ジュフン

 それは今朝──8:25頃のことだった。
 16インチの自転車を自力で転がしながら、家の近くの交差点を横断し終えた直後に、右の鎖骨付近にビチャッとした感触を覚えた。ムクドリによる落下物である。朝からなんてツイてないんだと怒りつつ、家に戻って出直す時間もなかったので、仕方なく鳥の糞を肩にのせたまま会社へ行った。
 タイムカードを切り、階段を登り、そのままフロアを突っ切って女子トイレへ直行。どうにか身を清めてから、ようやく自分の席に座ると、自分の身に起こった悲劇を同僚に語らずにはいられなくなった。
 「だけどそれってすごい確率だよね」と同僚は笑い、まもなく私の髪の毛の一部分を凝視し出した。「ちょっと、これもそうなんじゃない?」
 あぁ、やっぱり・・・。実は、肩とほぼ同時に左半球の後頭部にも跳ね返りのような軽い衝撃を感じていたのだ。
 以上のことからわかったことは、西に進路を取る私に対し、鳥は南南西を目指して飛んでいたということだ。自転車の速度、方向、地上からの高さ、そして鳥の飛行速度と方向と・・・。ベクトルの法則を駆使してもわからないのは、どうしたらそれを浴びてしまうかという確率である。
 同僚と二人で再び女子トイレへ。ティッシュで私の髪から不純物を取り除いてくれた同僚は、その後食器洗い用の除菌ジョイで自分の手をセッセと洗いながら、鳥の糞の有害性について語っていた。
 「いっそここでシャンプーしてっちゃえば?」
 「ジョイでかぃ」
 それにしても? いったいなぜ? 自分にだけ? こうも的中するのか? 春にも一回浴びている。あの日は会社の帰りだった。私が木の下に立っていて、その木の上に鳥が休んでいたわけではない。私は自転車で走行中、鳥は空を飛行中、にだ。
 今日、私は花柄のシャツを着ていった。受粉ならぬ受糞である。これからは晴れていても日傘を握りしめ、「防糞対策傘さし運転」でいくべきだろうか。
 情けない気分になった私は、糞を取り除いてくれた心優しい同僚に、改めてお礼することにした。
 「これでウンがつくはずだから、帰りに宝くじを買って帰ってね」
 後頭部をすり寄せながら験を担がせようとする私に、同僚はウレシイ悲鳴をあげて飛び退っていった。b0080718_17315594.jpg
 
 
 
 
 
# by vitaminminc | 2006-08-01 17:11 | 自然 | Comments(0)

収穫のヨロコビ

b0080718_1142178.jpgb0080718_2004890.jpg 7月に入ったある日、息子が学校から一粒の種を持ち帰った。
 「ベランダにオクラの種が1つ落ちていたから、先生に頼んでもらってきた」


 息子の話では、オクラの種は裏庭の3年生用の花壇に、みんなで蒔いたものだそうだ。それがなぜ、3階にある教室のベランダに落ちていたのかは不明だが、息子は直径3ミリにも満たない小さな球状の一粒を、大事に大事に持ち帰ってきた。
 「実がなったらママにあげるからね」と息子は言い、早速玄関先に置いてあった空きプランターに、たった一粒のオクラの種を埋めた。
 正直いって、芽が出るとは思わずにいた。種には当たり外れがある。いくつか蒔いても、蒔いた数だけ芽が出るわけではない。巡りめぐって息子の手に渡り、我が家には来たものの、芽が出ずに終わってしまう可能性の方がむしろ高いんじゃないか。そんなふうに思っていた。
 ところが、息子は違った。芽が出ないなんて事態は頭をかすりもしない。実が生ったときのことをあれこれ想像して話しながら、毎日ジョウロで水をやっていた。
 半月ほど経ったろうか。
 「ママ! とうとう芽が出た!」と息子からの報告。雑草かもしれないよと笑う私に、息子は上機嫌で反論した。
 「違う、ほんとにオクラ。だって学校の花壇に出てきたのとおんなじ葉っぱしてるから」
 息子たち3年生は、オクラの観察記録もつけていた。オクラであることは疑いようがない。
 オクラはすくすく育ち、やがて黄色い花を咲かせた。花の命は短い。たった一日だけ、それも午前中咲いただけで、すぐにしぼんでしまう。だからうっかり者の息子は花と対面することができなかった。
 「実が生ったらママに食べさせてあげるね。ママ、オクラ好きでしょ」
 何度も繰り返し話す息子の気持ちが嬉しくて、私もこっそり米のとぎ汁をかけては陰ながらオクラの生長を見守っていた。
 そして先週、とうとう大きな実が生った。たった1本!
 「ママに食べさせたかった」という息子の気持ちが、食物繊維に織り込まれているようで、それはそれはおいしかった。生産者の息子に似たのか、オクラにしては‘粘り強さに欠ける’のが特徴。けれども妙におもしろい、いや、おいしいのだった。
 今朝、2本目が収穫された。息子が鋏で切ってきた実を小口切りにして、今回は息子と娘の目玉焼きにもトッピングした。
 現在、3つ目の花の蕾がふくらんでおり、明日の朝にも花が開くかもしれない。
 週に1本のペースでのんびりゆったり実を結ぶ、暢気なオクラ。やはりどこか、マイペースな息子に似ている。
# by vitaminminc | 2006-07-31 20:30 | 子ども | Comments(0)

青い手

b0080718_16493873.gif 息子も8才になった。人目を気にして、私とつないだ手を離したがる回数が増えた。でも、あからさまに離したりはしない。
 「ちょっと待って」
 なんて言いながら、さりげなく手をほどき、大したことでもないことを‘身振り手振り’で話して聞かせたりする。人通りの多い時間帯なんかには、よくこうして手を離される。家を出る前から手をつなぎたがらなくなっているわけではない。私が子どもと手をつなぐのが好きなことをちゃんと知っているのだ。
 ところで、息子の手は、6歳くらいまで青かった。蒙古斑が、両手の甲に強く出ていたからだ。蒙古斑というのはご存じのとおり、黄色人種の100%近い乳幼児のおしりなどに見られる、あの青あざのことだ。生後1週目~1ヵ月頃までに、臀部や背中下部などに表れる。これは、色素細胞(メラノサイト)が表皮に向かって移動していく途中、表皮よりも深い繊維組織(真皮)に残存したものと考えられているのだそうだ。6,7歳くらいまでには自然に消失する。
 息子の手の青あざは、臀部など一般的によく出る部分と同時期に、よく似た色合いで表れたので、私はごく普通に蒙古斑だと理解していた。けれど、通常手の甲が青くなることはあまりないことから、何度か公園仲間のおかあさんたちに「その手、どうしたの?」と聞かれ、その度に蒙古斑だと説明しなければならなかった。それまでには自分でも家庭の医学書を開いて、息子のようにあまり一般的ではない箇所に出る蒙古斑が「異所性蒙古斑」と呼ばれること、アザが消えるまでにかかる年月が通常よりも比較的長いという知識などを得ていた。
 「もみじのような手」という表現がある。赤ちゃんの、ほんのり桜色をした小さなかわいい手を、赤く色づいたもみじに喩えた言い回しだ。そういう意味では、息子の手は「もみじのような手」ではなかった。けれど、私は息子の青い手がかわいくてたまらなかった。赤く色づく前──真夏の元気なもみじの手だと思っていた。
 歩き出し、やがてタッタカ走り出すようになった頃、息子は一度整骨院の世話になった。肘を脱臼したからである。いきなり県道に飛び出そうとした息子の手を、私が慌てて掴んだ瞬間、肘が抜けた。こうでもしなければ息子は車にはねられていた。
 当の息子はあまり痛がらなかったのだが、私はすぐに脱臼に気づいて、近くの整骨院に連れていった。上の娘が二度も肘を脱臼しているので、下げた時の腕の状態を見てピンときた。因みに娘の脱臼歴初回は知人のおばさんが娘の両手を持って宙に浮かせてあげようとしただけで外れ、二度目は自らマットレスの上でゴロゴロ転がって遊んでいる時に外れた。
 私自身が子どもの頃よく脱臼していたので、関節が外れやすいのは遺伝かもしれない。友だちが私の手を引っ張って「ねぇ早く行こうよぉ」なんていうのを見ただけで、母が「駄目駄目駄目駄目!」と叫びながら飛び出してきた。「腕が抜けちゃうから引っ張らないであげて!」
 この一言で友だちがギョッとして手を離し、娘がバランスを失ってひっくり返ることまで母は計算しなかった。
 私の場合、父が私の両手を持って回転ブランコみたいに「ぶーん」と振り回して遊んでくれようとした時に外れたのが最初。中学生の頃はやたら手首の関節が外れて難儀し、高校の時には一度自宅の風呂場でタオルを斜めに持って背中を洗っていただけで肩を脱臼した。息が止まるほどの激痛に、思わずもう片方の手でガバッと肩を押さえたら、鈍い音と共に無事にハマッた。社会人になってからも一度。あくびをした時に顎が外れた。笑い事ではない。この時も激痛に息が止まりかけた。思わず両手でガバッと顎を押さえたら、「カクン」という感触と共にハマッた。
 こんな自己体験を持つ私だが、素人が外れた関節を無闇にいじるのはどうかと思い、自分の子どもたちは整骨院に連れていくようにしていた。
 ところが、息子を診察した先生は、息子の手をじっと見て、「これは?」と私に聞いた。
 「蒙古斑のことですか?」と私は質問に質問で答えた。
 すると先生は私の質問には答えず、「お姉ちゃんも何度か脱臼していましたよね」といったきり、何やら思案顔になった。母である私がいかに脱臼しやすい体質であったかというこちらの説明には殆ど興味を示さないまま、
 「念のため明日も診せに来てください」と、湿布を貼られて帰された。
 翌日、言われたとおりに整骨院に行くと、待合室の本棚の真んまん中に、前日にはなかった書物が並んでいるのが目に付いた。
 「いのちの器」である。「いのちの器」というのは、『for Mrs’』(秋田書店)に連載された、上原きみ子のレディースコミック。産婦人科女医・有吉響子を主人公に、愛と勇気と生命の尊さを描いた物語で、後にテレビドラマ化もされた。
 間違いなく児童虐待を疑われていると思った。上の子が二度脱臼した上に、下の子も脱臼。しかも両手の甲に‘鬱血’までみられるとあっては、先生の気持ちもわからないではない。
 私がショックだったのは、自分が虐待母として見られたからではない。私の大好きな息子の青い手が、他人の目には虐待の証にしか映らないんだと知ったからである。整骨院の表ドアの横に貼ってあった「こども110番の家」の黄色いステッカーを思い出す度、目がしみた。
 健康診断に行った時、乳幼児の扱いに慣れている保健婦さんに、手の蒙古斑の話をしたら、
 「手の甲くらいなら十分一般的な場所なんですけどねぇ」と朗らかに笑い飛ばしてくれた。
 「──蒙古班の知識がない熱心なソーシャルワーカーや医療スタッフが、 児童虐待による傷であると誤解することもある」(wikipedia「蒙古斑」の項より)蒙古斑は、今はもう息子の手にはない。
 小さくて湿っていて青かった息子の手。今思えば、青いもみじというよりは、カエルの手みたいだった。カエルの手は、決して私を拒まなかった。
 またつないでみたいなぁ。息子の成長を喜びながら、同時に私の手は、青く小さな湿った手を探してもいる。

