おまえがあんなにガチャガチャやるからだ──」
 怒ると縮み上がるほど怖いはずの父であったが、回しすぎてつまみが抜け落ちたという事実の滑稽さに負けたのだろう。この日はちっとも迫力がなくて、私は少々不満だった。

 そんなことを思い出して、1人へらへらと、穴の開いた浮き輪から空気が抜け出るような笑い方をしていたら、いつのまにかダンナがチャンネルの切り替えをやめていた。そして、
「おまえたちの好きなもん見ていいよ」なんて言って子どもたちにチャンネル権を譲っている。私の思い出し笑いがよほど不気味だったものとみえる。

 このように、リモコンでめまぐるしくチャンネルを替えてばかりいる行為を「zapping」と呼ぶらしい。面白いことに、このザッピングには「破壊」という意味もある。チャンネルつまみを引っこ抜いた兄などは、まさに両方の意味を体現していたわけだ。

 同時にあれもこれもと欲張るのは、男性の本能なのだろうか。テレビ以外では、図書館から一度に何冊も本を借りてくる人を知っている。一冊一冊順に読み終えていくのではなくて、並行して何冊も読み進めていく読み方は、ザッピングの活字版かもしれない。読むのも早いが内容を忘れるのも早い。その人に薦められた本を私が読み終える頃には、推奨者はもう内容を忘れてしまっていたりする。もしかしたら、「感想」を話し合うのが苦手なのかもしれない。何か見透かされそうな恐怖があるのだろう。それで、感想を聞かれることがないように、馬車馬のようにあれもこれもと──ま、そんな馬鹿な話はないだろうが。

 自分にもしもZappinngに近い「癖」があるとしたら、何だろう? そういえば、1万円札が知らないうちにあれやこれやわけのわからないものにすり替わっていく。これなんか「雑費ing」ってやつかもしれない。あ~ぁ。

 
# by vitaminminc | 2006-05-25 15:34 | 人間 | Comments(2)

家庭拷問

 
b0080718_15153561.jpg←ありし日のチューリップ(4月)

 昨日、小学校の家庭訪問が終わった。
 家庭訪問──毎年このたった10分間のために、一体どれだけの時間を費やすことだろう。前日の日曜は、朝から終日片付けに追われた。先生になり切って、路地からうちの敷地内に足を踏み入れてみた。
 b0080718_15232146.jpg

 
                   家庭訪問当日の花壇→

 初っ端からめまいを覚えた。花咲く頃を終えたヨレヨレのチューリップが花壇を茶色く濁している。それにしても、やけに汚い。葉のいたるところに無数の黒い塵が付着している。火山灰にしては、山がない。よくよく見てみたら、子どもたちが花壇の近くに植えたポピーの花に、無数の小さな毛虫が大量発生しているではないか!
 チューリップの葉に付着した火山灰は、花壇の上を領空侵犯するように伸びた、丈の高いポピーに巣食う、そやつらの糞だったのである。
 毛虫たちは毛虫のくせに、蜘蛛の巣のような細かい網目のハンモックの中で生活していた。頭髪をゾゾ毛立てながらゴム手袋をはめると、毛虫に触れないよう細心の注意をはらいながら、茎ごと切ってはゴミ袋に捨てた。毛虫たちは振動に殺気を感じ取るらしい。なぜなら、もぎ取られた茎の先で、尻から蜘蛛のような糸を出してはブランブランと蓑虫状に垂れ落ちる。ゆっくりながらも必死でゴミ袋に入れられまいと抵抗する。
「うぎゃあ」
 私もいなかっぺ大将のように、大粒の涙でアメリカンクラッカーをしながら必死で駆除した。虫は大の苦手だが、あまりの惨状になんとかしないわけにはいかなかった。
 やっとのことで毛虫退治を終えた後は、場所を地べたに移して草むしり。45㍑2袋分の雑草を引っこ抜いた。舗装していない砂利路地にも雑草は容赦なく生えていた。
 ようやく玄関。またしても軽いめまい。下駄箱からは靴がはみ出し、下駄箱の上の観葉植物はほこりをかぶっている。靴の仕分け作業と観葉植物の洗浄。
 問題は、ココから先である。
 うちの間取りは最悪だ。先生を居間にお通しするには、いやでもキッチンを通っていただくことになる。そうなると、キッチンと居間の2部屋を何とかしなければならなくなる。
 すでに時刻は午後に突入──というわけで、今年も二階の子ども部屋(それも息子ではなく娘の部屋)を訪問部屋として採用することにした。うちは毎年コレでいっている。娘の部屋なら、そこに至るまでの階段と1部屋を片付けるだけで済む。中間テストのにわか試験勉強を居間でやっている娘に、「掃除してやるから明日部屋を提供しろ」と交渉した。応じなけれ私が次に口にするのが「ならば永久に個室を明け渡せ」であることを知っている娘。「またか」という顔でOK。
 娘が小学生のうちは、娘の担任に、さも気の利く親のような顔をして、
「せっかくですから娘の部屋へどうぞ」なんて言ったもんだ。でも一昨年からは息子の担任も娘の部屋にお通ししている。息子の担任が、見るからに女の子の部屋に通されて、何か問いたそうにこちらを見るが、私は能j面のような顔でしらばっくれる。
 
 そもそも、なんで家庭訪問というものが必要なのだろう。私にはわからない。児童の家庭環境を知っておく必要も、確かに先生方にとってはあるのかもしれない。昨今の不審者対策として、児童の家の場所を把握しておくことも大切だろう。実際ありがたいことと感謝している。
 でも家庭内の状況に関する限り、私のように必死で取り繕うズボラ主婦もいるわけだから、必ずしも「ありのままの状態」を知ることにはならない。そうなると、家の中にまであがる必要性がどこにあるのかという疑問に行き着く。
 聞くところによれば、ある年のある学年などは、先生方の間で「玄関で話を終わらせる」という夢のような協定が結ばれたという。残念なことに、私は娘の代からいまだかつてそのような慈悲深い家庭訪問を受けたためしがない。もっとも玄関訪問で味をしめたお母さん、翌年の家庭訪問で、靴を脱ごうとする先生を見て「そんなバカな」と焦ったそうだ。そこで上がりがまちに座布団を置いて「阻止」したという。こうなると、座布団というよりは決壊しかけた堤防に置く土嚢である。

 とにかく、家庭訪問というのは主婦にとってかなりの負担。私の職場では、家庭訪問に備えて「片付け休み」をとる人も出る始末。こんなことでは国力が落ちる。機嫌よく登校し、機嫌よく下校してくる児童の家庭は、家庭訪問ではなく、親が学校に面談に行く方法に変えてもらえまいか。

 先週土曜日、職場で家庭訪問が近いことを嘆いたら、
「うちの学校は数年前に廃止になったけど、今ではあった方がよかったなぁと思う」なんて言う人がいた。
「え~? 何でです!?」
「だって、家庭訪問がなくなってからうちの障子、もう何年も破れたまんまなのよ・・・」

 ところで、家庭訪問当日。うちはトップバッターだったのだが、先生は予定時刻より5分遅れて到着。そして5分で引き上げていった。5分間のために、1日半=合計10時間近くも、汗を流していたとは。家庭訪問がなくなったら、うちはジャングルになるだろうか。それでもいい。
 私のように整理整頓のセンスがない者にとって、家庭訪問は拷問なのである。
# by vitaminminc | 2006-05-21 16:54 | 人間 | Comments(3)

あたしの記憶

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              タツノオトシゴ→
フリー百科事典[Wikipedia]より拝借
 
