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捲土重来

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親しいトモダチが、自宅を新築することになった。家屋を解体する前に、庭の木で欲しいのがあったら掘り起こして届けてくれるというので、うちの小庭で枯れ果てた青モミジの代わりにユスラウメをいただくことにした。
上の画像は、受け入れのため、1月中旬にせっせと枯れ木を掘り起こした様子。
あたしゃ土木作業が嫌いじゃないらしい。真冬に首にタオルなんか巻いちゃって、大汗かきながら頑張った。はぁはぁぜぇぜぇ言いながら掘り起こして、可燃ごみの日に出せるように、意外と太い幹を鋸で何等分にも切った。翌々日あたりに腕と腰に来たけれど。

1月下旬。引っ越しの荷造りで忙しい中、トモダチがユスラウメを車に積んで運んでくれた。無事根付いてくれることを祈りつつ、植樹した。

しかし、この頃すでに、私のココロには常に分厚い暗雲が垂れ込めていたのである。
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ムスコの、大学卒業できるか否か問題。
ギリギリスのムスコは、単位不足で卒業できないなんて失態をやらかさぬよう多めに単位を取得しておく、などという考えは毛頭ない。万年金欠病で年柄年中バイトを掛け持つ苦学生だったから、学業に専念しろなんて言えた義理じゃなかったんだけど。
でもね、さすがに翌日試験て日までバイトに行くと知った時はさすがに言いましたョ、卒業試験を舐めとんのかと。
「あんまり勉強ばかりしていると頭がおかしくなる。気分転換も必要だ」
とムスコに言い返された。頭がおかしくなっては大変だ。止められなかった。止めたらバイト先に迷惑かかるもんね。
いや、しかし、ホント。毎日心配でたまらんかった。卒業できなかったらどうするんだろう? 内定をいただいて、10月には内定式にも出ているのに。大学の卒業アルバムも申し込んだのに。卒業できる確信もないのに、よくゼミの卒業旅行なんかに参加できるよね、自虐的行為としか思えない。ああ神様、タスケテ。
卒業試験5科目のうち2科目落としたら卒業はパー。ところが、3科目は落ちない自信があるけど、2科目のうち1科目はマジでヤバイ。残り1科目は「もしも落とされたら、ああそうなんだと納得できないこともない」などと言うではないか。
「ヤメテヤメテ、聞きたくない、そんなセリフ」
耳を塞ぎながらもムスコに聞く。
「本当に卒業できなかったら内定どうなるの?」
「こっちから速やかに内定先に内定辞退の申し入れをすることになる」
自分ですでにネットで調べたらしい。リアル過ぎてますます不安が募る。
「結果が出るまで、あとひと月以上かよ。生殺しだ」
と気が触れたように昭和のヒット曲を歌い出すムスコ。
「笑ってよ~ き~みの~ために~ 笑ってよ~ ぼ~くのために~」

3月10日。
ムスコに生殺されたも同然の哀れな母、ようやく卒業確定を知る。
その日、「ああ、ヨカッタ」という言葉が何度口からこぼれ出たかわからない。食器を洗いながら、風呂に湯を溜めながら、洗濯機を回しながら、猫を抱き締めながら、布団に潜りながら。亡きオットに、無事倅を社会に送り出せることを自慢できるヨロコビに浸った。

ムスコから事後報告を受けた。2科目落としたら卒業できないということを知りながら、ムスコは「戦略的撤退」という名のもと、1科目試験を放棄したそうだ。博打打ちか。これが「マジでヤバイ」1科目の真相である。受けても無駄なことが明白なので、その試験を受けに行く往復の時間と試験の時間をほかの科目の勉強に充てたという。
ゆえに残り4科目は1科目も落とせない中、1科目の出来がビミョ~だったので、内心かなり焦ったらしい。マンモス大とはいえ、容赦なく年間1500人も落とす大学。自分もその1/1500になってしまうのではないかという恐怖。
私がいかに心配させられたか愚痴ったら、「バカ言っちゃいけない、オレが一番心配したヮ」と勝ち誇ったように言った。我々親子は何を競っているんだ。

ムスメからも朗報あり。苦節5年、激やせするほど大変な思いを強いられていた今の仕事を辞める決心をしたのは1月下旬だったか? 仕事を続けながら転職活動を始めたとは聞いていたが、このたび無事志望する企業から内定をいただいたそうだ。ヨカッタ~!
来月半ばから都心に勤務するムスメ。電車の手すり、つり革を掴む際に使ってもらうため、医療用使い捨て手袋を贈った。本当はマスクを贈ってあげたかったけど、購入できないので、せめて手袋だけでも。
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トモダチから譲り受けたユスラウメ
可愛い新芽が出てきた!
無事に根付いてくれた!