 
# by vitaminminc | 2006-07-28 16:40 | 子ども | Comments(4)

KA(T-T)UN

 そろそろ3ヵ月になる。
 KAT-TUNの亀梨和也(20)と小泉今日子(40)。年齢差20歳の熱愛報道が写真週刊誌「FRIDAY」で報じられたのは、4月27日であった。明日でちょうど3ヵ月。二人は現在もアツアツなのであろうか。
 私は、先ほどの仰天ニュースについて互いの事務所が静観しているのが、妙に引っかかった。これはあくまでも私の邪推に過ぎないのだが、なんとなく二人の交際には営業戦略の匂いがしてならない。百歩譲って、二人が本当に惹かれあって交際を始めたとしよう。これまでのジャニーズ事務所といえば、売れっ子の人気に影を落とすようなスキャンダルは、事務所の圧力で徹底的にもみ消す──そんなイメージがあった。なのに今回は、サラッとしたものだ。
 「亀梨が、以前から芸能界の大先輩として尊敬している小泉さんから、ファッションなどに関してアドバイスを受けているだけの話」って、泊りがけの理由にもならないようなことをシャーシャーと。
 まあ、もともと亀梨君にもキョンキョンにもさほど興味のない私。どうでもいいといえばどうでもいい話なのだが、この二人の交際を互いの事務所がデメリットではなくメリットとして受け止めているのは間違いないとにらんでいる。
 私の職場にも、いるのだ。キョンキョンと同世代で、ジャニーズ・ボーイに夢中になっている女性が。彼女は山下智久君の大ファン。彼がチラッとでも映っていようものなら、DVDはもちろん、彼の声の入ったCDから写真集から、とにかく全て購入している。それはそれは見ていていじらしくなるくらいの熱の入れよう。本当に智ピーのことが好きで好きでたまらないのだ。
 「私は智ピーのためにパートをしているの。給料の全部を智ピーにつぎ込んでも惜しくない」と彼女は言い切る。少女のような表情で、そう言い切る。これこれ、コレなのだ。ジャニーズ事務所は、子どもの手が離れつつある40代女性を、有力ファン層として歓迎しているに違いない。少なくとも、学生よりはお金を落とす。
 キョンキョンがもしも中途半端な30代だったら、あるいは揉み消しにかかっていたか。親子ほども齢が離れていればこその静観。10代20代の若いファンとて、あまり目くじらたてることもないだろう、一過性の熱病として大目にみるだろう、そんな計算が働いたのではないか。年上の女性に夢中になる亀梨を、マザコン趣味だとなじるには、キョンキョンはあまりにもかわいい。悪趣味だと思う輩は、若さ以外とりえのないコギャルだけだろう。しかも、キョンキョンは現在独身。クリーンである。人妻だったら、こうはいかなかった(はず)。ダーティなイメージはアイドルにとって致命傷、絶対に揉み消されていた(はず)。
 要するにキョンキョンは、ジャニーズ事務所が狙っていた40代のファン層を獲得する上で、好条件のすべてを満たした逸材だったのである。キョンキョンは、「私たちだってまだまだ捨てたものじゃないのね」と同年代の主婦たちに夢と希望と錯覚を与えた。そして40代女性から羞恥心を払拭し、堂々ファンクラブまで率いる、自由の女神となったのである。
 一方キョンキョンサイドにしても、異論のあろうはずがない。いくつになっても魅力的! アイドル健在! てな感じで今回の騒動に、思わずガッツポーズが出たに違いない。

 な~んてことをぽわんと考える私には、夢中になれるようなアイドルもいない。若い頃から変わることなく、妙に冷めている。
 携帯の待受画面で物憂げな目をしている智ピーを、大切な宝物でも披露するように、そっと拝ませてくれる同僚のかわいらしさ。何となく、羨ましい。
# by vitaminminc | 2006-07-26 15:49 | 人間 | Comments(3)

怖い人

 先日雨の朝、バスに乗って駅に向かう道中、それはそれは怖い思いをした。
 あってないに等しい時刻表。本来どの時間に来るはずだったのか見当もつかないくらい、大幅に遅れてバスが到着。やれやれとバスに乗り込み、空席に座ったはいいが、涼しかった外に比べて、冷房が入っていない車内は蒸し暑かった。それだけでも不快なのに、とにかくバスが進まない。駅へ向かう道は、雨の日には決まって渋滞する。
 突然、男性の短い叫び声が聞こえた。
 「携帯ッ!」
 私には、そう聞こえた。声の主は、通路を挟んで私の右斜め前に座っている若い男性。頭を抱える仕草が見えた。ははん、携帯を家に置き忘れてきたんだなと、ココまではまだ微笑ましい光景だった。
 しかし、携帯依存症患者の禁断症状(?)は、次第にエスカレートしていく。その若者は、1つ大きく舌打ちをすると、大声なのに何を言っているのか聞き取れないような独り言を始めた。最初のうちは数分に一度、短く何か発声する程度だったが、そのうちに窓ガラスをガンッと拳で殴る動作まで加わった。
 彼女との待ち合わせに遅れることが明らかになった今、携帯で事情を知らせることができずにイライラしているのだろうか。あれこれ想像する私の心臓は、恐怖で早打ち状態。
 バスは亀よりのろい。せめて冷房でも入れてくれたらいいのに。そうすればこの人も少しは頭を冷やし、冷静になれるかもしれない。運転手は何をやっているのか。今の窓ガラスを叩く音が聞こえてないはずはない。降車ランプが点いた。こんな切羽詰まった時に、次のバス停で誰か降りるらしい。いや、逃げ出す気になったのか。いっそそこでこのイライラの若者も一緒に降りてくれないものか。長いその足で、駅まで走った方が早いに決まってる。
 しかし、降りたのはまともな客だけ。若者は降りなかった。降りない代わりに、
 「ギャアア!」
 と奇声を発した。
 おお、ついにくるべきものがきた。やっぱりこの人は普通ではなかったのだと震え上がった。何が怖いって、どこから見ても普通に見えるところが怖い。きかんぼの乳幼児が、自分の思い通りにならなくて癇癪を起こすのなら、うるさいだけで怖くなどない。が、目の前に展開している現実は、ひたすら恐ろしい。
 若者は、20歳前後に見えた。とてもおしゃれだ。短い髪にツイストパーマをかけ、耳にはピアスがキラリ。アッシュカラーのセンスのよいアロハシャツの下には、きっと真っ白いTシャツを着ているはず。クロプトカーゴパンツの下には、しまって美しい脛が伸び、マリンシューズも自然に履きはこなしている。早い話が、黙って座ってさえいりゃあ相当モテるに違いないような若者の一人だったのである。
 だが、若者は黙ってはいなかった。
 再び「キョエェ!」と叫び(←ブルース・リーか)、自分の頭を拳骨でゴンゴン殴っている。
 若者のすぐ前には女子高生が座っていた。私がバスに乗り込んだ時、彼女は背を丸めてセッセと化粧をしていたのだが、かわいそうに、今やバッグを抱きしめながら、背もたれからできる限りはみ出ないよう必死になって寝たふりをしている。通路を挟んだ私の前の人々はと見ると、まるで申し合わせたかのように、自分を含め誰もがみな、窓にもたれるように身体を左(若者がいる方とは逆)に傾け固まっていた。
 バスは、ようやく難関R17を超えた。若者は窓ガラスや自分の頭を叩くのを止めて、ゆっくりとはいえ走行中にも関わらず、立ち上がった。おそらく乗客の誰もが肝を冷やした瞬間である。
 若者は、ゴリラのボス、シルバー・バックのように、天井のてすりにつかまりながら、上体を屈めた。そしてフロントガラスの向こうにかすむ駅を黙って睨んでいた。運転手が、さりげなく冷房を入れたようだ。もうすぐ駅のターミナルに入るという頃になって。
 「たいへんお待たせいたしました。まもなく○○駅に到着いたします」
 運転手の生の声は、いつになく丁寧である。バスが遅れた時、降りる客は先を争うように料金箱を目指すが、我々の誰もが電車に乗り遅れることよりも、命の方が大切だと認識していた。若者が、誰にも邪魔されることなく悠々とバスを降りるまでの間、おとなしく座ったままだった。
 こうして恐怖のバスツアーは、一人の犠牲者も出さずに無事終了。だが、私だって頭を抱えたくなる。あの若者の奇行はなんだったのか? 一見おしゃれな今風の若者を、ああも自己制御不能にさせたものは、何だったのか? 何が彼を動かしていたのか?

 ダイオキシンを与えたマウスが、感情障害や行動障害を引き起こし凶暴化──いつか読んだ新聞記事が、今更のように頭をかすめる。
 自分が「怖い人」になっている、またはなりそうな気がする人は、絶対にハンドルだけは握らないでください。
 
# by vitaminminc | 2006-07-25 18:08 | 人間 | Comments(4)

ポケモンたちに告ぐ

 思ったより息が長かった。しかも今でも続いている。なぜだ? なぜなんだ、「ポケモン」め。

 私は「ポケモン」が好きではない。これ案外、ペット好きな人なら頷いてくれるんじゃないかと思う。だって、モンスターと出くわすたびにいちいちポケットからモンスターボールなんかを取り出して、スヤスヤと眠っていたかもしれないモンスターたちに「行けー!」なんて偉そうに叫んで、闘わせるってんですから。そこのところの心境が、私にゃあ理解できない。一生理解したくもない。

 ♪あぁ~、憧れの~、ポケモンマスターに~、なりたいな~、ならなくちゃ~、絶対なってやる~

 あんたらはいい。モンスターたちを闘わせて、よくすればそのトップブリーダーのモンスター版みたいな地位が獲得できるんだから。でもね、闘わされるモンスターたちに、説明できるんですか? え? 【なんのために闘うのか】を、ちゃんと説明できるんですか!ってんだ。

 ウルトラマンや仮面ライダーは、まだ単純でよかった。だって彼らが闘う相手は明らかに人類に危害を与える「悪者」なんだもの。でも私が見る限り、ポケモンの闘いは絶対に必要な闘いだとは、どうしても思えない。人間様のために闘わされているだけにしか見えないのだ。
 ゲームの中で繰り返される暴力シーンが、少年犯罪を誘発する──このことが社会問題としてクローズアップされてから、もう何年も経つ。当然、ポケモンはそういったことを配慮してプログラミングされたゲームストーリーに違いない。その証拠に、主人公はポケモンたちをこよなく愛し、闘いの後にはキズついた身体を癒しに、お決まりのように「ポケモンセンター」に駆け込む。  おい、おい。キミたちには学習能力というものがないのか。キズつかないためにはどうすればいいのか。頭を冷やして考えろ。一緒に成長の旅をしている仲間を闘いに引きずり出したりしなければ、誰もキズつきはしないのだ。
 ポケモンたちもポケモンたちだ。どこの世界に愛するわが子を戦地に送り出す親がいる? それでもキミたちは、かなしいくらいご主人様が大好きなんだね? だって闘う前も闘った後も、ご主人様はとてもやさしくしてくれるもの──。
 ポケモンマスター(予備軍含む)の偽善者ぶりは、まるでDV加害者のそれとおんなじ。暴力に及んだ後には、必要以上にやさしくなる。そうすることで、傷つけた相手に精神的足枷をはめて、自分から逃げられないようにしてしまうのだ。

 ポケモンたちに告ぐ。──もう闘わなくてもいいんだよ。でないとただのDV被害者でしかない。自分たちの意思で闘うのなら何も言わないけれど、
 「キミに決めたー!」
 なんてバカげた一言で、いきなり闘いの場に送り出されちゃかなわないだろう?
 今度、卑怯者に言っておやりよ。
 【自分で闘えよ】──ってさ。
 
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# by vitaminminc | 2006-07-24 18:12 | 人間 | Comments(0)

