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祥月命日6月28日

祥月命日6月28日_b0080718_14573968.jpg 昨日、
6月28日は、実父の命日であった。2002年の昨日、父は病床の白いシーツから白雲に乗り換え、上空に飛び立った。
 昨日の仕事帰り、私は花を買った。ミニひまわりと、レモン色のスターチス。それから、お酒と大福も。遺影の前に、それらを供える。背景を空色に加工してある、父の写真。青空で笑っているように見える。
 私は、父の死に目に会えなかった。病院からの危篤の知らせを、どう解釈したものか、母が私に知らせるのを大幅に遅らせたためだ。母が知らせを遅らせた理由というのが、こうである。
「昨日もお見舞いに来てくれたばかりだったから、疲れているだろうと思って・・・」
 そう言う母を、ずいぶん責めた。人一人が死ぬというときに、いくら体を気遣ってくれたとはいえ、臨終に立ち会えなくさせるなんてひどいではないかと。
 だが、その後、私よりも先に親を亡くした何人かの友の話を聞くうちに、母を責める気持ちはスーッと消えた。友だちの話から私が導き出した結論は、父が私に立ち会うことを望まなかった、というもの。
 死に逝く者の特権として、父は自分の臨終に立ち会うべき者を選別していたのではないか。思えば母は、なぜ私に知らせるのをああも遅らせたのか、自分でもよくわからない様子だった。父の容体を危篤と受け取っていない様子の母に、心配になった看護師さんが、念を押したという。
「子どもさんたちには知らせてありますよね?」
「息子にはさっき一応知らせました。あのぅ・・・娘にも知らせた方がいいですか? 家が遠いものですから」
「あら!遠いのでしたら、なおのこと早く知らせてください」
 こんなやり取りがあった後、母はようやく私に電話を入れてきた。午前10時前だったと思う。母自身が病院から連絡を受けたのは、その日の早朝。「朝一番で病院に来てください」という連絡を受けた母が、病院に出向いたのが午前9時頃。駆けつけたわけではない。いつも通り、バスに乗って行ったらしい。同居しているはずの息子を伴うでもなく、単身ナースステーションに現れた母を見て、看護師の一人が事の重大性を説いたのだ。
「でも、危篤だなんて一言も言われなかったから・・・」と、母は首をかしげながら私と兄に言い訳した。時間外に病院から連絡が入ること自体、緊急事態を意味している。「どういうことですか」と確認することもなく、母はほぼ普段どおりに行動していた。
 
 私が病院に到着したのは、12時25分過ぎ。そのわずか25分ほど前に、父の臨終が確認されたという。たった一人でベッドに横たわる父を見て、私は自分でない者の声を、自分の耳で聞いていた。それは、泣き声と叫び声とにすり替わった、自己批判の罵声だった。
 あと25分早く着いていたら──だが、きっと父にはもう私の声は届かなかっただろう。前日に見舞ったとき、父はすでに昏睡状態だった。ベッドで呼吸していたのは、父の脱殻。魂の抜け出た残骸。わずかばかりの細胞の生き残りだけだった。
「心肺停止の瞬間を目の前で見てしまうと、しばらく尾を引くよ」──そう心やさしい友だちは教えてくれた。友だちのお兄さんも、普段よほど近くにいながら、母親が息を引き取る瞬間に限って居合わせることが出来なかったという。
「自分でも、お兄ちゃんにはあれは耐えられなかったろうと思う。私だってもちろん辛かったけど、二人子どもがいてどちらかに最期を看取らせるとしたら、お母さんは私を選ぶしかなかったんだろうなって。うちのお兄ちゃんて、そういうの目茶苦茶弱いから」
 そういうものなのかもしれない。うちの場合は、そういうのに目茶苦茶弱いのは、兄ではなく私の方。父は見抜いていたのだ。
 25分早ければ──本当ならあと25分早く出られるくらいの時間はあった。その日に限って学校のPTA役員の連絡が入ったり、ダンナに会社を早退して息子の幼稚園に寄って引き取ってもらうよう電話するにも、幼稚園に事前連絡を入れるにも、いちいちやたら時間がかかった。自分ではどうにもできないような力が加わって、家を出るのが大幅に遅れたような感じだった。よくよく思い出したら、私自身、「取るものも取りあえず」家を出たわけではなかった。方々に手抜かりなく連絡を入れた後、往路気持ちを落ち着かせるためのコーヒーなんかポットに注いでいた。
 
 今では父の死に目に会えなくてよかったと感謝している。人の死を思い知らされるのは、冷たくなったその人に触れるだけで十分だ。モニターの波形が直線になってしまう瞬間など見たくない。医者の口から言い渡される「臨終」の言葉も聞きたくない。そして何より、だんだん冷たくなっていくその人のそばになど、いたくない。
 全部わかっていたから、父はうんと冷たくなった身体で私を迎えてくれたのだ。物わかりの悪い娘に、何の期待も持たせられないくらいに、これ以上はないという冷たさと硬さになって。

 今日、ネットの「没年別・命日データベース」というもので、2002年の6月に父と同期で天国に入門した有名人を調べてみた。↓↓↓
 
 ナンシー関(コラムニスト)・・・お父さんは知らないかなぁ。話すと面白いはずです。
 村田英雄(歌手)・・・一緒にカラオケする仲になっていたらいいな。
 室田日出男(俳優)・・・あくの強い名優さん。「天国にいちばん近い島」って映画に出てた。
 山本直純(作曲家)・・・でっかいことはいいことだ~。天国はでっかいとこですか?

 お父さん、天国にも、ひまわりは咲いていますか? 
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by vitaminminc | 2006-06-29 15:33 | | Comments(0)