 先日、私にとっては今世紀最も恐ろしい恐怖映画を観てきた。
 「明日の記憶」である。ご存じの方も多いだろうが、この映画は若年性アルツハイマーを扱っている。
 観ていて本当に怖くなった。そこらの心理サスペンスドラマなんかよりもはるかに怖かった。自分の記憶力がじわじわ蝕まれていく恐怖。自分が自分でなくなっていく絶望感。それを支え続けた妻の愛。映画は観る者に切なさと感動を与えてくれた。
 観終わった後トイレに行くと、熟年主婦たちが行列を作っていた。そんな彼女たちの映画の感想は、もっぱら病院でのテスト(認知症か否かを判断するためのテスト)のシーンについて。
「だけどさ、あの人(主役の渡辺謙)、結構計算は速かったわよね?」
「机の上の物を覚えるんだって、あたしなんかよりよっぽど記憶してたもの」
 笑えなかった。笑えないのだった。
 
 1.幼稚園に通っていた息子の園服に、小学4年の姉の名札を付けていた。
 2.幼稚園で息子が弁当箱を空けたら、中身がカラだった。
 3.息子の朝食を、すでに食べ終えていたくせに自分で食べてしまった。
 4.米を研ごうとして、袋の中身をジャーに入れたら「猫砂」だった。
 5.美容院に左右違うサンダルを履いて行ってしまった。(ただし車で)
 6.職場でトイレに立ち、デスクに戻ろうとしたら自分の席を通り過ぎていた。
 7.団地に住む友人の家に、10回以上行っているのに毎回辿り着けない。
 8.ヨーカドーに停めた車が見つからず、警備員さんに探してもらった。
 9.よく猫の名前と子どもの名前を言い間違える。
10. 鯖読みではなく、本気で自分の年齢を忘れる。

 あぁ・・・。こんなことばかり書いていたら、また映画を観ている最中みたいに、涙腺のパッキンが緩んできた。夫を支える妻よりも、病気の夫に感情移入して、映画の始めから終わりまで、ずっと泣いていたほどである。
 自己弁護すると、1~3は今から4年前。決してネグレクトではない。ちょうど亡父が末期癌と闘っている時期で、私の心労(精神的ストレス)はピークに達していた。これは重症だと思い、幼なじみに相談した。
 「大丈夫よ。あたしも永谷園のお茶漬け海苔で簡単に朝食を済ませようとして、ごはんにお湯をかけようとしたら、ごはんの上にお茶漬けの空き袋がのってて、中身はゴミ箱にぶちまけてあった、あはははは・・・」
 (ーー;) 
 4と5は、それぞれ新しい仕事を覚えた時期。共に1本ずつ白髪が生えた。マンガみたいな話だが、私は新しい仕事を1つ覚えるたびに、白髪が1本生える。しかも、それ以上は増えない。そういう体質らしい。
 だが、6以降は最近の出来事である。仕事にも慣れた。ストレスも殆どない。なのに、なぜ?  おっと、まだあった。
 先日冷蔵庫の中を見たら、「岩のり」のビンが入っていたので、家族に文句を言ったのだった。
 「これ、もういい加減誰か食べちゃってくれない? いつもママ1人で食べてるけど、いつまでも置いとけないんだし」
 すると子どもが二人して言ったもんだ。
  娘「ママ、それブルーベリーのジャムなんだけど・・・」
息子「それに、岩のりならこないだママが自分できれいに食べてたよ、全部なくなるまで」

 ヴ!! まだあった。お土産に、笹だんごを8個もらいました。4人家族で分けるには、1人何個食べればよいでしょう? 
 8÷4=2
 1人2個食べられるはずの笹だんご。中学校から帰った娘が冷蔵庫から笹だんごの袋を取り出したところ、なんと中身が空っぽ! ミステリーであった。前日に父親が2個、母親と二人の子どもは1個ずつ食べた。翌朝、父親は何も食べずに出勤。母親と子どもたちも、朝は笹だんごを食べていない。嘆く娘。息子と私もキツネにつままれたように顔を見合わせた。姉に真っ先に疑われたのは、息子である。
「ママと一緒におやつに食べたけど、1個ずつしか食べてないよ」
 結局、8個入りというのは思い込みで、正しくは7個入りだったのだろうという結論に達した。
「そうとわかっていたら、ママ食べたりしなかったのに、気がつかなくてゴメンネ」
 ところが、である。数日も過ぎた頃になって、突然フラッシュバックが起こった。私が笹だんごをレンジに入れるシーンが、【3回】瞬いた・・・。間違いなく、3回レンジに入れている。
 笹だんごをレンジで温めてやわらかく戻すワザは、家族で私しかやらない。息子も娘もいない時間帯──そう、仕事から戻って1人で遅い昼食をとったあとに・・・。
 恐ろしいのは、本気で忘れていたことだ。正直言って、今も「思い出した」のとは微妙に違い、レンジに入れている手元のシーンが見えるだけ。行方不明の笹だんごについて論じ合っていた当時、当日にあってさえ、私は思い出すことが出来なかった。完全に記憶が脱落していたのである。
 今になってこんなことをカミングアウトしたところで、子どもたちを不安にさせるだけだろう。ココは黙り通すしかないのである。
 
 ところで一つ、疑問が解けた。私は現在ダイエットをしているのだが、一向に体重が減らない。その答えが、ここらへん=「食」に関する忘却──にあるのかもしれない。(誰か助けて)

 直前の記憶や短期間の記憶は、脳の「海馬」と呼ばれるところに保存されるという。認知症の初期段階では、この海馬がまずダメージを受ける。
 海馬=シーホースというわけで、活きのよさそうな「タツノオトシゴ」のイラストを載せてみた。こんなもんで私の頭の中が修復されるわけもないのだが、何かにすがらずにはいられない、そんな心境なんである。 



 
# by vitaminminc | 2006-05-20 14:59 | 健康 | Comments(0)

弟の逆襲

b0080718_1533394.jpg←異父母兄妹ネコ=取っ組み合いするほど仲良し

 この間の母の日のこと。
 日頃、第二次(思春期)反抗期の姉(長女)に、いいようにイタブラレている息子。夕食のあとのデザートを食べる際、自分と私のためにスプーンを2本持ってきた。
息子「はい、ママ」
 私「ありがとう」
 娘「アレ? 私のは? なんで~!? 持ってきてくれたっていいじゃない! このボケ!!」
息子「るせー。母の日はあっても、姉の日なんかねーんだよ」
 私「ブハッ・・・」(←吹き出す)

 反抗期に入る前の娘は、それはそれは優しい姉っぷりだった。言葉遣いも今のように野卑でも粗野でもオヤジでもオタクでもなく、私よりもずっと女らしい言葉がしゃべれた。バックにゃ野薔薇のスクリーントーンでも貼り付けたくなるような、それはそれは乙女チックな純粋少女だったのだ。
 当然弟は優しい優しいお姉ちゃんのことが大好きで、文字通りお姉ちゃん子だった。娘が小学5年の林間学校で家を空けたときには、息子に何度も呼び間違えられた。私のことを「ママ」ではなく、姉の名で呼んでばかり。挙句の果てには、一緒に入ったお風呂で思い切り溜め息をつかれた。
「あ~ぁ、つまんない」
 母としての自分の存在価値を疑わなければならないほど(疑わなかったけど)、当時の息子にとって姉の存在は大きいものだった。
 ところが、今のザマはどーだ。現在の二人を見ていると、これがかつてのあの仲睦まじかった姉弟だろうかと首を捻りたくなる。同じ人間なんだろーか。もっとも息子の方は、姉の【横暴】に立ち向かうため、変わらざるを得なかったという感じではある。
 