鳥肌ーリン

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 「おはよ! 元気? 久しぶりに凄いニュース! 今日はうちの子の運動会なんだけど、朝一で、X君の父ちゃんが横にいるのを見た! 覚えてる? あのいつものオーラを発し、Gジャンに革靴だ! もう7年も経つのに、あの時のまま。超胸キュン!──」
 ↑これは今年の夏の初めに友だちから送られてきたメールである。友だちは、自分の下の子の小学校の運動会を見に行った朝、7年ぶりに「X君のおとうさん」を見ることができたのだ。その時の興奮と感動が「超胸キュン」の一言に凝縮されているようだった。
 私たちは、上の娘同士が幼稚園で仲良くなったことがきっかけで、8年来の友だちだ。X君というのは、当時娘たちと同学年だった男の子。クラスが一緒になったことはない。
 幼稚園というのは、とにかく行事が多い。ある日、私は何かの行事で、すごい力によってぐるりと後ろを振り向かされた。変な話、自意識過剰なわけではないが、私はたぶん人の視線をキャッチする能力に長けている。これまでにも、私が振り返ると慌てて視線を逸らす人を何人も見てきた。サマーセーターを裏返しのまま着ていたことや、後ろ髪が寝癖で飛び跳ねていたことなどを除外しても、決して少なくはない。なぜ人はかくも変なものに惹きつけられてしまうのか。何だか話がズレてきた。元に戻す。
 私が振り返ったとき、実はX君のおとうさんはこちらを見ていたわけではない。つまり、「視線」ではなく、別のチカラで私を振り向かせたのである。
 それは、どよよょ・・・とうねりくるオーラであった。それも、街で見かける芸能人などがやたら垢抜け輝いて見えるアレとは違って、限りなくダークなオーラ──「暗泥メダ大星雲」のような、闇に吸い込まれそうなオーラであった。わかりやすく言うと、【鳥肌が立つほどキモチ悪かった】のである。
 X君のおとうさんは、小柄で華奢だった。ヘタすると私よりライトだったかもしれない。そしてなによりも、いでたちが異様だった。両肩が脱臼したみたいな、大きすぎる上着。くるぶし丸見えの、短すぎるジーンズ。その下には黒ソックス&黒の革靴。「やめてぇ・・・」とうめきたくなるようなロー・センスであった。
 貧乏なやもめ男か万年独身彼女なし男が、古着屋でサイズのまったく合わない服を間に合わせに買って、そのまま歩いて来ました、というようなカッコだった。野暮ったさも、極めれば心を打つ。私はその人が気になって気になって仕方がなくなり、横にいた友だちに小声で聞いた。
 「ねぇ、あそこに立ってる男の人、誰のおとうさん?」
 え?と振り向き、私の視線の先を見た友だちは、思わず口を手で押さえながら声に出していた。
 「何あの人、気持ち悪い!」
 このように、当初は生理的に受け入れられずにいた私たちだが、「ぞっ」とくる妖しい感覚が忘れられず、気がついたら中毒になっていた。行事のたびに、どちらともなくX君のおとうさんを探すようになっていったのである。
 「ゲ!」と叫びたくなるファッションは相変わらずで、逆にどうすればああも適正サイズを外した服ばかり身につけられるんだろうと不思議でたまらなかった。
 暗黒オーラの光源がX君のパパだとわかるまでに、そう長くはかからなかった。友だちが、行事の係でX君のおかあさんとたまたま一緒になり、ついには服のセンスの理由まで仕入れてきた。それによると、X君のおとうさんは入婿で、お金にはちっとも不自由していないはずであった。いや、自由になるお金には誰よりも不自由していたのかもしれない。なにしろ着ている服の大半が妻のお下がりだという話だから。
 まもなく私と友だちは、秘かに「X君のパパ☆ファンクラブ」を結成した。X君のおとうさんは、安値の札で主婦を惹きつける、スーパーの「はね海苔」だった。光沢もなく薄いけど、味は寿司海苔。
 行事では、自分の子どもの位置を確かめた後には、必ずX君のおとうさんの立ち位置を確認した。子どもを見る振りをして、さりげなくそばに寄っていくこともあった。そばにいった時などは、「ぞぞぞぞぞ・・・」という効果音が周囲に漏れ聞こえはしないかとハラハラしたほどだ。
 やがて私たちは二人とも、離れていても近くにいても、X君のおとうさんがいると、自然に鳥肌が立って、“いる”と察知できるまでになった。妖気を感じると髪の毛が立つ鬼太郎のようなものだ。
 X君のおとうさんが発していたオーラは、北の空に揺らめくオーロラのように、我々二人のファンを魅了して止まなかった。

 「──こっそり写メしようかと思ったけど、携帯なんか構えてこっちが変人に思われるのもイヤだったから、泣く泣くあきらめた」と友だちはメールを結んでいた。
 
 こう蒸し暑いと、あんなにも私たちに鳥肌を立たせた、X君のおとうさんが懐かしくなる。彼は、あの強烈なマイナスオーラのほかに、きっとマイナスイオンも発生させていたんだろう。ただキモチ悪いだけの人はザラにいるけど、X君のおとうさんは格が違う。小柄で華奢だったが、母性本能をくすぐるタイプとはまったく違っていた。
 真夏の鍾乳洞かお化け屋敷か。一種独特の、あんなにも不気味な引力を持った人を、私と友だちは、ほかに知らない。
 ブキ魅力的、なのである。
 
# by vitaminminc | 2006-07-22 15:42 | 人間 | Comments(2)

揺れる

b0080718_11234239.jpg 最近、揺れてます? 通勤電車とか震度2の地震とかじゃなくて、何かに身を任せて、揺れたりします? 心が揺れてどうするんですか。まぁ心が揺れたっていいですけど。

──ってなことを問いかけたくなったのは、遠い昔に揺られたハンモックのことをふと思い出したからだ。
 私が子どもの頃、家にはハンモックがあった。ハンモックだけではない。籐製のブランコもあった。気が向けばそれらに身を任せて、好きなだけ揺られてられた。夏の昼下がりには蝉の声を子守唄に、目を開けたまま、揺れて揺られて─夢見るように過ごしたものだ。
 なんていうと、広い芝生の庭だとか、ウッドデッキの玄関先だとか、アメリカ映画に出てくる田舎の家に育ったようだが、実際はまったく違う。ハンモックも籐製のブランコも、すべて家の中にあった。
 ハンモックは、六畳の和室(両親の寝室)。2本の柱に太いフックを取り付けて。普段は片側の柱にまとめておいて、使う時だけネットを広げる。片方の支柱バーの先の輪を、向こうの柱のフックに掛ける。
 ブランコは私の個室(1.5坪の畳部屋)。開け放った障子の上の鴨居にひっかけ吊り下げて、昼間はいつでも乗れたのだ。
 これらはすべて父の趣味。すごいセンスだが、子どもの辞書にミスマッチという言葉はない。畳の上にハンモックが渡してあろうが、障子の代わりに籐製ブランコが下がっていようが、そんなことは問題じゃない。風にゆれる木の葉のように、あるがままを受け入れ揺れる──大好きだったなぁ、揺れるのりもの。

 考えてみると、もうずいぶん長いこと揺られていない。公園のブランコに、最後に乗ったのはいつだったろう。黒澤映画「生きる」のワンシーンが蘇る。あれは確か、病気で余命いくばくもない主人公(役所の人間)が、地元住民の要望に初めて耳を傾け奔走する。市民の憩える公園をつくるために。ようやくその願いが叶った公園で、主人公は自分がもう長くないことを悟り、たった一人ブランコに揺られるのだ。ひとこぎひとこぎ、しみじみと。自分が生きた最後の証を噛みしめるようにして・・・そんな話じゃなかったか。

 自分の部屋の入り口にあった幼児用ブランコは、私が小学校低学年のうちに、もっと小さな子どものいる親戚の家にもらわれていった。大好きだったハンモックは、ある年の夏休みに難破した。兄(小6)と私といとこ(小4)の三人で、「嵐にあった船」ごっこをしている時に、悲劇は起きた。ハンモックの両端の張り木を掴んだ二人が、中の一人を振り落とすまで過激に揺らす。そんなろくでもない遊びをしている最中、ものの見事に大破した。新しいのを買ってもらえるかと期待したが、「買っても壊す」と決めつけられて、とうとう我が家から「揺れる」すべてが姿を消した。
 
 電車の揺れも“1/f 揺らぎ”らしいから、ブランコやハンモックの揺れも、それに近かったんだろう。とにかく心地よかった。心地よかったという記憶しかない。ブランコやハンモックに身を任せ、α波を放ちながら、いくらでも空想に浸っていられた。
 ブランコはムリでも、ハンモックになら大人でも乗れる。アウトドア用品のコーナーで、2000円位で手に入る。ただ、今の家の柱に吊るして、今の私が横たわったら、どうなるか。築30年を越す古家の柱。「人」という字を描きそうで怖い。家自体が揺らいでしまってはシャレにならない。心地よくもない。

 あ~ぁ、今のポリプロピレン製のネットなんかじゃなくってさぁ、あの懐かしいコットン素材の網の中、くもの巣にかかった幼虫のように、背中を丸めて目を閉じるのだ。観念しながら眠りについて、虚しくかぼそく祈るのだ─いつの日か、飛べますように─舞い飛ぶように、舞い飛ぶように、揺られながら、夢が見たい・・zzz・・・☆
# by vitaminminc | 2006-07-18 11:23 | 人間 | Comments(2)

主役不在

b0080718_1827408.jpg←アブラゼミ(Wikipediaより拝借)
 
 図書館に向うアスファルト道路は、スイッチを切って間もないスチームアイロンの表面。街全体が亜熱帯植物園と化し、誰もかれもがふやけて見えた。
 連日ニュースでは、やれ34℃だ、35℃だと最高気温を伝えている。そのとおりの温度に浸りながら、頭の中ではしきりに何か目には見えないギャップのようなものを感じていた。何か変だ。何が変なのかがわからないまま、気がつくと図書館に着いていた。
 自転車を停めて、空を仰ぎ見る。梅雨明け前の、地味な雲に覆われている。白っぽい灰色、黒っぽい灰色、青紫っぽい灰色──空は、本来の突き抜けるような色を隠し、病んでいる顔色をしていた。
 でも、私が「変だ」と感じたのは、空の色のことではない。図書館の向かいの寺に視線を移したとき、その答えが見つかった。寺には、緑の木々がたくさんあった。

 温度にサウンドが伴っていなかったのだ。私の体感温度はセミの鳴き声を必要としていた。

 セミたちは、知っているのかな。こんなに幾日も暑い日が続いてるのに、まだ梅雨が明けてないってことを。
# by vitaminminc | 2006-07-15 18:21 | 自然 | Comments(2)

名前ノムコウ

 ラジオの女性DJが、「シカオちゃん」と呼ぶのを耳にして、私はひどく違和感を覚えた。‘シカオちゃん’とは、ご存じのとおり、SMAPに「夜空ノムコウ」を提供したことでも有名なミュージシャン、「スガシカオ」のことである。彼は今、娘が夢中になっているアニメ「×××HOLIC」の主題歌なんかも担当しているが、ハスキーな声と怪しげな旋律が妙に印象的だ。
 ちょいとしたファンであれば、好きな相手の名前を「ちゃん」付けして呼ぶくらい、珍しいことでもなんでもない。私が「チガウ」と感じたのは、あくまでも個人的な見解からだ。なぜなら、「スガシカオ」は私の中では、「清し(すがし)顔」だったからである。
 そもそも最初に、文字としての「スガシカオ」を目にした時点で、私の勘違いは始まっていた。「すかし顔」と読み間違えていたのである。次に文字を見たときに、「ガ」の位置を修正し、「スガシカオ」はスカした野郎から「清し(すがし)顔」の男へと変貌を遂げた。どこをどうひねればそんな不自然な解釈ができるのかと首をひねりたくなるかもしれない。でも私はごく自然に何の疑いもなく、頭の中で「清し(すがし)顔」と変換していた。ミュージシャンにありがちなナルシスト的傲慢さと、長塚節の短歌「たらちねの 母がつりたる 青蚊帳に すがしといねつ たるみたれども」に見られる清廉さとを併せ持った、ヒジョ~に斬新なネーミングだと唸ったほどである。(←バカか)
 以来私は、ラジオの女性DJが「シカオちゃん」と言う瞬間まで、ず~っとスガシカオのことを「清し(すがし)顔」だと思い込んでいた。誰も変わった名前だと指摘する者がいないのも妙だなとは思ったけれど、もともとミュージシャンなんてのは変な名前の集団である。大して気にもせず、スガシカオは(私の中で)、自分で自分のことを「清清しい顔」呼ばわりする変な男であり続けた。だから今更「スガ+シカオ」なんて受け入れ難いのである。

 余談になるが、何年か前に「ウルトラマンティガ」がTV放映されていた頃も、同じような勘違いをした。新聞のテレビ番組表にあった番組のタイトルが、文字数の関係で「ウルトラ」と「マンティガ」の二段に分かれていたのが原因だ。私は何の疑いもなく、かつての「ウルトラQ」みたいなシリーズが帰ってきたのだと思った。
 「Q」の意味もいまだによくわからない私にとって、「マンティガ」の意味がわからないことなど問題ではなかった。もしかしたら、今度のウルトラシリーズは、宇宙からの飛来生物が相手ではないのかもしれない。「マンティガ」というのは、深海の未知なる生物の総称で、毎週毎週何らかの謎の海洋生物が登場して、ウルトラ警備隊と死闘を繰り広げるのかもしれない。
 ヒーロー不在の「ウルトラQ」シリーズの方が、よりリアリティが感じられて好きだった私としては、新番組「マンティガ」を大いに歓迎した。カモン、マンティガ!
──そんなわけだから、実際に「ティガ」が登場するシーンを見た時の私の失望と羞恥心は語るまでもない。
 あれから何年経つだろう。まったく学習能力なし。
 これからも私は、名前ノムコウにあるものを追い続けていくに違いない。
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                 ↑カナヅチだったティガ
 
# by vitaminminc | 2006-07-13 18:25 | 笑い | Comments(10)

バカ無限大

b0080718_20324967.jpg 暑い。蒸し暑い。もはや笑う気力もないほど暑い。
 てなことを思っていたはずなのに、不覚にも笑ってしまった。
 息子のせいだ。やつはお風呂に入るために、脱衣所で服を脱いでいた。そして、
 「ひゃほほほほ!」
 とインディアンのように笑いながら、いったん廊下に出てきた。
 ニッと笑って得意そうに私に向けた顔には、大きなメガネ。それが何であるかを理解したとたん、私は笑った。

