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豆餅

豆餅_b0080718_20533789.jpg 今から一年前、うちの西側のブロック塀と家との隙間は、「豆餅」のトイレにされていた。その頃、豆餅はまだ子猫と成猫の中間であった。夏ごろまでは、母猫とおぼしき黒猫と行動を共にしているのを時折見かけたのだが、秋になってから巣立ちを言い渡されたのか、豆餅は単独でいるようになった。うちの西側が豆餅のトイレにされ出したのは、ちょうどそんな時期だった。

 うちの近所にはパチンコ店がある。毎朝開店前に、数人の女性清掃員がホールの掃除に訪れる。私は亡犬の散歩をしていた時分、彼女たちが店の駐車場の周りで野良猫たちに餌を与えるのを毎朝見ていた。食うものに困らない猫たちは、あれよあれよと数を増やしていった。餌入れや古毛布なんかが置いてあるのを見たパチンコ客が、猫の捨て場所として目星をつけるのか、ダンボール箱に入れて置き去りにされる捨て猫まで出る始末。発情期にもなると、うちの近所では妖怪の赤んぼうのような恐ろしい啼き声が反響し、寝ても覚めても悪夢に引きずり込まれそうになる。豆餅は、そうしたパチンコ・キャットが産み落とした子に違いなかった。
 私は猫が好きだ。だから、野良猫に餌をやる人の気持ちがわからないでもない。むしろわかってしまう。だけど、餌を与えるということは、野良猫の数を増やすことになるってことをきちんと理解してもらいたい。餌を与える人たちは、野良猫たちに避妊手術を受けさせる気もなければ、引き取って飼う気もない。自分の家から遠く離れた場所で、野良猫たちに餌をふるまい、いたずらに野良猫を繁殖させているだけだ。
 パチンコ店の周辺道路は交通量が多い。私はすでに何匹もの猫が車にはねられ息絶えている姿を目撃している。無責任すぎはしないか。自然の摂理に反し、人為的に餌を与えて野良猫を繁殖させる行為、一生面倒を見るつもりはあるのだろうか。私には、単なる自己満足としか思えない。

 私の心は忙しかった。豆餅にトイレにされた西側のへたりこむような悪臭に悩んだだけでなく、小さな豆餅の将来を悲観して、胸を痛めない日はなかった。独り立ちしてからの豆餅は、親猫と一緒だった頃の警戒心をすっかり解いていた。生きるための本能が、そうさせたのだろう。豆餅は、私たちが外から車で帰ってくると、よく目立つ位置──門柱の上──にちょこんと座って出迎えるようになった。車はバックで庭に入れる。ちょろちょろしている豆餅を轢いてしまわぬよう、子どもたちに見張りをさせているうちに、豆餅は子どもたちとすっかり仲良しになってしまった。子どもたちの後について玄関の中に入ってこようとする豆餅を追い払わなければならない切なさつらさを、あの偽善的餌やりおばさんたちは知る由もないだろう。忌避剤なんかもろともせずにトイレ・・・いやうちの西側に糞をし続けた豆餅は、冬に入ってから益々私を悩ませた。寒いだろうな。おとなになりかけているな。今に子猫を生むんだろうな。絶対うちの縁の下で生むに違いない。寒風の中、大きなおなかを抱えた豆餅の姿を想像すると、たまらなくなった。春になって子猫を従えた豆餅の姿なんか見たりしたら、確実にどうかなってしまう。どうかなってしまう。

 それで、動物嫌いのダンナに離婚される覚悟で、身ごもる前に豆餅を引き取った。少しばかりの餌をもらったところで、豆餅が劣悪な環境下で乳飲み子時代を過ごしたことに変わりはなかった。子猫の時にひどい結膜炎を患った後遺症(獣医)で、今でも時々血の涙を流す。うっかり窓を開けると、家猫出身の先住猫は好奇心旺盛で外に出たがるけれど、野良猫出身の豆餅は、決して外に出たがらない。
「苦労したんだね・・・」
 私は、焦げた豆餅模様のちび猫が、門柱の上で私たちの帰りを待っていた姿を思い出すと、今でもキュンとなる。今の世の中、野良猫たちにとって決して住みよいわけではないのだ。
 餌やりおばさん、生きものの面倒をみるには、「責任」てもんも必要なのではないでしょうか。
 
豆餅_b0080718_2254373.jpg


 
Commented at 2006-08-07 11:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by vitaminminc at 2006-08-07 18:51
そうです、そうです、餌をやるなら糞の始末も当然するべきなのです。
食べたら出るのは当たり前なんでスカラベ!
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by vitaminminc | 2006-08-03 22:03 | 生きもの | Comments(2)