ムスコの大学の卒業式は、本来であれば3月23日に行われるはずだったが、新型コロナ対策で勿論中止。もうね、もう、卒業出来さえすればイイの、卒業出来さえすれば。
思えばムスメの大学入学式も中止になったっけ。3.11からまだ日が浅く、日本中が悲しみに沈み、節電に励んでいる中、入学式は行ったという大学の方がむしろ多かったように記憶している。でもムスメの大学は自粛を貫いた。
その頃健在だったオットは仙台に単身赴任していたから、オットの無事を確認できるまで、ムスメと二人、震えながらテレビのニュースを見た。津波に襲われた様子を伝えるニュースのテロップに、「仙台市若林区」という文字が流れた時は、頭から血の気が引いた。若林区はオットが住んでいた地区だった。携帯はつながらず、ようやくオットの上司から連絡をいただいてオットの無事を知った。オットはその日、山形に出張していて助かった。オットは妻と子どもよりも先に、自分の母親に無事を知らせていた(←結構ショックだった)。
オットが被災地にいたこともあって、我が家ではムスメの入学式が中止になったことをそれほど嘆きはしなかった。日本を立ち直らせる原動力たる若者たちに、希望を与えるという意味で、自粛よりは入学式を行う方が有意義だとは思いつつ。

東日本大震災でムスメの入学式、新型コロナウイルスでムスコの卒業式がなくなった。
けれど、子どもたちはこんなにたくましく、戦略的に生きている。
このことをオットに見て欲しいと思った。











Commented by kazematic-night at 2020-03-13 23:34
おめでとう!
涙が出るほどいい話でした。
この鬱々とした日常がすこし浄化された思いです。ありがとう。
Commented by saheizi-inokori at 2020-03-14 05:48
よかったですね!
わたしの大学卒業のときも母はそんなに心配してくれたのだろうか、半世紀以上もまえのことを懐かしんでいます。
ユスラウメがきれいに
Commented by olion3754cona at 2020-03-14 09:14
卒業と転職、おめでとうございます♪
力強く生きていく様子が頼もしく感じますね。
たとえ枯れ木でも掘り起こすのは大変なヨイトマケ。
家族揃って皆さん、活力に満ちてますね。

私はまさにその若林区に住んでいて、あの日は古いビルの6階、
本屋さんに居ました。
あの時の揺れは自分がシェーカーの中に入ってバーテンダーがシェイクしているような揺れでした。
ここで自分は最後なんだ、と覚悟を決めた時間でした。
揺れながら停電になったので帰宅してもTVを見られず、津波のニュースも知らず、寒い家でダウンコートを着てキャンドルの灯り。
ご主人は山形にいて幸運でしたね。
ユスラウメが根付いて幸運でしたね。
これからいっぱい幸運が続きますように♪
Commented by vitaminminc at 2020-03-14 17:05
★風待ちさま★
ありがとう!
まったく、朝起きてネットのニュースをチェックしても、毎日毎日新型コロナの新たな感染者を伝えるものばかり。同時に、無事陰性になって退院した克服者の数も伝えてくれないものかな。
(T_T)今じゃ「東京2020」という表示も目に入ると「痛い」です。
Commented by vitaminminc at 2020-03-14 17:21
★saheizi-inokoriさま★
ありがとうございます!
うちの倅と違ってsaheiziさまが学生の本分を全うしておいででしたら話は別ですが、母親というのは、たとえ心配の種がなくても、あれこれ気を揉まずにはいられない生きもののようでございます(経験者はかく語りき)
いつの世も、母が子を想う気持ちは変わりませんものね。母性愛には敵いまっしぇん!
ユスラウメの花が咲く日が待ち遠しいです。来年あたりに期待。