 息子が顔にあてがっていた大きな白い‘メガネ’の正体は、さっきまで穿いていたブリーフである。汗でくっついて、脱ぐときにクルクルとコヨリのようにねじれ、見事な無限大記号(∞)を形成していた。
 しばしエルトン・ジョンのような顔を披露したかと思うと、息子は突然自分の使用済みパンツを遠くに投げ飛ばした。
 「くせっ!」
 当然のことながら私に「バカ!」と叱られた息子は、すごすごと無限大を拾いに行った。
 マッパのふりちん姿で。 
# by vitaminminc | 2006-07-12 20:51 | 子ども | Comments(2)

昔も今も欲しいもの

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はてなダイアリーさんより拝借/エクボが可愛い相田翔子→

 私は、エクボが欲しかった。小学一年の頃から、欲しかった。自分のほっぺに、欲しかった。
 笑うと「キュッ」と音が出るような、小さなエクボが欲しかった。口角の真下に「キュッ」と出る、小さなエクボが欲しかった。
 小学一年のとき、初めてエクボを知った。同じクラスのジュンちゃんが、エクボの出来る女の子だった。彼女が笑うたびに、口元に窪みが出来た。私は窪みにハマッた蟻となり、たちまちエクボのとりこになった。
 「その穴、なあに?」と私が聞くと、ジュンちゃんは「私、エクボが出来るんだ」と教えてくれた。少し誇らし気な顔をして。
 学校の外で二人で遊んでいると、よそのおじさんがジュンちゃんの顔を見て、
 「あれ、かわいいエクボだねぇ」と言った。
 やっぱり、誰が見ても可愛いんだ。
 「どうすれば、エクボができるの?」
 そう聞く私にジュンちゃんは、ますますエクボをシャープに絞り、小首を傾げて見せるのだった。
 母にエクボをおねだりしてみた。
 「いつも指で押していたら、そのうち出来るようになるかもよ」
 だから私は小指の先を、暇さえあれば口元に当てた。ほんの少しではあるけれど、「らしきもの」が確かに出来た。

 一口にエクボといっても、位置やら大きさや深さやら、様々な表情がある。私が理想とするエクボは、タレントの相田翔子のようなエクボだ。見ていると、こっちまでつられて「キュッ」と笑いたくなる。女性らしい、実にキュートなエクボである。まったくうらやましい限りだ。
 「あばたもエクボ」と言われるように、エクボはみんなに愛される。中国では、「エクボのある花嫁は幸運をもたらす」という言い伝えがあり、エクボ欲しさに形成外科を訪れる女性、決して少なくないらしい。なんてこった! エクボが金で買えるとは!
 そもそもエクボとは、何であろうか。その部分の皮下脂肪が通常より少なくて、皮膚が皮下組織(繊維成分主体)を介して筋肉と癒着するため、筋肉の動きに連動して生じる‘ヒキツレ’なのだそうだ。要するに、エクボというのは、皮下組織が不十分なために起こる、「皮下組織の発達障害」というわけ。
 形成外科でエクボを手に入れるためには、手術によって、この障害=ヒキツレを人工的に引き起こしてもらう必要がある。口の中から切開し、表情筋と頬の皮膚の裏側を結びつけるというのがそれだ。なんだか聞いているだけで頬の裏側がヒキツレを起こしそうだ。イデデ。
 参考までに、タイ・バンコクのDr.ピチェート整形外科センターでエクボ造形手術を受ける場合、料金は、入院不要で500USドル也。ん? 日本円にするといくらだ? 1ドル114.05円として・・・約57000円!? 私の1ヵ月の薄給のパート代を払ってもまだ釣りが来る。飛行機代はこの際考えまい。なぜなら、私はこんな手術を受けてまでエクボが欲しいとは思わないからだ。欲しいけれど手に入らない、だからこそイイのである。憧れるのである。
 大体ね、気色悪いです。口の中を切って、表情筋と頬の皮膚の裏側を結ぶなんてのは。イデデデデ。中国ではそんなことして作られたとも知らずに、エクボが出るっちゅーだけで、一族総動員で息子の彼女を歓待しちゃったりするんだろうなぁ。

 で、小学生の頃うっすら出ていたはずの私の浅いエクボだが、齢とともにきれいさっぱり消え失せた。そこの部分の皮下脂肪が、通常並または通常以上に増えたためと思われる。キュッ!
  
# by vitaminminc | 2006-07-08 19:16 | 人間 | Comments(2)

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 ←宇宙人ではない。「タコ」である。

 昨日、子どもたちと一緒に七夕飾りを作った。
 「ママ、タコをつくってね」と息子に言われ、
 「えぇ? またぁ?」と私はごねた。なぜだか七夕飾りというと、「タコ」をつくるのは私の役目。
 「なんで? ママ、タコつくるの得意じゃん」
 娘もそうおだてて「はい、この色ならタコっぽいでしょ」とピンクの折紙を私に寄越す。‘タコつくるの得意じゃん’と言われても、ちっとも誉められた気がしない。
 でも今年は水色の折紙でねじり鉢巻なんかも締めてみた。8本の足も、くるくるにカールして、なかなか元気そうなタコに仕上げた。
 「タコに顔を描きたい!」という息子に任せたら、万引きを目撃した瞬間の、万引きGメンのおっさんみたいな顔のタコになった。
 娘が作ったおしゃれな短冊に、願いをしたためた。
 「虫が侵入してこない家に住めますように─☆」
 なんという現実的な、夢のない願いなのか。
 もう一枚の短冊には、毎年の恒例として、世界の平和を祈った。今年は北がバカなことをしでかすから、いつも以上に筆圧が高くなった。
 子どもたちは、二人揃って将来何になりたいかを書いていた。
 私は今、あなたたちのおかあさんをやっています。。。☆
 玄関先の大きな鉢植えの笹に、子どもたちがあーでもないこーでもないと、楽しそうに七夕飾りをほどこした。

 夜半過ぎに、通り雨。子どもたちが、七夕飾りのことを心配していた。
 「大丈夫かなぁ・・・」

 上の写真は、今朝見た七夕飾り。
 眼光鋭い万引きGメンのタコであったが、昨夜の雨にたたられ、くるくるの足は伸び切り、まるで泣き疲れたスルメイカである。
 今朝は、まだ願いが叶うには時期尚早だったため、玄関内の片隅には、一匹の蜘蛛が小さい巣をこしらえていた。私が虫の侵入を拒む内容を短冊に書いた晩に、わざわざ巣を張るなんていい根性をしている。しかも、その半透明な綿埃のような巣の中は、これみよがしにカメムシのような昆虫が捕まっているではないか。それを見た時の私の心境は、まさにスルメイカに変身したタコとシンクロしていた。

 今現在、日本の空の下で揺れている短冊、 いったいどのくらいあるのだろう?
 
# by vitaminminc | 2006-07-07 21:46 | 人間 | Comments(0)

娘がね、虫眼鏡

b0080718_16182239.jpg 私の娘は、妙なモノが目に止まる性質である。幸か不幸か、見なくていいようなモノに限って目が釘づけになるらしく、これまで何度も笑わせてもらった。b0080718_15295834.jpg

 
 
 
 今年中学校で行われた歯科検診終了後、娘は何人かの級友にからかわれたそうだ。
 「今年は社会の窓が開いてなくて残念だったね」と。 
 これはどういうことを意味するのであろうか。去年の歯科検診まで時間を巻き戻してみると─。
 齢の頃は30代。学校でお目にかかる成人男性としては、「アレ?」と感じるほどイケメンの先生だったという。
 だが、その歯科医師と向き合って座ったとたん、娘の網膜に引っかかったのは、顔ではなく社会の窓だった。ほぼ全開に等しい状態で、その窓は開いていた。ギョッとした娘の瞼はフリーズを起こしてしまう。どうにもこうにも視線を逸らすことが出来ない。そのあまりに一途な眼差しに、先生も思わず視線のゴールを見た。
 「おっと、失礼・・・」
 さりげなく窓を閉めると、先生は何事もなかったかのように、代わりに娘の口を開けさせた。
 笑いをこらえていたからなのか、恥ずかしかったからなのか。自分の顔が異常に赤くなっていることだけはわかった娘である。
 検診を終えた娘が、友だちに顛末を話すと、みんなゲラゲラ笑った。みんなも当然気づいてはいたけれど、見て見ぬ振りをしていたのだという。オトナである。
 それを、本人に気づかれるまでジロジロ見るなんて、「やっちまったね」と大いにウケた。
 「なんでみんな平気でいられるんだ?」
 私にその話を聞かせながら、娘はしきりに首をひねっていた。コドモである。
 ちなみにこの時の娘の順番は、2クラス目の13番目。つまり、先生は丸々1クラス分の生徒+12人の生徒を相手に、風通しよろしく爽やかな環境で診ておられたことになる。

 このことで、ふと望遠レンズの話を思い出した。娘が小学4年生の時のこと。ある日の下校途中、娘は栗林のはるか向こうで、立小便をしている人影を発見した。正義感の強い娘、早速翌朝同じクラスの男子に、前日に見た不届き者の話をした。
 「それって何時ごろ?」
 「3時半ごろ」
 「それ、オレ」
 「え!!」
 「家に入ってからするのタリ~から、林で立ちションした」
 「げ!!」
 その男子というのは、栗林の持ち主の息子である。

 あ。ついでにもう一つ。またしても至近距離の話。林の立小便見物から無事一年が過ぎ、小学5年に進級した娘。担任の先生(40代後半の男性教諭)と向き合って話しているうち、全身がフリーズ状態に陥るほどのショッキング映像を捉えてしまった。もう、会話どころではない。
 「だって先生の鼻の、毛穴の、中の、白いぷつぷつが、【モンシロチョウの卵】みたいだったんだもーん!」
 「ひゃぁぁぁあ!」聞いた私も思わずのけぞった。そして背筋を鍛えながら、角栓(?)をモンシロチョウの卵のようだと言い切る娘の観察眼に、思わず感服した。 

 それにしても、うちの娘・・・。不幸といえば不幸な視線の持ち主である。こんな無器用すぎる娘の視線、はたして受ける側は、‘幸’なのか、‘不幸’なのか?
# by vitaminminc | 2006-07-05 17:01 | Comments(0)

お鍋にマニロウちゃん

b0080718_92253.jpg 今日が私の仕事の振替休日と知るや、急性体調不良を訴え出た娘。仕方なく学校まで送り届けての帰り道。
 カーラジオから、にわかにチャカポコしたリズムが聞こえてきた。J-WAVEのDJジョン・カビラが、「みなさん、このリズムです!」と笑いを押し殺したように切り出す。

 彼の説明によると、シドニーでは6月初め、エンジン音や大音量のカーステレオといったルール違反の騒音を撒き散らす不良ドライバーを一掃する目的で、彼らがたむろするレストランの駐車場などに、拡声器を使ってバリー・マニロウの曲を流すことを決定。これは数年前、オーストラリアのとあるショッピングセンターが、ビング・クロスビーの音楽を流したところ、10代の少年少女を追い払うのに成功した事例に基づく対策であった。
 「ダサい音楽が彼らを追い払う唯一の方法。彼らは耐えることができない」(ビル・サラヴィノフスキー議員)
 世界的な観光地シドニーだが、近年では不良に駐車場を占拠され、ファミリー層の客足が途絶えるなど、事態は深刻さを増していた。そこで、上記の成功例に学び、フーリガンの溜まり場となっている場所に公共団体がスピーカーとパイプを設置、若者たちから「ダサい曲」扱いされている曲を流す作戦に出たのである。
 「マニロウは非常にダサいので、同じ効果があるはず」(地方議員ロックデール氏)
 ダサい、ダサい、と遠慮のない。なんだかどこかの団地で糞公害に悩む住民たちが、鍋を叩いてムクドリを追い払おうと躍起になっている話とどこか共通している。
 番組では、その後の成果がいかなるものであったかを、現地のしかるべき人物と電話をつないで確認していた。
 一度は駐車場に集まってきた不良ども。が、「耐えることができない」の言葉通り、早々に退散していったという。しかも、悪質な若者たちに対しては生理的に受け付けられなかったバリー・マニロウ、善良なファミリー客に対してはまったく無害だったらしい。「コパカパーナ」に文部省推薦曲的素質があったなんて驚きである。
 それにしても、「ダサい曲」として議員に推薦され、実際に効果を認められ「ダサい曲」のお墨付きをもらったバリー・マニロウ──喜んでいるわけがない。