 さて、一昨日。息子が珍しく算数で裏表とも満点の答案を持ち帰った。息子は私に似てヌケている。うっかりミスの天才だ。記号で答えるべき箇所を数字で答えたり、+と-を見間違えることなんかしょっちゅう。100点をとれたということは、「落ち着いて問題が読めた」ことを意味し、それだけでも彼にとっては大いなる進歩なのだった。滅多にないことが起きると人は饒舌になる。
「100点とれたのはね、クラスで5人だけだったんだよ。あの頭のいい○○くんだってコレは80点だったの。ボクが100点とったの見てショックだったみたいだから、『気にするなよ』ってなぐさめたら、悔しがってボクの腕バシッて叩いて、机にこうなっちゃった・・・(←突っ伏す真似)」
 ま~た調子こいて友だちに余計なことを・・・。

 中学校から帰って来た娘(←「小学生は100点取れて当たり前!」という意見の持ち主)が、弟の誉れを聞いて、冷たく言い放った。
「クラスに5人なんて、どうせウソでしょ。アンタが100点とるくらいなら、何人も100点とってるに決まってんじゃん」
 こんなことを言われても、いたぶられ慣れている息子は「ふん」てな調子。
 が、私の方は何らかのスイッチが入った。
 私には、中学校まで「数学だけは学年一」と言われた兄がいた。(←今でも生きてます、念のため)そんな兄を持つ妹の悲劇が、蘇ってきたのである。自営業で忙しかった母は、数字が幾何学模様に見えてしまう娘の勉強を兄にみさせることがよくあった。思えば当時、兄も反抗期だったのだろう。もう、言いたい放題だった。接続詞あるいは息継ぎ代わりに、一言何か言うたびに、兄は「バカ」の二文字を口にした。あんまりバカバカ言ってくれるものだから、あるときなど問題の解き方に耳を傾ける気力も失せ、ぼ~っとしながら兄が「バカ」というたびカウントしてた。答えを聞かれて「○○回」と単位の違う数字を言ったら、「バーカ!」ととどめをさされた。「おれもうヤダ、こんなバカ相手にすんの」
 こっちだってとっくの昔に「ヤダ」ったのだ。

 娘をガミガミキ叱りはしなかった。
「どうして『よく頑張ったね』って言ってやれないの? 私、悲しいわ」
 と、ポツンと言った。「ママ悲しいわ」ではなく、「私、悲しいわ」という言葉が自然に口から出た。
 娘は何も言い返さなかった。え?と思うくらいやさしい目をして、私の顔を2秒間見つめただけだった。
 その晩。私の家事が終わらなかったために、息子は一人ぼっちでお風呂に入っていた。娘の姿が見えないなと思ったら、洗面所に娘の服が脱ぎ捨ててあった。弟を追うように、いつのまにか自分からお風呂に入ったようだ。
 廊下に退き耳を澄ますと、いつになく、やさしく弟に話しかける娘の声が聞こえた。嬉しそうに答えている息子の笑い声も。
 第二次反抗期のことを「精神的親殺し」と表現する人もいるらしい。精神的にとはいえ殺されるのは真っ平だが、娘は、「姉の日」はなくても「自分の非」がわかる人間。わけもなくイライラしたり、どうしようもなくモヤモヤしたりといった毎日なんだろう。何でもかんでも乗り越えていけ。どんなに言葉が荒れたって、きっと本来のやさしさだけは失わずにいてくれる。ママじゃない、「私」がそう確信している。

 湯気の向こうで仲良く語り合っている二人の声を聞いたら、自分も湯に浸かっているみたいな気分になれた。



 
# by vitaminminc | 2006-05-19 15:44 | 子ども | Comments(5)
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                       『小指』にピッタリ
                       ガチャピン指人形→

 ある春の晩のこと。ちびまる子ちゃん世代の息子と一緒にお風呂に入っていたら、湯船に浸かっている息子が淫靡な笑い方をした。
「いひひ、いひひひ」
 シャンプーの泡にまみれ、目が開けられなかった私だが、せがれが何をやらかしているかが手に取るようにわかった。ええい、誰が手になど取るものか。
「指じゃないとこに指人形はめたでしょう」
「いひ、どーしてわかったの?」
 シャワーで泡を落として湯船を見る。思ったとおりだ。
 息子の腹イカダに頼りなく立つ小さなマストの先で、ガチャピンが手を振り笑っていた。息子のプチマスト、前回は岩礁のイソギンチャクに化けた。息子がてのひらで起こすさざなみに身を任せ、プランクトンを追いかけ揺れていた。名優なのである。
 フロイトによれば、こうした「見せたがり」は幼児性欲からきているらしい。乳児(男の子)は、目が見えるようになって、自分のオチンチンを目にした瞬間から、自分のモチモノに俄然興味を抱き出す。悦びを分かち合いたくて、つい人に見せてママに叱られてるうちは、ご愛嬌。それが大人になってからも治まらないのが、露出症。──うちのムスコ、将来大丈夫だろうか。
 
 それにしても、8才にもなってこんな調子なのだから情けない。息子と同じ年齢のちびまる子ちゃんは、さすが地上波に乗るだけあって、クラスメート一のおバカ=「山田」でさえ、教室でオチンチンを振り回したりはしない。息子だって無論、家の外ではしまっているだろうが。
 少々幼稚な面があるので、TPOをわきまえろということは日ごろからよく言いきかせている。

──ん? 8才? とんでもない記憶が蘇ってきた。私が8才当時のクラスの男子。こ~んなもんじゃなかったゾ。
 その頃クラスの悪がき4、5人の間では、しょーもない遊びが流行っていた。体育の授業で着替えるたびに、パンツに手を突っ込む。そしてブリーフの股ゴムから親指を突き出して、「横チーン! はみ出しィ!」と叫んでは、教室中を走り回るのである。バカ丸出しである。女子は見ないように手で顔を覆い、キャーキャー悲鳴をあげては逃げ回る。残りの男子はサラブレッドを鞭打つように、上着を机に打ちつけながら、ゲラゲラ笑ってはやしたてていた。
 だが、楽しい日々はそう長くは続かない。いつもの悪ふざけが高じて、悪がきたちは親指だけでは飽き足らなくなり、とうとうパンツを下ろしてしまう。教室の前に横に並んで、当時流行っていた「信州一味噌」のCMソングを歌い出した。即興とは思えない、完成度の高い歌と踊りのショー。
「チンチタッタ、チンチタッタ、チンチタッタ~、信州一、信州一、おっみおっつっけ~!」
 もうほとんどトランス状態。誰も彼らを止められない。
 このバカ騒ぎを知った担任の先生(←24歳・独身女性)の怒りたるや、凄まじかった。
「そんなに見せたいのなら、ずっとそのままのカッコで教室の前に立ってなさい!」
 かくして4、5人のラインダンサーが教壇前に立ち並ぶ中、私たちはいたたまれない気持ちで教科書に視線を落とす破目となる。腹ゴムと股ゴムの伸びたパンツをずり下げたまま、プチちんも頭もうなだれて、涙だばだばの男子たちを前に、どう授業を受けろというのか。
 今の先生がこんな罰を与えようものなら、「人権侵害」でPTAから糾弾され、教育委員会から事情聴取され、挙句の果てには教員免許剥奪は免れたとしても、遥か離島でウミネコ相手に授業をするしかなくなるだろう。
 鷹揚な時代だったのだ。死ぬほどの赤っ恥をかいた悪がきたちは、その日のうちにはケロッと生き返った。私の知る限り、誰かからこの醜聞を聞かされたに違いない悪がきの親たちも、苦笑し赤面するだけで、誰一人として担任に食ってかかる者はいなかった。

 ココまで語っておきながら、ふと不安になった。私の記憶には尾ひれがついているのではないか。信州一味噌のCMソングの出だしが「チンチッタッタ、チンチタッタ」なんて出来すぎている。本当は「シュッシュポッポ、シュッシュポッポ」だったのを、悪がきたちが替え歌で唄っていただけかもしれない。さらには、実際にはパンツ一丁姿で立たされていただけで、「ずり下げ&もろ出し」はなかったのかもしれない。まぁパンツ一丁だったとしても、今ならコレだけでも十分えぐいので、許してもらいたい。
 なんといい加減な、と呆れられても仕方がない。何しろ目のやり場に困っていたくらいである。誓って凝視などしなかった私の記憶、曖昧模糊とした部分があって当然。印象としては、やっぱり「ずり下げ&もろ出し」だなぁ。これでいくしかない。これでいこう。しかし何処へ?