Commented by vitaminminc at 2020-03-14 17:46
★シエルさま★
ありがとうございます♪
普段気合を入れずにヘラヘラ生きているから、ここぞという時に底の方からチカラが出せるのかもしれません(笑)

若林区だったのですね? 
仙台が大都市なのは知っていましたが、その中の若林区もかなり広いのですね。オットの勤務先の事業所も住んでいたマンションも、海沿いからはかなり離れた中心部寄りだったために、津波が達することは免れたと聞きました。
それでも新築のマンションの1階の外壁に大きな亀裂が入り、いろんなものが倒れたり割れたり。何日かかけてやっと帰宅して一番驚いたのは、浴槽の7分目くらいまで張っていた湯の大半がこぼれ出てしまっているのを目にした瞬間。自分の住む6階がどれだけ揺れたか想像が出来たと話していました。
シエルさまもご無事でよかった! どんなに恐ろしかったことかと。 
我々は、新型コロナなんかに負けないで、一生懸命生きなくてはいけませんね!
Commented by angelami at 2020-03-14 18:36
(´Д`)ハァ… ドキドキしましたー。
息子さん、卒業おめでとうございます。

ワタシも実は↑シエルさまと同じトコロ在住です。
オットさまとすれ違っていたかもしれませんねぇ(*´ω`*)
「あの日」
唯一の家族、東京在住の兄もワタシは津波にさらわれたと思っていたようです。連絡がついたのが3日目だったでしょうかなぁ~
ワンコ2頭と軽自動車の中で震えながら星空がキレイだなぁ~と眺めていたのを覚えています。というかソレしか記憶にない(^_^;) 記憶していたくない?

オットさまも目を細めて成長を見守っていてくださっていることでしょう。
Commented by vitaminminc at 2020-03-14 22:20
★yummyさま★
わ~ぉ、東北にお住まいなのはblogで存じ上げていましたが、仙台でしたか!
あれはムスコが12才の夏休み。今から10年前になりましょーか。一度だけ赴任先に呼んでくれました。家族に来られると何かと面倒だから、呼ぶくらいならと自分が埼玉に帰ってばかりのオットを見かねた上司さんが、一度くらい家族を招待しなさいョと半ば命じてくださったそうです(笑)受験生のムスメを残し、ムスコと二人で仙台に行きました。
オットが観光案内してくれました。伊達政宗公、松島、七夕祭り、牛タン…。緑豊かで洗練された大都市でした!
( 〃▽〃)その時、私達母子とも市内ですれ違っていたかもしれませんね!
「あの日」家族で足を運んだ松島の変わり果てた姿をニュースで見て、涙が出ました。すっかり整備されて、美しい景観が甦ったのですよね。
震災についてオットはほんのわずかなことしか話してくれませんでしたが、オットの葬儀で上司の方が弔辞で詳しく話してくださいました。どんなに大変だったか…被災地にいないとわからないことばかりです。頑張ってくれてたんだなぁと胸がいっぱいになりました。
yummyさまとワンちゃんたちがご無事で何よりでした。
Commented by g-tant at 2020-03-15 11:49
遅くなりました卒業おめでとう〜就職おめでとう〜
これでみんこ様の方の荷が下りたか落ちたか
お財布が少しでも重くなると良いですね

50年近く前私も卒業式飛んじゃいました
大学がロックアウトされて
後日送られてきた卒業証書を見て母曰く「あんなに学費取ったのにこんなペラ〜っとした紙切れ一枚」

そう言えばどこいったかなあの紙
Commented by vitaminminc at 2020-03-15 14:11
★ゼペットおばさま★
ありがとうございますぅ~~~<(_ _)>

大学がロックアウト─ももも、もしや「いちご白書」の世界でしょうか?
「あんなに学費取ったのに」は、卒業できなかった場合の、私の断末魔の台詞になるところでしたョ、ホントにもう!
ううちにも卒業証書郵送されて来るんだろうなぁ。。。


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by vitaminminc | 2020-03-13 22:22 | 人間 | Comments(10)