 日本で同様の対策をとるとしたら? 私は演歌軍歌路線を推したい。でも若者の代わりに演歌好きのマイクを持った親父や黒灰色した装甲車が集まるようになるかもしれない。
 シドニーでは、バリー・マニロウのほかに、ビング・クロスビーやフランク・シナトラなんかも威力を発揮しているという。いっそ私の兄に「ホワイト・クリスマス」や「マイ・ウェイ」を生で熱唱させてはどうか。で、その横で私が鍋を叩くと──いかん、これでは自分たちが騒音源になってしまう。
(参考:「世界びっくりニュース」~6/5付シドニー発ロイター通信)
# by vitaminminc | 2006-07-03 10:24 | 笑い | Comments(4)

虫愛でる秘め事

 「プ!」と吹き出したようなクラクションの音。ハッと顔を上げると、いつの間にか信号が青になっている。音の主は、バックミラーに映っている黒いタクシー。
 私は、ボーっとしていたわけではない。その反対である。ダッシュボードを歩き回る一匹の蟻をじっと目で追っていたのである。
 なぜ私の車の中に、蟻が? こんな餌もないような車内に、なぜ蟻などが? まさか息子が緩んだ口元から飴玉を落とし、私の怒りを恐れてそのまま放置しているとか?
 車を走らせながらも、蟻が気になって仕方がない。いや、蟻に限ったことではない。フロントグラスに止まっている小さな羽虫なんかがいようものなら、私の焦点はたちまちそっちに持ってかれる。いつぞやは、飛んでは止まり、止まっては飛ぶ気紛れな羽虫のせいで、文字通り寄り目になって運転する「羽目」になった。アブナイったらない。虫など無視すればよいものを、どうにもこうにも目の焦点が、虫を捕らえて放さない。

 イタリア映画やイタリア語の歌、それにパスタが好きというだけの理由で、自分の前世はイタリア人だったに違いないと恥ずかしげもなく思う私であったが、テレビの動物番組で犬猫の視力について学んでからは、少し考えが変わってきた。
 犬や猫の視力は、静止している物体に対しては劣っているため、もっぱら嗅覚に頼っているが、動く物体に対しては俄然威力を発揮するという。つまり、動体視力に優れているのだ。
 この論理を自分の生態に当てはめると、私の前世=イタリア人説は、キンチョールの噴煙に巻かれて消えてなくなってしまう。静止していよう蛾いまい蛾、虫に対して嫌いだろう蛾好きだろう蛾、目も心も奪われてしまうなんて。こんな私の、こんな私の前世は・・・。

 カエルか?
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# by vitaminminc | 2006-06-30 09:45 | 生きもの | Comments(2)

祥月命日6月28日

b0080718_14573968.jpg 昨日、
6月28日は、実父の命日であった。2002年の昨日、父は病床の白いシーツから白雲に乗り換え、上空に飛び立った。
 昨日の仕事帰り、私は花を買った。ミニひまわりと、レモン色のスターチス。それから、お酒と大福も。遺影の前に、それらを供える。背景を空色に加工してある、父の写真。青空で笑っているように見える。
 私は、父の死に目に会えなかった。病院からの危篤の知らせを、どう解釈したものか、母が私に知らせるのを大幅に遅らせたためだ。母が知らせを遅らせた理由というのが、こうである。
 「昨日もお見舞いに来てくれたばかりだったから、疲れているだろうと思って・・・」
 そう言う母を、ずいぶん責めた。人一人が死ぬというときに、いくら体を気遣ってくれたとはいえ、臨終に立ち会えなくさせるなんてひどいではないかと。
 だが、その後、自分よりも先に親を亡くした何人かの友の話を聞くうちに、母を責める気持ちはスーッと消えた。友だちの話から私が導き出した結論は、父が私に立ち会うことを望まなかった、というもの。
 死に逝く者の特権として、父は自分の臨終に立ち会うべき者を選別していたのではないか。思えば母は、なぜ私に知らせるのをああも遅らせたのか、自分でもよくわからない様子だった。父の容体を危篤と受け取っていない様子の母に、心配になった看護師さんが、念を押したという。
 「子どもさんたちには知らせてありますよね?」
 「息子にはさっき一応知らせました。あのぅ・・・娘にも知らせた方がいいですか? 家が遠いものですから」
 「あら!遠いのでしたら、なおのこと早く知らせてください」
 こんなやり取りがあった後、母はようやく私に電話を入れてきた。午前10時前だったと思う。母自身が病院から連絡を受けたのは、その日の早朝。「朝一番で病院に来てください」という連絡を受けた母が、病院に出向いたのが午前9時頃。駆けつけたわけではない。いつも通り、バスに乗って行ったらしい。同居しているはずの息子を伴うでもなく、単身ナースステーションに現れた母を見て、看護師の一人が事の重大性を説いたのだ。
 「でも、危篤だなんて一言も言われなかったから・・・」と、母は首をかしげながら私と兄に言い訳した。時間外に病院から連絡が入ること自体、緊急事態を意味している。「どういうことですか」と確認することもなく、母はほぼ普段どおりに行動していた。
 
 私が病院に到着したのは、12時25分過ぎ。そのわずか25分ほど前に、父の臨終が確認されたという。たった一人でベッドに横たわる父を見て、私は自分でない者の声を、自分の耳で聞いていた。それは、泣き声と叫び声とにすり替わった、自己批判の罵声だった。
 あと25分早く着いていたら──だが、きっと父にはもう私の声は届かなかっただろう。前日に見舞ったとき、父はすでに昏睡状態だった。ベッドで呼吸していたのは、父の脱殻。魂の抜け出た残骸。わずかばかりの細胞の生き残りだけだった。
 「心肺停止の瞬間を目の前で見てしまうと、しばらく尾を引くよ」──そう心やさしい友だちは教えてくれた。友だちのお兄さんも、普段よほど近くにいながら、母親が息を引き取る瞬間に限って居合わせることが出来なかったという。
 「自分でも、お兄ちゃんにはあれは耐えられなかったろうと思う。私だってもちろん辛かったけど、二人子どもがいてどちらかに最期を看取らせるとしたら、お母さんは私を選ぶしかなかったんだろうなって。うちのお兄ちゃんて、そういうの目茶苦茶弱いから」
 そういうものなのかもしれない。うちの場合は、そういうのに目茶苦茶弱いのは、兄ではなく私の方。父は見抜いていたのだ。
 25分早ければ──本当ならあと25分早く出られるくらいの時間はあった。その日に限って学校のPTA役員の連絡が入ったり、ダンナに会社を早退して息子の幼稚園に寄って引き取ってもらうよう電話するにも、幼稚園に事前連絡を入れるにも、いちいちやたら時間がかかった。自分ではどうにもできないような力が加わって、家を出るのが大幅に遅れたような感じだった。よくよく思い出したら、私自身、「取るものも取りあえず」家を出たわけではなかった。方々に手抜かりなく連絡を入れた後、往路気持ちを落ち着かせるためのコーヒーなんかポットに注いでいた。
 
 今では父の死に目に会えなくてよかったと感謝している。人の死を思い知らされるのは、冷たくなったその人に触れるだけで十分だ。モニターの波形が直線になってしまう瞬間など見たくない。医者の口から言い渡される「臨終」の言葉も聞きたくない。そして何より、だんだん冷たくなっていくその人のそばになど、いたくない。
 全部わかっていたから、父はうんと冷たくなった身体で私を迎えてくれたのだ。物わかりの悪い娘に、何の期待も持たせられないくらいに、これ以上はないという冷たさと硬さになって。

 今日、ネットの「没年別・命日データベース」というもので、2002年の6月に父と同期で天国に入門した有名人を調べてみた。↓↓↓
 
 ナンシー関(コラムニスト)・・・お父さんは知らないかなぁ。話すと面白いはずです。
 村田英雄(歌手)・・・一緒にカラオケする仲になっていたらいいな。
 室田日出男(俳優)・・・あくの強い名優さん。「天国にいちばん近い島」って映画に出てた。
 山本直純(作曲家)・・・でっかいことはいいことだ~。天国はでっかいとこですか?

 お父さん、天国にも、ひまわりは咲いていますか? 
# by vitaminminc | 2006-06-29 15:33 | 人間 | Comments(0)

墨を磨る

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2001年宇宙の旅の  →
「モノリス」ではない。これは
お子様用 固形墨「呉竹墨」



 昨日、書道の話をしたら、急に墨を磨りたくなった。
 小学生の頃、地元の書道教室に通ったことがあるのだが、筆を握るより墨を握る方が好きだった。
 α波を放出させながら、ひたすら墨を磨る。いつのまにか水分が足りなくなって、どろどろのタールみたいな墨汁に仕上げてしまい、先生に注意されることもしばしばあった。
 墨を磨っているあいだって、なんであんなに落ち着いた気分でいられたんだろう。何も考えないで、いくらでも墨を磨っていられた。それでいて、とても心地よかった。

 香をたいて瞑想したことなどないが、私が墨を磨ると、それに近い状態になれるのかもしれない。なんといっても、あの香りがいい。墨の香りには、鎮静作用でもあるのだろうか。

 子どもの頃にかえって、また墨を磨りたくなってしまった。

 
 
# by vitaminminc | 2006-06-24 23:01 | 人間 | Comments(2)

書道着

b0080718_17234852.jpg 3年生の息子の連絡帳に、「見ました」というサインをする。
 宿題をやり、持ち物を揃えるのはもちろん息子自身がすることだが、連絡帳の持ち物のところに「書写の用意」と書いてあった日だけは、私も動く。翌日の服装の準備。黒、黒、黒の用意。
 
 3年生になって初めて墨汁を使う日、私はうっかりして「黒装束」の用意をすることを忘れてしまった。泣きを見た。汚れてもあまり惜しくないようなお下がりの服はたくさんあるのに、よりによってなぜこの服が・・・? というくらい、墨だらけになって帰ってきた。
 思えば上の娘のときも、書道の日は黒と決めていたではないか。娘自身はほとんど汚さない子であったが、後ろの席の男の子が振りかぶった筆先を肩に受けて以来、ずっと書道の日は墨汁対策として、黒を着せていた。
 男の子は(うちの息子は)汚す。汚れても惜しくないというレベルをはるかに超えて汚す。外に着て出れないくらい、とにかく汚す。とてもじゃないが、黒以外は着せられない。でないと、書道初日に着ていった服同様、全部「パジャマ」行きだ。

 そうは言っても、ほっぺや足の脛にまで墨をつけて帰ってくる息子を見ると、かわいくて仕方がない。だから思う存分墨と仲良くなれるように、連絡帳に「書写の用意」とあった日は、母は嬉々として翌日の服の用意をする。黒、黒、黒。
 「この墨、○○くんにつけられちゃったの」──なんて、‘加害者’になってなけりゃいいけど。あの派手な汚し方からして、ちょっと心配である。
 どうか息子の近くの席の子が、みんな黒の書道着でありますように!
 