「歯を食いしばりなさい!」という、愛の平手打ちをかますときの先生の名台詞。あ~ぁ。もう一度聞きたいなぁ。
 
# by vitaminminc | 2006-05-17 15:36 | 人間 | Comments(4)

Make up→Wake up

b0080718_1548920.jpg GW中、たまたま乗ったローカル線の車両で、異様な光景を目にした。
 友だちに1通メールを送ったあとで、ふと周りを見渡してみたら、同じ車両に乗り合わせた大多数の人が、みな携帯を手にしていたのである。私と同じ右側のシートなど10人中9人。ちなみに携帯を手にしていなかった残りの1人というのは私の息子。つまり、私が携帯を開いていたちょっと前までは、こちら側の(息子を除く)全員が携帯画面を見ていたことになる。文明の利器とはいえ、何かに操られているようで、ちょっと不気味であった。
 ローカル線なので、一車両は短い。向かい側(左側)のシートは右側ほどではなかったが、それでも約半数(6人中3人)がうつむいて携帯に見入っていた。と、そのうちの1人の若い女性が、「カチャッ」
 と音を立てた。携帯をしまいコンパクトを手に取ると、化粧のチェックを始めた。降車駅が近いらしい。
 今では慣れたが、折り畳み式携帯が出始めたころは、あの二つに折った瞬間の「カチャッ」が、どうしても化粧用コンパクトの開閉音に聞こえた。車内で近くにいたいかつい男性がそんな音をさせたりすると、思わず「ん?」とその手元を確認したものである。

 以前テレビで街行く若い男性を対象に、「女性のどんな仕草に幻滅するか」というアンケートをとっている番組を見た。意外にも、「電車の中で化粧をする」という回答が多かったので、「アレ?」と思った。私自身はもちろんやらないが、若い女性の電車内化粧に眉をひそめるのは、もっぱら中年以上の男女だとばかり思っていたからだ。平成に入ってからあまりにも頻繁に見られる光景だったので、若者文化(どこがじゃ)の一つなのかな、くらいに捉えていた。若い男性にも不評だったとは。結果は受け入れても経過は勘弁ということか。案外まともな美意識に、ムッとするようなホッとするような・・・。
 ところで、若い女性の「電車内メイク」は決して褒められた行為ではないが、実のところ私はそれほどうるさくない。これには、ちょっとしたワケがある。今から十数年前に、そんな不快指数など霞んでしまうようなもんを毎朝見ていたせいだ。

 当時渋谷の事務所に勤めていた私は、通勤に銀座線を利用していた。少々遠回りであったが、浅草⇔渋谷は始発⇔終点の関係。「座って眠りたい」、ただそれだけの理由で利用していた。その女性のことを仮にメイクの「メイちゃん」と呼ぶことにしよう。私がメイちゃんの存在に気づくのに、さほど日数はかからなかった。もしかしたら、銀座線に乗り込んでから自分が座る定位置を決めた日からだったかもしれない。
 メイちゃんはその朝、先頭車両に駆け込み乗車してきた。そして私の目の前のシートに座るとおもむろにバッグからポーチを取り出して、熱心に化粧を始めた。当時はそんなことをするには相当の勇気が要る時代。でもメイちゃんは平然とやってのけた。それも、単にファンデーションを塗り直すとか、アイシャドーや口紅を引くといったポイントメイクを施すのではない。すっぴんぴんの顔面に下地クリームを塗りたくるところから始まる、本格メイクだったのである。
 ほかの駅から乗ってくるビジネスマンは、最初はみな一様にぎょっとした。それでも彼女の顔を見ずにはいられない。日経新聞の端からこっそり窺っているのがわかる。中には、このムスメがやらかしていることの答えはどこにあるんだといわんばかりに後ろを振り返り、私と目が合うと「ありゃ何だ?」と目で訴えてくるおじさまもいた。
 どんなに奇異な視線を浴びようとも、メイちゃんは決して動じることがなかった。この車両に乗っている人間などまったく眼中にないという集中力。一心不乱に化粧を進めていく。化粧の工程によっては左右の目のサイズが違う数分間があったりして、抗し難い魅力に溢れていた。30分間、完全に目が釘付けになった。
 メイちゃんを知った初日は、彼女が走って乗り込んできたこともあって、寝坊したのだろうと思っていた。うっかり寝過ごしたために化粧もせず家を飛び出したはいいが、仕事は接客業。ノーメイクのまま職場に行くわけにはいかないのだろう、と。
 しかし、違った。
 電車内メイクはメイちゃんのライフスタイルの一環、毎朝の日課だったのだ。少々の電車の揺れなどものともせず、慣れた手つきで次々ポーチから化粧アイテムを出したりしまったり。終点渋谷に着くと、乗ってきた人とはまったく別の人がスタスタ降りてった。
 銀座線の始発から終点までは、軽く30分以上かかる。メイちゃんは私の3倍以上の時間をかけて、ひたすら顔面づくりに没頭していた。ビューラーで睫毛をカールした後、マスカラを塗り、再びビューラーでカール。口紅を塗った後には艶出しグロスも忘れない。チークカラーはピンク系とオレンジ系の2種類を同時に塗っていたろうか。仮にこれだけのことをすべて家で済ませて来ようとすれば、30分早く起きる必要がある。メイちゃんは、体裁よりも睡眠時間を優先させる合理主義者だったのかもしれない。時間の有効活用である。顔のカ行変格活用である。(意味不明)
 メイちゃんの30分メイクにも飽きた頃、私は私で、座ると眠るという本来の目的を果たすべく、電車に乗ると同時に熟睡モードの日々を送っていた。ところがある日、電車が急停車。条件反射のようにメイちゃんを見たら、ちょうどウエットティッシュで「頬の口紅」を拭き取ろうとしているところだった。その超然とした表情は神々しくさえあった。以来、毎朝彼女が一駅ごとに別人になっていく過程を憧憬の眼差しで見守り続けた私である。

 今だったらどうだろう。あの当時ほどには注目を浴びずにメイクができるだろうか。周りのみんなはきっと携帯に目を落としている。電車内メイクも珍しくはなくなった。今、メイちゃんをしのぐ顔面パフォーマンスをするとしたら、電車に乗ってから顔に「パック」を施し(目だし帽か)、おりる直前に「パック」をベリベリ剥がすしかない。あの時代のあの入魂メイクは、それほどインパクトがあったのだ。
 携帯を閉じる音を耳にするたび、そして電車内メイクを見かけるたびに、眉をひそめるより先に目尻が下がってしまう。
 20代だった私の眠い目を毎朝顔面アラームで覚まさせてくれたメイちゃん。その警鐘的化粧が、今となっては懐かしい。