# by vitaminminc | 2006-06-23 17:53 | 子ども | Comments(2)

草取り物語

 一昨日。
 私を草刈に駆り立てたもの、それは何か。──鈴香容疑者である。秋田の小学一年生男児殺害の、あの悪魔である。
 最近ワイドショーで、鈴香容疑者を知る関係者が語ったところによれば、鈴香容疑者の家の周りは、「毎年春先から夏のあいだは草ボーボー」だったという。草を刈るよう注意しても、返事ばかりでちっとも草を刈らない。なのに今年に限ってはなぜか「除草剤でもまいたのか」、まったく草が生えていない、と不思議がっていた。やがて詰め掛ける報道陣のカメラを意識してのことだったのか。確かに、テレビに映し出される家の周りは、妙に小ざっぱりして見えた。

 まあそんなことはどうでもいい。「草ボーボー」というコトバに、私は反応した。なぜならその形容は、そのまま我が家の周りにもあてはまってしまったからである。とんでもないことである。何の罪も無い子どもを殺す悪魔、今自分がもっとも嫌っている女の本来の姿と、「草ボーボー」でつながるわけにはいかない。一緒にされてたまるかと一念発起した私は、草むしりを実行した。それも、おそらく悪魔女が使ったであろう除草剤は使用せず、正々堂々額に汗して草を刈る行動に出たのである。自分でもわけがわからない。それが私のこだわりであった。

 蒸し暑い日であった。やぶ蚊の猛攻から逃れるために、サウナスーツを着て草むしりをやった。自殺行為である。スーツの内側には、チャプチャプ音をたてるほどの汗。死んだらおしまいなので、お茶を飲み飲み、もくもくと草を刈った。毛虫と遭遇した。ミミズとも遭遇した。午前中いっぱいかかって、家の周囲から「草ボーボー」をなくした。

 午後。息子が帰ってきた。
 「外、きれいになったでしょ?」
 「え? 気づかなかったけど?」
 夕方。娘が帰ってきた。
 「家の周り、見た? スッキリしたでしょ?」
 「え? 真っ直ぐ玄関にきたから・・・」
 夜。ダンナが帰ってきた。
 「家の周り、見た? 草むしりしたんだけど」
 「暗くて見えるわけないだろ」
 子どもたちは賢明だった。私がへそを曲げないように、すぐに外に見にいった。でないと次回から自分たちが草むしりをさせられるハメになることを知っていたからである。
 「ああ本当だ、すごくきれいになったね!」
 必死になってほめてくれた。
 翌朝。ダンナはしぶしぶ家の前を見て言った。
 「きれいになったというより、ようやく周りの家と同じになったよな」
 カチン。くそジジイ! と叫ぶ代わりに私は言った。
 「うちはほかの家みたく、ご主人が草取り手伝ったりしないからね!」
 一度も庭の草を刈ったことのないダンナは、みなまで聞かず、ぴゅ~と風切って出勤していった。こんな張り合いのない家族を前にしたら、わけのわからない信念も、滝の汗とともに流れ落ちるというものだ。

 本日。仕事帰りに「除草剤」を買った。そして、‘目も覚めるほどきれいになった’家の周囲に、除草剤の粒をまいた。なんだか花の種でも蒔いてるみたいに、ちょっと楽しい気分になった。
 
 
# by vitaminminc | 2006-06-22 20:11 | 人間 | Comments(0)

Lの字

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               伊能大図彩色図/111→
                 「遠参~浜名湖」
               国土地理院HPより拝借 


 昨日未明。
 8才の息子に起こされた。一緒に寝ているダブルベッドの足元に、ちょこんと正座して言う。
 「なんかボク、おねしょしたみたいなんだけど」
 「えぇ? 寝汗じゃないのぉ?」
 「ほんとほんと」
 「どこにぃ?」
 「このへんに」
 息子が寝ていたあたりに恐る恐る手を伸ばすと、確かに湿った綿毛布が指先に触れた。
 「穿いてたズボンやパンツはぁ?」
 「まだ穿いてるけど」
 「なんでぇ~? 早く脱いで、着替えなよぉ」
 なんでオシッコで濡れたパジャマのまま、ベッドの上を移動するのか。被害が拡大するではないか。
 それでも息子は慌てない。恥ずかしがりもせず、分析している。
 「多分、爆睡してたからだと思うんだよね」
 何がたぶん、だ。理由はそれしかないだろう。
 「夕べ寝る前にお茶飲みすぎたんじゃないの?」
 「そうかなぁ」あくまでもとぼける。
 私もようやく起き上がり、濡れた毛布を一階にある洗濯機の中に入れに行く。梅雨のこの時期に大物洗いとは・・・。物笑いと大物洗い、なんか親戚みたいだ。

 おねしょは誰もが知ってのとおり、睡眠中に排尿してしまうことである。幼児から小・中学生と成長するに連れ、排尿器官の成長や抗利尿ホルモンの正常な分泌などにより、おねしょはしなくなっていく。
 が、膀胱に尿が溜まっている状態であるにも関わらず、眠りが深くて目が覚めないでいると、たいていの人は放尿する夢、またはトイレに行く夢を見て、「一時しのぎ」をする。これは、
    【尿意により放尿したい肉体】vs【尿意により目を覚ましたい精神】
──が見せる夢なんだそうだ。(フリー百科事典Wikipedia「夢との関係」より)
 つまり、精神・神経の成長とともに、尿意を催せば普通は目が覚めるようになり、仮に目が覚めずに夢の中で放尿したとしても、実際に布団を濡らす事態には至らないようになっていく。
 ただし、おとなになっても寝小便が続くようだと、「おねしょ」は「夜尿症」と呼ばれ、病気のひとつに数えられるようになる。しかも夜尿症は、本人自身の問題というよりは、母親のせいにされがちだ。すなわち、やたら神経質だったり潔癖症だったりする母親に原因がある場合が多い、なんて書かれている。
 う~ん・・・神経質とか潔癖症なんて聞くと、私は逆に憧れてしまうなぁ。幸か不幸か、こんな母を持つ息子の地図、単発ものに違いない。

 その朝は、残りわずかな睡眠時間を惜しむかように、親子水入らず(だけどお小水入りの)布団の上で、「Lの字」になって眠った。よりによって、ベッドのど真ん中に湖をつくるとは!
 おねしょした子どもに対する母親のタブーは、「叱る」ことだという。無視無視、私は叱ったもんね。
 一.「寝る前にガブガブお茶を飲みすぎるでない!」
 一.「陣地をわきまえて、もっと左に寄って寝ろぃ!」

 私に似て神経質とは無縁、しかも懲りないアホ息子。新しいシーツが、大好きなガーゼ織りなのを知って喜んだ。その晩、またしてもお茶をガブ飲みしたが、、おねしょはせず、気持ちよさそうに眠っていた。私にエルボー・ドロップをお見舞いしながら。
 
# by vitaminminc | 2006-06-20 13:37 | 子ども | Comments(3)

ケムシャネル

 その晩、愛娘の「キャーッ!」という叫び声が、我が家の0.65坪の風呂場に反響した。
 娘を怯えさせた犯人は、にこにこしながら一緒に湯船に浸かっていた母親(私)である。狭い浴槽、二人で入るには膝を折り曲げなくてはならない。風呂に入る時くらい、ゆったりくつろぎたいものだ。寒い時期なら仕方ないが、今なら湯冷めの心配もない。私が湯船にいる間は洗い場で待機するよう言っても、すぐに一緒に入ってくる。カワイイもんだが、エコノミー症候群にでもなったらどうしてくれる。しかも窮屈なだけでなく、暑苦しいったらありゃしない。
 そこで、悪寒のする話題を思いついた。これはほかでもない、私が体験した実話である。

──つい最近のことだ。夕飯のおかずをつくろうとした私は、買ってきたばかりの白菜を取り出すと、流しでその葉をむき始めた。1枚、2枚・・・3枚目をはぎとった瞬間だ。何かちょっとした重量感のある物体が、葉を洗うために水をはっておいたボウルの中に、‘ちゃぽん’と落ちた。
 「ひっ!!」
 息を呑んだ私の視線が捉えたもの──それは、ボウルの水面でクネッ、クネッと、身体をひねる、体長2.5cmほどの毛虫であった。黒褐色の体毛は、水鳥のごとき防水でも施されているのか、見事な浮きっぷりである。だが、身の置き場を失って陸地を探しているようには見えない。もがいている。いかにも苦しそうである。もしかしたら、落ちた瞬間に水でも飲んでしまったのかもしれない。
 毛虫は、まるで視力検査の「C」記号の「右」「左」のように、交互に身体をくねらせている。恐怖のあまり瞬きも出来ずにいたせいだろうか。毛虫の動きは、残像現象を呼び起こし、私にある有名ブランドを連想させた。
 排水溝のネットを外して、一気に流してしまえばよかったのかもしれない。だが、この時はとにかく気が動転していた。「トイレに流すしかない」と思いつめた私は、炊事用ゴム手袋をはめると、震える両手でボウルを持ち上げた。
 一歩歩くたびに、表面張力が決壊しそうな恐怖を覚える。足元に水がこぼれたらどうなるか。廊下を這う毛虫、私の足を登ってくる毛虫、勢い余って私の足に踏まれる毛虫(←絶対イヤ!)──いろんな毛虫が頭の中を満たす。
 流しで少しでも水を減らしてきたかったのだが、毛虫は羽のように軽々と水に浮いている。しかもダイナミックに踊っている。水より速く流れ出て、シンクの壁を這い上がる様子を想像したら、とてもそんなことをする勇気が湧かなかった。
 能でもやっているのかというような足取りで、ようやくトイレに到着。ボウルを慎重に床に置き、便器の中蓋を上げる。生まれてこの方、一度も発揮したことがないような集中力で、再びボウルを持ち上げる。そして勢いよく、中身を便器の中に、「ザッ!!」とあけた。
 こわごわ底を覗いてみる。毛虫がいない。いないではないか。確かにココにあけましたという証拠に、浮いた毛虫を目視したかったのだが、幸か不幸かボウルの水量が、流し切るのに十分だったようだ。
 毛虫は跡形もなく消えていた。
 本当は、殺生の後ろめたさを消し去りたかったのかもしれない。念のため、私はもう一度レバーをひねり、水を流していた。

 「最後の姿を確認できなかったのが、なんとなく気持ち悪くてねぇ・・・」と私は言った。
 「思わず自分の手をこうやって──」
 手の甲を裏返して確認するしぐさをしてみせた途端、想像力豊かな娘が絶叫。
 悪寒に包まれた娘は、当然そのまま湯船の中で体育座り。出ようとはしなかった。
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←シャネル/ビーズイヤリング

 
# by vitaminminc | 2006-06-17 18:24 | 生きもの | Comments(7)

悪人面と善人面

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←カブトエビ

 


写真は2点とも「フリー百科事典Wikipedie」より




↓ホウネンエビ

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 先月の終わりから、「カブトエビ」(写真左)を育て始めている。
 昨年の9月だったか、夏休みの売れ残りばかりを集めたワゴンセールで、「自由研究/生きた化石・エビ伝説」を買っておいた。
 説明書には、水温が高すぎても低すぎてもよくないとあった。残暑の厳しい秋を見送っているうちに、いつのまにか寒い冬になり、伝説の謎解きは延び延びになっていた。半年以上もお預けをくらっていた息子にせがまれて、とうとう春の終わりに開封。
 カブトエビは、ジュラ紀(1億9500万年~1億3600万年前)には、ほぼ現在と同じ形態に進化し、以来その姿を維持している超完成度の高い生物である。絶滅の危機を免れてきた最大の理由は、卵の生命力であろう。寒さや乾燥に強い耐久卵は、我が家に来てからも隙間風に耐え、寒い冬を無事に乗り越えたわけだ。
 淡水に卵(約0.5mm)を投入してから数日後、1mmほどの幼生を2匹確認。その後2匹は順調に成長し、半月過ぎた今現在は、尾の先まで入れると体長3cm。生後10日目くらいから急成長し、小さな水槽からはみ出ているのではないかという恐怖で、とても一人では確認する勇気がなく、少し前までは息子と二人、声を掛け合い水槽を見る始末であった。
 こんな小さな生き物にも、悪人面と善人面というのはある。実はカブトエビは2つの複眼がつり上がって見えるせいか、強面である。前に田んぼで捕らえたことのある「ホウネンエビ」(写真右)の、いかにも人のよさそうな顔と比べると、圧倒的に不利である。
 とはいえ、飼えば当然愛情が湧く。ようやくその容姿にも慣れてきたわれわれ母子。卵の孵化→幼生→成体までをビデオの早送りのように披露してくれたカブトエビに感謝しながら、今や1日でも長く生きて欲しいと願うばかりだ。

 カブトエビの一生は、わずか1ヵ月足らずだという。あと10日も過ぎる頃には、今度はまったく別の理由から、再び一人で水槽を覗く勇気がなくなるのかもしれない。
 
# by vitaminminc | 2006-06-13 15:07 | 生きもの | Comments(2)

ジージョ逮捕

b0080718_1947243.jpg←トッポジージョのお面
ダイシン/2500円(高いョ)

 テレビに、懐かしのトッポジージョが出ていた。
 スーツを着て、ネクタイなんかしちゃって、一体どうしたんだろうと思ったら、村上ファンド代表の逮捕直前会見だった。
 耳、目、口。一度トッポジージョに見えてしまうと、村上世彰容疑者が話す日本語さえもがトッポいイタリア語に聞こえてしまう。
 東大→通産官僚→数千億円を操る投資組織のトップ─「モノ言う株主」にも誤算はあった。証券取引法違反容疑で逮捕。あの会見も、トップ辞意上等・・・・あ。ちょっと無理矢理でしたね。
# by vitaminminc | 2006-06-06 19:51 | 人間 | Comments(4)

朝の情景

b0080718_2034974.jpg                      椋鳥→
          YAHOO!きっず図鑑より

  スズメよりも大きくて、鳩よりも小さい鳥が、電信柱のところで器用な飛び方をしていた。ハチドリのように空中で停止飛行している。何をしているのだろう? 訝しがりながら近づいていくと、その鳥は突然飛び去った。椋鳥だ。嘴に白い紙片をくわえ、少しバランスを崩しながらヨタヨタと、少し離れた建物の向こうに消えていった。巣作りの材料に使うために、電柱に貼られたビラを剥がしていたのだ。端をちぎり取られたビラはと見ると、違法に貼られた「バイアグラ」の広告だった。