 
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# by vitaminminc | 2006-05-09 15:44 | 人間 | Comments(2)
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                    息子(超ユルキャラ)→

 先日、野又穣氏の絵が飾ってあった友人宅にお邪魔した日のこと。
 最寄駅でおりて、迎えにきてくれる友人を待っていたら、
「たぶんこっちから現れる」
 と息子が予想した通りの道を歩いてくる友人の姿が見えた。これから塾に行くところだという高校生の息子さんを伴っていた。
 礼儀正しく気持ちの良い挨拶をしてくれた息子さん。そのキリリとしまった表情が、あまりにもうちの息子と対照的だったので、思わず微笑み以上の笑いが浮かんでしまった。「アルジャーノンに花束を」のチャーリー・ゴードンに例えると、うちの息子が脳の手術を受ける前、IQ68のチャーリー。友人の息子さんは手術を受けた後、IQ185のチャーリーといった感じである。

 さて、我が息子。友人が昼食に出してくれたアサリのお吸い物を飲みながら、
「アサリは久しぶりだなぁ」
 と一発。しょっぱなから私を赤面させてくれるではないか。
 息子はつい最近までハマグリを巻貝の仲間だと思っていたくらいだ。そのため「アサリもうちでは高級食材でして・・・」と説明しようとしたが、その必要はなかった。お吸い物を飲み干すまでの間、「アサリは久しぶりだ」を連発してくれたからである。(TwT)やみてくりってんだよ。
 それだけではない。イクラと鰻とハマチ?とマグロ?が載ったおいしいお丼をいただきながら、
「う~ん。活きのいいイクラだ」
 なんて言ってイクラを追加してもらい、ごはんだけ残すというろくでもない食べ方をしてくれた。
(ーー;)いい加減にすろよな。
 もう今更何を言い繕ったところで無駄だと観念した。
「あ。今、出ちゃった」
 下半身から気体を放出させるたびにいちいち報告するバカっぷり。叱る気力も消え失せる。はひふ屁放棄だ。性格がここまで緩んでいると、菊門までもが緩んでくるらしい。
 それでも帰りの電車内で、一つだけ空いた席を見つけると、オバタリアンのような勢いで席を確保、私を座らせてくれた。おや、やさしいなと感心していたら、自分も疲れていたらしい。めずらしく甘えたように私の膝の上に座ると、間もなく寝入ってしまった。落ちないように息子を抱きしめながら、こいつはこいつのまんま育てようと決意のようなものを感じた。

 人生の先輩に、この日の息子の愚行を話したところ、
「ママにもママのお友だちにもうんと気を使っていたんだよ。いい子じゃない」と息子の肩を持った。それもそうかな。ただ振舞い方がズレていただけなのかな。だとしたら泣かせる・・・。
 しかし。
 その後、家でブリッジの姿勢をしたままテレビを見ながら、
「あ。出ちゃった」
 と言って自分で自分の臭気を浴び崩れていくバカ息子を見たら、やっぱりただの「地」だったんではないかと裏切られた気分になった。それでもとことん親バカでいくしかない。
 幼稚園の門のところにそびえる桜の木が道路の拡張工事で切り倒されることを知った日の晩、「桜の木がかわいそうだ」と号泣した息子。公園の片隅に散乱していたカブトムシのバラバラ死体を集め、土に埋めてあげていた息子。水を抜かれ、枯れゆく噴水の水溜りからオタマジャクシをすくってはバケツに保護していた息子。いろんな断片を思い出しては、やっぱりこれがこいつでこいつがこれなんだと納得。
  
 自分はいくつになってもどうしようもない下ネタばかり披露して私の血圧を上げるくせに、先日クラスの男の子を呼んで一緒に「人生ゲーム」をやったときの息子の言い草には笑った。ゲームの説明書を紛失していたためあやふやになっていたルールを、息子の友だちが正してくれようとしたのだ。友だちはすっくと床から立ち上がり、額の汗を腕で拭い(←暑い日だった)ながら、切り出した。
「うちんちのルールを説明するね──」
 その姿を見て、息子が苦笑しつつ一言。
「なにも立ち上がってまでするほどの話じゃないと思うんだけど・・・」

 おい。ならば、放屁には、報告するほどの、意味が、あるのか? 

 
 
 
# by vitaminminc | 2006-05-07 16:36 | 子ども | Comments(4)
b0080718_19415939.jpg←グレゴール・チョッキン
何の変哲もない、どこにでもいる海老茶色をしたザリガニだったが、うちに来てから徐々に体が淡いブルー系に変色。ハサミにいたっては美しいペパーミントグリーン。大変さわやか。
b0080718_19515386.jpg←S43年9月15日 26刷 定価60円(安い!)の新潮文庫。イラスト画家は伊藤明氏(写真提供=賢者1号)

 3月26日付の新聞で、村上春樹氏が「フランツ・カフカ賞」を受賞したという記事を読んだ。
 なんだか最近やたら懐古趣味に走りがち。70~80年代のJポップスを聴いたり、10代の時に読んだ本が無性に恋しく、読み返したくなる。老化現象の一種に違いない。

 そんなわけで、「フランツ・カフカ賞」の記事の影響だろう、4月はじめ実家に遊びに行った際、迷わず自分が昔使っていた書棚に直行。手に取ったのは、カフカの珠玉の短編「変身」だ。
 「変身」は、高校のド真ん中、高二の真夏の真夜中に読んで以来、私の最も好きな短編小説であり続けた。このたび自宅に持ち帰り、読み返してみて改めて感嘆した。透徹した実存主義文学の金字塔ここにあり。大人になって、それも子を持つ母となった目で読むと、高二の時には読み落としていた(あぁ、もったいない)行間までもが読めてきて、まさに目から鱗ンタクトレンズがポロリ。まったく無駄のない文章は、減量して鍛え抜いたボクサーの体躯。高橋義孝氏の洒脱な名訳による一文字一文字が、飛び散る汗のようにきらめいて見えた。こんな薄い本に、こんなにも厚意を寄せられるようになろうとは。「老化」を「成長」と感じさせてれる、カフカの度量に感謝した。
 高二の時点でこの小説を「完璧だ」と絶賛してはいたのだが、主人公グレゴール・ザムザを慈しむには、自分はまだ未成熟すぎた。今回は、ものの見事にグレゴール・ザムザのとりこになった。巨大な毒虫に変身した彼の、現実を受け入れていく順応性。自分の変わり果てた姿を眼の当たりにしたときの家族や上司のリアクションを想像し、「わくわくし」てしまう快活さ。慣れない身体に不自由するも、動作を一つ一つクリアしていく不屈の精神。妹がドアのところに置いた、グレゴールの好物(甘い牛乳にちぎったパンを浸したもの)を見つけた時には、「うれしさのあまり声を立てて笑い出しそうにな」るのだが、虫の身体が好物を受け付けず、「ぞっとしたといわんばかりに壺から頭をそらせて、部屋の中央に這い戻ってしま」う 愛らしさ。そして、習性までもがだんだんと虫へと変化していく中、ベッドの上ではなく寝椅子の下に、「ちょっと照れくさい思いをしながら」身を潜めてホッとする様子には、大いに母性本能がくすぐられた。
 また、グレゴールが、一家の稼ぎ手である自分が働けなくなったことで、老いた両親やまだ学生の妹の行く末を案じ始めた頃、彼の知らないところで父親がこまめに貯蓄に励んでいたという会話を立ち(這い)聞きした時の短い描写には、シュルシュルと舌を巻き、私も危うくカメレオンに変身するところだった。
「グレゴールはドアのうしろでせっかちにうなずき、この思いがけない用心と倹約とをよろこんだ」のだ。─あぁ、なんと健気なことよ。なんと家族思いの息子であろうか。私は「せっかちにうなず」いている毒虫の触角に触れたかった。そのいじらしさに涙しながら、ひゅんひゅん揺れる触角に、いつまでも触れていたいと思った。
 それゆえ、<結末>を見届けた後は、なかなか立ち直ることができなかった。グレゴールにわずかに残された人間らしい感情を、彼の家族は誰一人として理解することがなかった。兄が大事にしていた壁の絵を取り外そうとした時、妹は、毒虫がなぜ額のガラスにへばりついたまま離れようとしなかったのか、考えてみようともしなかった。妹を希望の学校に進学させてやりたいと願っていた妹思いの兄、仲良しの兄妹だったではないか。家族にとって彼は、もはや醜悪な姿をした巨大な毒虫でしかなくなっていたのだ。
 読後、熱病に侵されたように「変身」の魅力を吹聴し、グレゴールに自分がしてやれることはないだろうかと途方もない考えにとらわれていると、賢者の1人が38年前の「変身」の文庫本写真を送ってくれた。実は、「変身」を読み返している間中、グレゴールの無器用さが、うちで飼っているザリガニの「チョッキン」と重なって仕方なかったのだが、奇遇にもその文庫本の表紙に描かれたイラストには、ザリガニのごときハサミがあった。蠍をイメージしたものだろうか。心なしか、目までチョッキンに似ている。

 余談になるが、チョッキンは自分の身体の扱いが下手で、見ていると滑稽だ。どうも狭い水槽の中では、大きなハサミは無用の長物でしかないらしい。餌を落としてやっても、実際にそれを掴むのは巨大なハサミではなく、胸元に生えている細い小さなハサミ。だから餌がたまたま水槽の端に落ちたりすると、大きなハサミが行く手を塞いで前に進めず、餌を掴むことができない。やっとのことで身体を180度方向転換すると、腹を水槽の壁に押し付けるように身体を傾げてみせる。そして下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式に、たくさんの細い脚をジタバタさせて、どれかが餌に触れることに一縷の望みを託し、ひたすらもがく。見ていて実にじれったい。三十六人羽織でも見ているかのようだ。かと思うと餌が顔の鼻面に落ちてきても気づかないで、ずっと顔の上に載せたままでいることもある。

 グレゴール・ザムザが自分の身体を思うように操縦できずにいた変身当初、チョッキンの姿がオーバー・ラップしてしまったのも無理はない。私が持っていた「変身」のカバーはカフカ自身の顔写真をデザインしたものだが、かつての表紙絵がチョッキンに似ていたことを受け、名前を「グレゴール・チョッキン」と改めた。かくしてグレゴールの家族が彼にした仕打ちを詫びるかのように、そして片想いに似た情念を鎮めるかのように、蒼ざめたザリガニに注ぐ愛情を倍増させている私なのである。
 これは、グレゴール・ザムザの結末に傷ついた自分の心のケアでもあり、カフカに寄せる敬意の表れでもある。
 
──カフカは模倣できない。彼は永遠の誘惑となって、地平線に残るだろう。
                                  (サルトルの言葉より)


 
# by vitaminminc | 2006-05-06 19:40 | 生きもの | Comments(2)

夢想in空想

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 昨日訪れた友人宅の居間に、二枚の絵が飾られていた。友人に聞いて、その絵が野又穣氏の作品であると知った。

 絵の中に、人はまったく描かれていない。描かれているのは空想建築ともいうべき建造物が一つ。そのため、第一印象として、まず「寂寥感」のようなものを覚える。ふつう寂寥感というのは積極的に味わいたいものではないはずなのだが、どうしても惹きつけられてしまう。天空を意識させる建物、深みのある空の色や上昇気流を感じさせる雲の動きが、圧倒的な「解放感」を与えているせいだ。
 まもなく、私はあることに気づいて胸がキュンとなった。無人の風景は、人を拒んでいるのではない。人が存在する理由を再認識させてくれる──そんなやさしさを秘めているように思われた。
 人が集う居間に飾られた二枚の絵は、見た者の心を塔の中に呼び込み、そこから遥か上空まで引き上げ解き放ってくれるような気がした──「対流」のように。

 その絵を見た翌朝、不思議な夢を見た。もともと夢なんて不思議なものに違いないが、今朝見た夢は格別だった。自分が遭遇するシーンごとに、第三者としての自分が何らかの分析を加えながら展開していくのだ。
──私は知らない街にいる。辺りは暗く、足がすくむような雷、そして豪雨。雨のスクリーンの向こうに、なにやら建物らしき影が揺らめいて見える。あそこに行きたい。だが動けずにいる。
 と、誰かに強く手を引かれた。夢の中の自分が何歳くらいなのか見当もつかないが、間違いなく夢の中の自分と同じくらいの齢の女性。彼女は私の手をつかむと、頼もしく頷いてみせた。そして次の瞬間、私たちは勢いよく走り出していた。
 (これは母だ)ともう一人の自分が直感した。(母があそこの建物まで私を連れていってくれようとしている)
 夢を客観的に見つめるもう一人の自分がそう判断すると、シーンはいつのまにか建物の内部に変わっていた。コードが抜かれたままのテレビが、剥き出しの地面の上に放置されている。誰もいない。初めて入った建物のはずなのに、前に見たことがあるような気がする。
 (これは昨日見た絵の中だ)ともう一人の自分が納得する。(友だちの家で見た、あの絵の建物の中なんだ)目覚ましが鳴り、夢はそこで途切れた。

 夢から覚めた私は、夢の中のもう一人の自分に代わって最後の分析を試みる。つい最近、母親が確実に老いてきたことを認めないわけにはいかないシーンがいくつかあった。見た目は若いが、母親は実際古稀を過ぎている。駅の階段の途中で立ち止まってしまう母。それを待っている時や、手を引いて歩いた時に感じた切なさを、私は消化し切れず心の中に溜めていた。あの二枚の絵は、そんな思いを吸収していたのかもしれない。
 だから夢の中で私を塔に導き、解放してくれたのだ。そんな気がしてならない。

 (写真は「ゆんフリー写真素材」さまより拝借)


# by vitaminminc | 2006-05-05 17:20 | Comments(0)

思春期vs更年期

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←メルちゃん(ムスメの過去形)

 中学生のムスメは、今思春期真っ盛り。「花も恥らうローティーンです」と言いたいところだが、口が裂けても言えっこない。なにしろ家にいるときのムスメは、完全にオヤジ化しており、あの素の姿を見てからというもの、開いた口がふさがらないからだ。静かだなと思って振り返ったら、椅子に腰掛け片膝立てて、スルメをかじりながら宿題をやっていたのである。

 私の記憶の向こう岸にいるムスメは、お人形の「メルちゃん」によく似た、本当に女の子らしい幼女であった。メルちゃんは、お湯に浸けるとブロンドの髪がピンク色に変わるお人形。頭からお湯をかけてあげるのではなく、メルちゃんの頭を何度も湯船に浸しては、髪の色が変わる様子を楽しんでいた、あの残酷な・・・いや無邪気なムスメは、いったい何処へいってしまったのか。
 まあ、小学校に入学したムスメの授業参観を初めて見にいった日のことを思い出せば、その頃すでにオヤジ的要素が芽吹いていたことを認めぬわけにはいかなくなる──教室の壁に、こどもたちが自分のことを紹介している似顔絵が貼られていた。顔の横には、自分の好きな食べ物を書くようになっていた。「いちご」とか「ケーキ」など、愛らしい食べ物が並ぶ中、うちのムスメはと目をやると、丁寧な字で「ナンコツ」と書いてある。のけぞった。どこに焼鳥の種類なんかを書く6歳女児がいる? しかもナンコツ。マニアックすぎる。