 朝、駅に向かう途中、時折見かける一組の親子がいる。私が家を出る時間がバラつくせいで、毎日見かけるわけではない。それだけに、その親子と同じ時間に通勤できた日は、すごく得した気分になる。
 おとーさんは、イヤんなるほど若い。細身の濃紺のスーツを着て、緩くウェーブがかかった髪を赤茶色に染めている。おとーさんは、ベビーカーを押している。ベビーカーには2歳前の坊やが乗っている。カウボーイハットなんかかぶっていて、とても可愛い。おとーさんはベビーカーを押しながら、やさしい声で坊やに話しかける。
 「ほーら見てごらん、車がいっぱいだねぇ」
 「ブーブ、あっち」
 「そうだねぇ。あ、バスが来たよ。おっきいねぇ」
 もう、私の目尻は下がりっぱなしだ。目が縦になりそうである。
 おとーさんは、とにかく若い。スーツを着ているけど、そのまま成人式に行ってもおかしくないくらい若い。マックのドナルドのような髪の色で、いったいどんなお仕事をしているのだろう。ベビーカーに取り付けたフックには、ジェラルミンのアタッシュケースが下がっている。おとーさんのお仕事道具だ。
 「今日はあったかいねぇ。暑いくらいだね」
 「あっち、ぶぶ」
 息子はまだ幼すぎる。まともに会話が成立しない。それでもおとーさんは、息子と心を通わせている。いつでも息子に話しかけている。その穏やかな話し声を耳にしていると、なんだかとても幸福な気持ちになれる。
 ベビーカーの父子は、まもなく道を左に折れて、私の前から姿を消してしまう。坊やを保育所に預けに行くのだろう。短い距離だけど、素敵な朝をありがとう。
 坊やのおかーさんはきっと、幸せだろうな。安心して臨月を迎えている。あるいは新生児の世話を焼いている。それとも夫婦は共働きで、送るのがおとーさん、迎えにいくのがおかーさんか。

 30を過ぎた大人が、平気で子どもを虐待したり、殺したり。そんなニュースばかりが増えている。
 あのカウボーイハットの坊やは、絶対やさしい大人に成長する。子どものことが大好きな大人になる。そんなことを信じさせてくれるから、私は幸福な気持ちになれる。

 巣作りをしていたあの椋鳥も、きっとやさしいおとーさんになるんだろう。
# by vitaminminc | 2006-06-05 21:19 | 人間 | Comments(0)

ドリームランドセル

b0080718_231486.jpg安全帽に尻を隠し昼寝する猫
     

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 私は物を捨てるのが苦手だ。ボケたらきっと、「ゴミ屋敷」の主として、ニュース番組の特集で取り上げられるに違いない。どうも物に対する思い入れが、人よりも強いようだ。
 生身の人間は案外スパスパ切り捨てるくせに、物言わぬ物に対しては、なかなか想いを断ち切れない。家の中が常に混沌としているのは、そのせいだ。

 ムスメが小学校を卒業してからしばらくの間、私を悩ませたのが、ランドセル。捨てるに捨てられず、かといって押入れにしまっておくには嵩張り過ぎた。ムスメが自分の思い出にとっておきたいと言うのであれば、ミニチュアサイズに加工してもらうことも考えた。ところが、当のムスメはドライなもので、「処分していい」ときたもんだ。
 卒業式が終了し、ムスメたち卒業生が体育館から退場していく姿を見送っている時、私は確かに見たのだ。6年前のムスメの姿を。それは、入学式の後、担任の先生に引率されて、はにかんだ表情で退場していくムスメの姿だった。ピンクのスーツを着て歩く、小さなムスメの姿。大きな卒業生の列に見え隠れするのを、瞬きするたびに確かに見た。その時の幻影が、ランドセルに詰まっているような気がして、とても捨てられないのだった。
 さあ困った、どうしようと思いながら、ズルズルと半年が過ぎた頃、ムスメが中学校から手紙を一枚持ち帰ってきた。「思い出のランドセル募金」──アフガニスタンの子どもたちに送るために、不要となったランドセルの提供にご協力ください──との呼びかけだった。涙が出るほど感激した。捨てることはできなくても、誰かに使ってもらえるならば、こんな嬉しいことはない。それはまさに、私が最も望んでいたランドセルとの別れのカタチだった。
 物を大切に扱うムスメの赤いランドセルは、6年間使用したとは思えないくらいきれいだった。1年足らずしか使っていない弟のランドセルよりも遥かにきれいだった。早速皮革製品用のクリームを塗り、柔らかい布でせっせと磨いた。パッと見は新品に近くなり、このランドセルを手にした子どもの笑顔が目に浮かんできた。ランドセルの中に、新品の鉛筆や消しゴム、メモ帳なども入れて、指定日に学校に持っていくと、係のおかあさんにも驚かれた。
 「あら、いいんですか? こんなきれいなランドセルを」
 「6年間毎日使っていたものです。どうぞよろしくお願いします」
 年が明けて今年の2月。(財)ジョイセフから、ムスメ宛に礼状が届いた。
 『「思い出のランドセル募金」にご協力をいただき、ありがとうございます。心より感謝いたします。皆様のご支援により贈られるランドセルは、アフガニスタンの村の小学生や戦争で親を失っても頑張って小学校に通っている子どもたちの手に届けられます。これからも皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。』
 
 上の左の写真は、日本から贈られたランドセルを背負う、アフガニスタンの子どもたちだ。かつてムスメの背中で6年間揺れていたランドセル。海を越えて、遠くアフガンの空の下、今はどんな子どもの背中で、どんな夢を乗せて揺れているのだろう。ジーンとなる。ランドセルを生かせることが出来て、本当に嬉しかった。

 ところで、ランドセルと共にムスメが毎日身に着けていた黄色い安全帽──これまた処分できないまま、ムスメを6年間安全に登下校させてくれた守り神の象徴として、家の中に奉られている。というより、猫相手に余生を送っている。
 現在ムスメは自転車通学。毎日着用しているあの白ヘルも、近い将来は家の中のオブジェの1つになるのだろう。いや、私がボケたら起床とともに頭にかぶせるよう、今からムスメに頼んでおくべきか。安全に徘徊できるように。
 
# by vitaminminc | 2006-06-03 23:03 | Comments(4)

娘は天然色

 娘の日本語はおかしい。
 ウケ狙いで言っているのではない証拠に、人から指摘されて初めて自分がおかしなことを言ったらしいと気づく。ひどい時には、「え? 別におかしくないんじゃない?」と反論してくることもある。
 小学5年の時には、家庭科の授業でつくったエプロンに、自分で作品説明をつけるようになっていたのだが、娘は大真面目にこう書いていた。
 「もようはペンやフエルトでつけました。かわいいもようが出来たのでよかったのです。」
 これを見た時、私は娘が単に書き間違えたのかと思っていた。
 「なにが・・・・のです、だ。これは笑える」
 「え? そう?」
 おぃおぃ。大丈夫か?
 こんなセンスのまま成長するから、中学校で友だちから「天然」記念物に指定されちゃうのだ。
 
 ☆幼稚園時代→「靴下」のことを「つくした」、「逆立ち」のことを「さだかじ」と言っていた。
 ☆小学校時代→「来週の図工でガニマタを使うから用意しておいて」と娘に頼まれた。ガニマタを「針金」のことだと解釈し、見事に当たっていた私も凄い。
 ☆中学1年→私がトイレに入っていると、廊下をこちらに近づいて来ながら娘が聞いた。
  「ママ、チンパンジーってさぁ・・・」
   何の話かと思っていると、娘はトイレの前を通り過ぎて、玄関の下駄箱の前で立ち止まった。娘が何のことを言っているのかわかった。身体を「く」の字に折ったままトイレから出た。声も出せない。チキチキマシン猛レースのケンケンのように「ひゃんひゃん」苦しんでいたら、さすがに娘も自分の言い間違いに気づいて二人で大笑い。下駄箱の上には、娘が買ったばかりの鉢植えのパンジーが一輪、黄色い花を咲かせていた。結局娘はあの時、パンジーについて何を知りたかったのだろう?
 ☆そしてつい先日→駅で友だちと待ち合わせていた娘の携帯が鳴った。友だちから待ち合わせ場所変更の知らせを受けた娘は、その指示通りに歩いて行ったのだが、いつまで経っても目的地に辿り着けない。仕方なく駅まで戻って交番のおまわりさんに道を尋ねた。
娘「三須土という交差点に行きたいのですが、どう行けばいいですか?」
警「ミスタードーナツのそばの交差点なら、ここを真っ直ぐ行って─」
娘「あ!!!・・・・はぃ・・・」
 おまわりさんに言われるまで、娘はミスドの前を二度も通り過ぎながら、「三須土」と書かれた信号機を探していたらしい。すでにミスドは公用語だという人もいるというのに(ーー;)・・・。
「あ~ぁ、女子高生のお兄さんが欲しい!」と意味不明の日本語(高校生の─と言いたかったのだそうだ)を話す娘は、きっと今年の夏の花火大会も、自分が着るのは「ゆたか」で、弟が着るのが「ごんべえ」なんだろうな。考えれば考えるほど、浴衣と甚平が発音できなくなるわが娘。

 とは言え、私自身も「ご無沙汰」が「ご豚さん」に、「腹立たしい」が「腹正しい」になってしまう。おまけに去年は「早くニワトリを洗っちゃいなさい!」と息子を叱り、「ママ、これは上履きだよ」と注意されてしまった。
 今思えば、「ママも職場で『天然』て呼ばれてる」と娘に告白した時の、娘の自虐的薄笑いの口元──あれは、逃げ場がないことを悟った檻の中のコヨーテのようであった。

 
# by vitaminminc | 2006-05-30 13:45 | 子ども | Comments(3)

めげめげ懺悔

 今朝、私は息子を叱った。
私「先週の金曜に、体操着袋を持ち帰らなかったでしょう!」
息子「ちゃんと持ち帰ったよ」
私「だって昨日洗って干した中に、体操着なんて入ってなかったわよ!」
息子「でも持ち帰ったよ」
私「ないからないと言ってるの! 今日忘れずに持ち帰ってよね!」
息子「・・・・行ってきます・・・・」
私「行ってらっしゃい!」
 息子、世にもうらめしそうな顔でちょっとだけ振り返り、そのまま肩を落として歩き去って行く。
 どうもあの目が気になる。二階に上がって息子の洋服ダンスを開けてびっくりたまげたよ。洗って畳んで体操着袋に入れてあるのは、紛れもなく、金曜に息子が持ち帰った体操着セットなのだった。先週は土曜日も仕事だったので、金曜の晩に洗って干して、土曜日に仕事から戻って取り込んでタンスにしまっておいたのだ。日曜の洗濯物の中になど、あるわけがなかった。
 朝から私に叱られて、それも無実の罪で叱られて、息子の一日のスタートを台無しにした私はなんという大ばか者なのだろう。このまま息子を半日くさくさした気分にさせておくわけにはいかない。
 息子よりも少し後に家を出る娘に、「かわいいメモを1枚ちょうだい」と頼んだ。
「何に使うの?」
「ママが悪かったって謝って、仕事に行く前に学校の下駄箱に入れておくの!」
 体操着の話をすると、娘は苦笑いをしながら、「これなんかいいんじゃない?」と王子様がシンデレラにキスをしているディズニーのメモを見せた。これ以上息子に嫌われたくなかったので、
「これじゃなければどれでもいい」と哀願し、アラビアンナイトのメモを1枚もらった。
『ママがまちがっていました。体そう着は金曜日にあらっていました。本当にごめんなさい』
 文頭いきなり「ママ」という言葉で書き出したのは、息子がメモをラブレターと勘違いする時間をできるだけ短縮するため。あまり期待する時間が長くなると、後半手紙の主が私だとわかった時のガッカリ感が憎悪へと変わるかもしれない。
 すっかり気弱になったアホ母は、とにかく一刻も早く息子に詫びたい一心で自転車をこいで学校の下駄箱の息子の運動靴の中に、アラビアンナイトのイラスト入りの詫び状を挟んでから出勤したのだった。
 美容と健康のために徒歩通勤している私が今日は自転車で会社まで来たことを知った人たちに、「どうしたの?」と聞かれるたびに、息子の下駄箱に詫び状を入れに学校に寄ってきたのだと説明した。月曜日から何をやっているのかと笑われた。
 買い物をしてから家に帰ると、すでに息子は遊びに出かけていていなかった。玄関には、
「ともだちんとこにいってきます」の短い置手紙。
 何だがもう息子に会えないような気がして、オロオロした。誰のうちに遊びに行くのかくらい書いていけばいいのに、まだ怒っているのかな。
 洗濯を終えて浴室の掃除をやっていると、息子が帰ってきた。
「ただいま!」
 元気な声で風呂場に顔を出してくれた。
「ごめんねぇ」とカビキラーで真っ赤になった目をしぱしぱさせながら言うと、
「いいよ。ママは別に謝ることなんかないよ。また忘れてんだなって思ってたもん」
 なんて、仏陀のような目をして言うのだった。
 これから先も私はいろんなことを忘れていくのだろうけど、今日の息子の仏陀の目だけは瞳に焼き付けておこうと心に誓った。
 こんな母親を持つと、子どもはどれだけ仏の顔を見せることになるのだろう?
# by vitaminminc | 2006-05-29 20:37 | 子ども | Comments(2)