 中学生の子を持つ周りの親の声を聞くと、みな一様に「反抗期でまいる」という。うちのムスメだって例外ではない。ただ、その反抗のカタチがちょっと異色。自分の部屋に閉じこもったきりパソコンや携帯ばかりいじり、親を煙たがってやたら口ごたえする──これがノーマルパターンだとすると、ムスメはこれには当てはまらない。確かに携帯もパソコンもいじりはするが、自分の部屋にこもることがない。宿題は居間でやる。テレビの騒音と猫たちの肉球攻め、そして母親(私のことだ)の「邪魔だ、自分の部屋で勉強しろ」という罵詈にも屈せず、思い切りオヤジ丸出しの姿を見せつけ、居直り勉強。何かを注意したり、手伝いを頼んだりしても、口ごたえはせずに「はーい」と返す。ただし、それを機に改めようともしなければ、次回から進んでやろうともしない。頑固オヤジである。
 学校ではさすがに・・・というより、むしろ自然体として、このオヤジの側面はさらしていないようだ。となると、なぜ家でだけオヤジに変身してしまうのだろう? つまり、これこそがムスメの「反抗」のカタチなのである。自分の部屋に南京錠まで取り付けてよからぬ思い?に耽っていた自分の昔を思えば、常に親の目の届くところにいるムスメなんぞカワイイもんだ。でも、あの女の子女の子して可愛かったムスメ=「メルちゃん」を諦め切れずに嘆く自分がここにいる。
 一度、あまりにものらりくらりということをきかないものだから、啖呵を切ったことがある。
「思春期だからっていい気になって反抗したって、更年期に勝てるわけないんだからね!」
 2秒後、ムスメは笑い出した。「何言ってるの~?」と。まったく、食えないオヤジである。
 ところが、たま~に「メルちゃん」が顔をのぞかせる瞬間があるのを、昨夜偶然知った。居間にオヤジ化したムスメの姿が見えないので、「もう遅いから早くお風呂に入りなさい!」と部屋に呼びにいくと、ムスメは部活疲れでベッドで仮眠中。名前を呼ぶと、ムクッと上体を起こし、にっこり。そのあどけない表情がとても穏やかで、つい「早くお風呂に入りなさいよ」なんてやさしく言い直してすごすご退散。
 今朝、5時頃起き出してシャワーを浴びているムスメに、「昨日お風呂に入らなかったの?」と目くじらを立てると「なんで起こしてくれなかったの~?」と泣きつかれた。起き上がってにっこり笑うから、てっきり完全に目を覚ましたものと思っていたが、ムスメは何も覚えていないと言う。
 あの童女のような微笑み、どこかで見たゾ、どこかで見たゾと思っていたら、遠い日のメルちゃん顔そのものではないかと気がついた。どんなにオヤジ化しようとも、「三つ子の魂、百まで」。メルちゃんは、ムスメの深層心理に深「層」の令嬢として生き続けていくに違いない。──そうでも思わないと、この先心配。思春期的反抗心に立ち向かうには、更年期的兵糧攻めでいくしかない。もうおやつにスルメなんか買ってやるものか。

 スルメに告ぐ・・・ぃゃムスメに告ぐ。風呂にも入らず朝まで寝るな! 「女らしく」とまでは言わない、せめて「普通」でいてくれ。あなたの母の辞書に、「あきらメル」という文字はない。
 

# by vitaminminc | 2006-05-02 09:11 | Comments(2)
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4月19日の晩、冬眠から目覚めたコクワガタ→
の五十嵐くん。
うちでは4/19=飼育記念日とした。

 ──ドブソウジンバブエの朝は、早い──
 久米明の、まるで複式呼吸のように深く腹に染み入るナレーション。それが似合う光景が、ココ埼玉県某市の市街化調整区域の一角にはある。
 私の実家は東京23区内で最もカントリーといわれる下町。それでもソコに下水道が通り、私の両親が長年のドブ掃除から解放されたのは、今から30年以上も前のことである。何の因果か、親の世代よりも後に生まれたはずの私が、21世紀の今になって、ドブ掃除をやっている。誤算だらけの住宅購入、(ドブの)フタを開けてみたら、ドブ掃除が待っていたというわけだ。歴史は繰り返されるというが、「まったくだ」と言いたい。
 毎月最終日曜がドブ掃除デーである。セーラーマンのようにデッキブラシを握り、ドブに溜まったヘドロをかき出す。甲板の上なら雄大な鯨の潮吹きも拝めようが、悲しいことに、ココは側溝。絵の具の緑色と群青色と灰色に赤土を混ぜたような泥を浴びませんように・・・と憂鬱に拝んでいる。
 ところで、このドブ掃除。開始時刻は一応朝の8時と決められている。私の感覚では、「8時」といえば、「8時までに集合」を意味するが、ココでは違う。その日一番早く外に出てきた人が鳴らすドラの第一声が定刻となる。正確には、ドブにかぶせてある重い鉄のフタを持ち上げ、道端に返し置くときのじゃかましい音が鳴り響いたとき──これが始まりの合図だ。
 目覚ましは毎月8時10分前にセットしているが、ただの一度も目覚ましに起こされたためしがない。もう10年間もドラの音に起こされている。眠い目をこすりこすり目覚まし時計の針を見ると、7時20分を指していることなどザラだ。それでも私は意地でも毎月8時10分前に目覚ましをセットする。間違ってうちが一番に出ていこうものなら、開始時間が際限なく早くなっていきそうな恐怖があるからだ。
 我々のような「中年」の域に足を踏み入れている者ですら「若い人」と呼ばれてしまうくらい、ココの平均年齢は高い。早朝散歩も朝食も盆栽いじりもすべて終え、残っているのはドブ掃除だけ。日曜の早朝、そんな過密スケジュールにお付き合いするには、うちも土曜の晩の消灯を9時にするしかない。ムリである。
──老人バブエの朝は、とてつもなく早い──のである。

# by vitaminminc | 2006-04-30 19:09 | 人間 | Comments(0)
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 今年もまた私の相好を崩させるものとの対面が叶った。小学生の息子が、学校で配られた「ぎょう虫検査」のセロファンを持ち帰ってきたのだ。正式名称「ウスイ法 ぎょう虫検査セロファン(2回採卵式)」。
 これがまた実に愉しいシロモノなのだ。まず、「記入のしかた」からして愉しい。

 例) 1年1組23番 丸 和 太 郎さんの場合

 となっている。駄菓子「もろこし輪太郎」なんかはこちらの親戚筋かもしれない。
 そして極め付きなのが、「使う時の姿勢」である。大正浪漫の香り漂うキューピーちゃんがしゃがみ込み、右手で自分の肛門にセロファンを押し当てている絵図だ。キューピーちゃんは、
「こんな感じでいいのかなぁ~?」
 みたいな微妙な表情で、自分のお尻というよりは、我々の方を振り返っている。運がよければ目が合う人もいるかもしれない。
 さらに、そのキューピーちゃんの左横には、セロファンの扱い方として、
 1.1日目  2.2日目  3.カバーをすてる  4.はり合わせる 
 という4つの図解入り。だが、これがいけない。図4が、たまたまキューピーちゃんの臀部の下に描いてあるために、キュー・・・いや、この際名前で呼ぼう─丸和太郎さんがせっかく示しているお手本が、なんだか別の光景に見えてきてしまうのだ。
 カメラ付き携帯で撮ったので、写真が不鮮明で残念だが、図4(1日目と2日目のセロファンをはり合わせる図)が、私の目には、まるで丸和太郎さんが大便を拭き取ったちり紙(トイレットペーパーではなく、ちり紙二枚)をだらしなくトイレの床に置きっ放しにしたまま、
「ちゃんと拭けたかなぁ~」
 と自分のお尻を気にしている様子にしか見えなくなってくる。
 天下り先として世間から白い目で見られがちな財団法人だが、「埼玉県健康づくり事業団」が作成している(らしい)このぎょう虫セロファン封筒のセンスだけは、未来永劫変わって欲しくないものの一つだと思っている。
 

# by vitaminminc | 2006-04-26 23:08 | 笑い | Comments(2)

不健康診断

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←先住人が花壇に残していった花。毎年可憐に咲いてくれるが、名前がわからない。沈丁花(じんちょうげ)に対抗して、勝手に「おきみやげ」と命名。

 さて──花の季節。年に一度の健康診断を終えた。
 さすがにこの齢(どの齢だっていいのだ)になってくると身体にもガタがくる。あちこち「普通じゃないんじゃなか老化」というような自覚症状が出てきたりもする。実際、返されてくる検査結果は、毎年何かしらのイチャモンコメント付き。今回の検査結果が返ってくるのは、おそらく3週間ほど先になるだろう。今度ばかりはいつになく不安である。乳癌超音波検診時の検査員の表情が、妙~にひっかかっているせいだ。
 毎回乳癌の超音波検診時には、寝違える寸前まで首を捻じ曲げ、わかりもしないくせに検査員と一緒になってモニターを覗き見する私だが、今年は角度的に無理だった。モニターがまったく見えなかったので、仕方なく検査員(女性)の顔を見ていることにした。ところが、その恐ろしいことといったらない。別に検査員が般若顔だったわけではない。むしろ菩薩的ですらあった。しかし、私の右胸にローラーを転がす菩薩さまの表情が、だんだんと、だんだんと険しくなっていく様子を見たら、誰が恐怖を覚えずにいらりょーか。
 舌打ちよりも気品のある、奥ゆかしい喉ち○こ打ちのような音。ちょいと待たれよ。今のはもしや、生唾を呑み込んだ音なんじゃ内科医?
 検査員は、一定箇所にローラーを押し当てると、何度も何度も、本当に何度も何度も執拗に転がしていた。まるで、
《ちょっと待って。嘘でしょ。今のはなに? ま、まさか・・・いいえ、何かの見間違えに決まってるわ・・・》
 と祈りでもするかのように、モニターのスイッチを幾度もカチカチ切り替えては、ローラーを転がす。
 いつも、こんなに丁寧に、長い時間かけて、診てもらって、いただろうか。第一この検査員さんの眉間の縦縞は、いったい何を意味しているのか。
 やがて彼女は諦めにも似た手つき顔つきで(たぶん→)気持ちを切り替えると、今度は私の左胸にローラーを転がし始めた。案の定、左側はあっけないほど早く終了。検査員の眉間にも縦皺は刻まれなかった。
 だからこそ、なおのこと、右胸が心配になるでは内科。。。

 そういえば、健康診断当日の朝、いつものように天然ボケをやらかした。
子どもにサンドイッチを作り、余ったレタスを無意識に口に入れたらしい。シャリシャリと噛んでいたら、子どもに「ママ何食べてんの?」と聞かれた。その一言で、突然我に返った。胃のX線撮影もあるから、前日の22時以降は飲み食い禁止だったのだ。
「あ”~!」
 限りなく「だ」に近い「あ」を叫ぶと、すかさず口の中身を吐き出した。子どもの目が点になろうが知ったことではない。緑色のペースト状の物体を吐き出す瞬間、ニタリと微笑むことを忘れなかった。さすが「エクソシスト」を3回観ただけのことはある。←自己満足。
 心電図もエコーも血液検査も血圧も、検眼検便検尿も大事だが、私の場合、脳波も検査項目に加えて欲しい。実は「普通じゃない」と最も強く感じるパーツが「脳」なのだ。
 右胸に下される審判と、野放し状態の脳内環境。なんかこの先、少々不安なのである・・・。(TwT)

# by vitaminminc | 2006-04-24 11:48 | 健康 | Comments(2)

夏in春

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 地球温暖化現象の一つに違いないが、今月に入り、私は春の中で二度も夏に出くわした。
 雹と入道雲。
 雹は4月8日の昼過ぎ、入道雲は4月21日の昼下がり。
【雹】は通常、夏の激しい雷雨に伴い降るものらしい。
 この日は用事があって、いつもよりも1時間早く仕事を切り上げた。それをサボリと見抜れ・・・違う、誤解されたのか、まるで天罰でも食らうみたいに、雹雨の標的にされてしまった。
 空が妙~に暗くて、大気の乱れを感じる風が乱暴に吹き過ぎていくものだから、嫌~な予感はしていた。でも家に帰るまではどうにかもつと思ったのだ。
 自転車をこぎ始めて5分と経っていない。東の空に閃光が走ったかと思うと、すぐに雷鳴が轟き、空気がミスト状になった。この段階でどこかに雨宿りすればよかったものを、変なところで意地を張ってしまう。バッグから帽子を取り出して被り、そのまま走り続けた。霧は結ばれ雨となり、雨は雹を産み落とした。
「ぅ雹~!」
 雹は降り注ぐというよりも、何者かにぶつけられる感じ。ハンドルを握る手の甲に、パチンコ玉サイズの雹がバチバチぶち当たるのだから、痛いったらない。
「イテ手手、イテ手手」
 小さく叫びながら、それでもチャリンコをこぐ足を止めなかった。手の甲は痛かったけれど、帽子を通してバババババと細かく当たる雹は、頭皮マッサージみたいで変に気持ち良かった。
 意地悪なことに、私が家に着くのとほぼ同時に、雹はもちろん、雨もピタッと止んでしまった。数年前に父を亡くしたせいか、空模様の気まぐれが、どうも父の仕業のように思えてならない。身に覚えはないつもりなんだけどねぇ。。。(汗)

 【入道雲】──これも夏の風物詩の一つ。積乱雲は夏以外でも見られるが、青空を背景にした、いかにも「Summer!」といった風情の入道雲は、やはり珍しい。
 天気予報は一応晴れマークだったが、朝から風がぴゅ~ぴゅ~と慌しかった。まるで呼び笛を吹き鳴らし、雲を呼び集めているような感じ。
 この日は定時に仕事を終えて外に出た。仕事をしている間に雨が降ったらしい。空気が洗われて清清しく、舗道の水溜りに浮かぶ青空が、歯をキラ~ンと光らせウィンクしているように見えた。
 繁華街のビル群を走り抜け、住宅街に出て初めて気がついた。南の空に、もくもくと入道雲が湧き上がっている。亡父が好きだった夏雲だ。思えばあの夏──6月の終わり、父は入道雲を見ることなく逝ってしまったんだなぁ。。。
 入道雲を見るたびに、亡き父を偲ぶ娘です。

(写真は「ゆんフリー写真素材」さまより拝借)


# by vitaminminc | 2006-04-22 16:14 | 自然 | Comments(0)

日々の暮らしに「ん?」を発見


by み茶ママ