Zapping

 片時も携帯を手放せない携帯依存症の人々が増える中、テレビのリモコンがないと落ち着いて座ることもできない人間を私は知っている。うちのダンナだ。
 休日遅く起きてきて、リモコンがすぐに見つからないと、
「オレのチャンネラーはどーした」と子どもたちに詰め寄る。何がチャンネラーだと呆れながら、子どもたちと必死になってリモコンを探す。リモコンが見つかってダンナの手に渡ると、ダンナはようやく人心地ついたようにテレビの真ん前に座る。

 ダンナのテレビの見方には子どもたちも私もとても着いていけない。ダンナがテレビを見始めると私は後回しにしていた家事を始め、子どもたちはパソコンでゲームを始めたりする。それでも食事は居間でとるしかない。嫌でもテレビが目に入る。いっそテレビを消して欲しいのだが、テレビを見ることがダンナの休日の唯一の楽しみ(←寂しかねーか?)であるのを知っているだけに、我々はひたすら我慢し、耐え忍ぶしかないのである。
 せわしいというのか、せわしないというのか(←どっちなんだ、この日本語)。ダンナのテレビの見方は病的を通り越して、ビョー気だ。3分ごとに、ひどいときは1分ごとにチャンネルを替える。まったくほかの家族のことなど眼中にない。
「パパ、今のどうなったの?」
「え~? 4チャンネルに戻してよー」
 めまぐるしく替わる番組に、ものすごい順応性を発揮して、必死で内容を理解しようとする子どもたち。
「早く戻して~、もうコマーシャル終わってる頃だよ」
「さっきの答え、何だったの?」
「さっきの答え、知りたい」
 ダンナは意地悪く鼻でフンと笑う。
「うるさいなー、ちゃんと時間を見計らって戻してやるよ」
 子どもたちは、何かの番組の何かの結果発表が終わってしまいやしないかと、気が気ではない。私までなんでドキドキしながら食事をせねばならないのか。
「ほーら、ちゃんと間に合っただろ」とダンナは得意そうだが、こっちはいい加減腹が立ってくる。
「落ち着かないから、どれか一つに決めてじっくり見させてよ、食事の時くらい」
 とうとう我慢し切れずに私がクレームをつけると、ダンナはムッとしたように1つの番組に落ち着く。だが、それは私も子どももまったく興味のない将棋番組だったりするのだ。底意地が悪いったらない。
「25秒・・・20秒・・・」──なんてフラットな口調で時を刻まれると、頭を掻き毟りたくなる。(←「むしる」という漢字が「毟る」であると知り、ちょっと愉しかった)もっともこれとて、もって7,8分。まもなく私と子どもたちは、再びスロットマシンのようにめまぐるしく替わる番組に、目をチカチカさせながら、超自己中なダンナに従うしかないのである。

「ふは・・・・ふははは・・・・くっくっく・・・・」
 突然私が笑い出すと、ダンナはギョッとして振り返った。
「なんだよ?」

 私の兄もそうだったのだ。といっても子どもの頃の話。あの頃はリモコンがまだなかった。だから兄はテレビにかぶりつくようにして、チャンネルをガチャガチャ回していた。とにかく、NHK以外の民放は一度に全部見ておかないと気が済まない。ひっきりなしに回す。私がそばで一緒に見ているというのにお構いなしである。一度その様子を父に目撃されて怒鳴られてからは、父の前ではやらなくなった。それでも父が居間に入ってくるまでの間は、我が者顔でチャンネルを切り替える兄であった。
 ある日、「わぁ!」と叫ぶなり、兄が自分の右手を信じられないといった顔で見た。
 廊下では、こちらに歩いてくる父の足音。
 兄は、引っこ抜けたチャンネルつまみを、素早くテレビ本体の穴にねじ込んだ。そして居間に入ってきた父に、愛想よく聞いたではないか。
「おとーさん、何の番組にする?」
 父からお望みの番組を聞き出すと、つまみが抜け落ちたことがバレないように、慎重にチャンネルを回す兄。その様子はまるで、銀行強盗が金庫の鍵を開けるときのようであった。兄は私に、《言ったらしょーちしないからな》というスルドい視線を投げかけたが、バレるまでにさほど時間はかからなかった。新聞のテレビ欄を見た父が、別の番組に興味を持って、兄ではなく私にチャンネルを替えるよう言いつけたのだ。私はどうすればチャンネルつまみが外れないかという加減がわからない。触れた途端につまみが畳の上に落ちた。父の目前でつまみを落としたのは私だったが、父は兄を叱った。
「おまえがあんなにガチャガチャやるからだ──」
 怒ると縮み上がるほど怖いはずの父であったが、回しすぎてつまみが抜け落ちたという事実の滑稽さに負けたのだろう。この日はちっとも迫力がなくて、私は少々不満だった。

 そんなことを思い出して、1人へらへらと、穴の開いた浮き輪から空気が抜け出るような笑い方をしていたら、いつのまにかダンナがチャンネルの切り替えをやめていた。そして、
「おまえたちの好きなもん見ていいよ」なんて言って子どもたちにチャンネル権を譲っている。私の思い出し笑いがよほど不気味だったものとみえる。

 このように、リモコンでめまぐるしくチャンネルを替えてばかりいる行為を「zapping」と呼ぶらしい。面白いことに、このザッピングには「破壊」という意味もある。チャンネルつまみを引っこ抜いた兄などは、まさに両方の意味を体現していたわけだ。

 同時にあれもこれもと欲張るのは、男性の本能なのだろうか。テレビ以外では、図書館から一度に何冊も本を借りてくる人を知っている。一冊一冊順に読み終えていくのではなくて、並行して何冊も読み進めていく読み方は、ザッピングの活字版かもしれない。読むのも早いが内容を忘れるのも早い。その人に薦められた本を私が読み終える頃には、推奨者はもう内容を忘れてしまっていたりする。もしかしたら、「感想」を話し合うのが苦手なのかもしれない。何か見透かされそうな恐怖があるのだろう。それで、感想を聞かれることがないように、馬車馬のようにあれもこれもと──ま、そんな馬鹿な話はないだろうが。

 自分にもしもZappinngに近い「癖」があるとしたら、何だろう? そういえば、1万円札が知らないうちにあれやこれやわけのわからないものにすり替わっていく。これなんか「雑費ing」ってやつかもしれない。あ~ぁ。

 
# by vitaminminc | 2006-05-25 15:34 | 人間 | Comments(2)

家庭拷問

 
b0080718_15153561.jpg←ありし日のチューリップ(4月)

 昨日、小学校の家庭訪問が終わった。
 家庭訪問──毎年このたった10分間のために、一体どれだけの時間を費やすことだろう。前日の日曜は、朝から終日片付けに追われた。先生になり切って、路地からうちの敷地内に足を踏み入れてみた。
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                   家庭訪問当日の花壇→

 初っ端からめまいを覚えた。花咲く頃を終えたヨレヨレのチューリップが花壇を茶色く濁している。それにしても、やけに汚い。葉のいたるところに無数の黒い塵が付着している。火山灰にしては、山がない。よくよく見てみたら、子どもたちが花壇の近くに植えたポピーの花に、無数の小さな毛虫が大量発生しているではないか!
 チューリップの葉に付着した火山灰は、花壇の上を領空侵犯するように伸びた、丈の高いポピーに巣食う、そやつらの糞だったのである。
 毛虫たちは毛虫のくせに、蜘蛛の巣のような細かい網目のハンモックの中で生活していた。頭髪をゾゾ毛立てながらゴム手袋をはめると、毛虫に触れないよう細心の注意をはらいながら、茎ごと切ってはゴミ袋に捨てた。毛虫たちは振動に殺気を感じ取るらしい。なぜなら、もぎ取られた茎の先で、尻から蜘蛛のような糸を出してはブランブランと蓑虫状に垂れ落ちる。ゆっくりながらも必死でゴミ袋に入れられまいと抵抗する。
「うぎゃあ」
 私もいなかっぺ大将のように、大粒の涙でアメリカンクラッカーをしながら必死で駆除した。虫は大の苦手だが、あまりの惨状になんとかしないわけにはいかなかった。
 やっとのことで毛虫退治を終えた後は、場所を地べたに移して草むしり。45㍑2袋分の雑草を引っこ抜いた。舗装していない砂利路地にも雑草は容赦なく生えていた。
 ようやく玄関。またしても軽いめまい。下駄箱からは靴がはみ出し、下駄箱の上の観葉植物はほこりをかぶっている。靴の仕分け作業と観葉植物の洗浄。
 問題は、ココから先である。
 うちの間取りは最悪だ。先生を居間にお通しするには、いやでもキッチンを通っていただくことになる。そうなると、キッチンと居間の2部屋を何とかしなければならなくなる。
 すでに時刻は午後に突入──というわけで、今年も二階の子ども部屋(それも息子ではなく娘の部屋)を訪問部屋として採用することにした。うちは毎年コレでいっている。娘の部屋なら、そこに至るまでの階段と1部屋を片付けるだけで済む。中間テストのにわか試験勉強を居間でやっている娘に、「掃除してやるから明日部屋を提供しろ」と交渉した。応じなけれ私が次に口にするのが「ならば永久に個室を明け渡せ」であることを知っている娘。「またか」という顔でOK。
 娘が小学生のうちは、娘の担任に、さも気の利く親のような顔をして、
「せっかくですから娘の部屋へどうぞ」なんて言ったもんだ。でも一昨年からは息子の担任も娘の部屋にお通ししている。息子の担任が、見るからに女の子の部屋に通されて、何か問いたそうにこちらを見るが、私は能面のような顔でしらばっくれる。
 
 そもそも、なんで家庭訪問というものが必要なのだろう。私にはわからない。児童の家庭環境を知っておく必要も、確かに先生方にとってはあるのかもしれない。昨今の不審者対策として、児童の家の場所を把握しておくことも大切だろう。実際ありがたいことと感謝している。
 でも家庭内の状況に関する限り、私のように必死で取り繕うズボラ主婦もいるわけだから、必ずしも「ありのままの状態」を知ることにはならない。そうなると、家の中にまであがる必要性がどこにあるのかという疑問に行き着く。
 聞くところによれば、ある年のある学年などは、先生方の間で「玄関で話を終わらせる」という夢のような協定が結ばれたという。残念なことに、私は娘の代からいまだかつてそのような慈悲深い家庭訪問を受けたためしがない。もっとも玄関訪問で味をしめたお母さん、翌年の家庭訪問で、靴を脱ごうとする先生を見て「そんなバカな」と焦ったそうだ。そこで上がりがまちに座布団を置いて「阻止」したという。こうなると、座布団というよりは決壊しかけた堤防に置く土嚢である。

 とにかく、家庭訪問というのは主婦にとってかなりの負担。私の職場では、家庭訪問に備えて「片付け休み」をとる人も出る始末。こんなことでは国力が落ちる。機嫌よく登校し、機嫌よく下校してくる児童の家庭は、家庭訪問ではなく、親が学校に面談に行く方法に変えてもらえまいか。

 先週土曜日、職場で家庭訪問が近いことを嘆いたら、
「うちの学校は数年前に廃止になったけど、今ではあった方がよかったなぁと思う」なんて言う人がいた。
「え~? 何でです!?」
「だって、家庭訪問がなくなってからうちの障子、もう何年も破れたまんまなのよ・・・」

 ところで、家庭訪問当日。うちはトップバッターだったのだが、先生は予定時刻より5分遅れて到着。そして5分で引き上げていった。5分間のために、1日半=合計10時間近くも、汗を流していたとは。家庭訪問がなくなったら、うちはジャングルになるだろうか。それでもいい。
 私のように整理整頓のセンスがない者にとって、家庭訪問は拷問なのである。
# by vitaminminc | 2006-05-21 16:54 | 人間 | Comments(3)

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