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親不孝上手

 先日ムスコが私に聞いてきた。
「‘ジョーンズ’って、すっごく怖いんだってね」
「ジョーンズ?」
「ママ、観たことある?」
「何を?」
「映画だよ、映画!」
「・・・・それだったらジョーンズじゃなくてジョーズでしょ、鮫の」
「そうそう、それ!」
「観たことあるよ。出来のいい映画だよ。海面の下から襲われるシーンなんてリアルで──」
 私は立ち泳ぎのマネをして、突然足をビクンと引っ張られる様子を再現してみせたが、ムスコは疑わしそうな目つきでただニヤリと笑うだけだった。

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「ジョーズ」といえば、昭和生まれの大人なら知らない者はいない、恐怖映画の決定版。1975年のアメリカ映画で、監督はご存じスティーブン・スピルバーグ。

「ジョーズっていうと、おじいちゃんがさぁ・・・」
 私が亡父の話をし始めると、ムスコが今度は少し優しい目で笑いながら言った。

「知ってるよ、うどんを食べながら観たって話。それもう何回も聞いてるョ」


 1976年。その頃地元には、まだ「名画座」と呼ばれるような、町の小さな映画館がいくつかあった。ロードショー公開が終わった翌年以降に、ヒットした映画を2本立てで上映する映画館である。
 春だったろうか。父は「みんちゃん、映画を観に行かないか?」と私を映画に誘った。「今なら‘ロミオとジュリエット’をやってるよ」
 ゲ!何が悲しくて父親と二人で「ロミオとジュリエット」を観に行かねばならんのか。

 中学~高校にかけて、私は非常に父のことが苦手であった。毛嫌いしていたといってもいい。
 小学生までの私は、父親っ子だったように思う。
 ふだん能天気な父が、仕事の締め切りが迫ってくると突然職人気質丸出しの頑固オヤジに豹変するのさえも畏怖の念で受け止めていた。ひたすら父の顔色をうかがい、ご機嫌をとっては、母に及ぶ危害を最小限に喰い留めるのに貢献した。
 父は夕餉の支度が1分遅れただけで、右腕をワイパーのように動かし膳の上に並べかけた物をすべてなぎ払ったこともある。
「伊達や酔狂で働いているわけじゃねんだ、バカヤロー!」
 結局ぷいと飲みに出てしまった父のことを、母は「なによ。単に飲みに行く口実が欲しかっただけじゃない」とブツブツとののしった。
 もちろんこれが日常茶飯事だったわけではない。毎月納品が近づいてきた時期にだけ繰り広げられる、恐怖の恒例行事だった。

 父が「伊達や酔狂」を叫んで飲みに出ていくのは、いくらか仕事の目途がついた時に限ったことだったのだろう。締め切りはきちんと守る、堅気の職人だった。
 小学校低学年で、「ダテ」や「スイキョウ」の言葉の意味を本能で理解していた私は、仕事人としての父を尊敬していた。
 父の職業は、貴金属の宝飾品のデザインと加工。すべて機械でつくる製品とは違い、半分職人の手が加わる父の‘作品’は、納品先からも質の良さを買われ、評判が高かった。
 実際、出来上がった18Kやプラチナのネックレスの束は、伊達や酔狂では到達できないほどの気品に満ちており、納品前の星一徹の手によるものとは思えないような繊細な光沢を放っていた。
 
 小学校高学年になると、私もいろいろ学習し、父の噴火を回避するための手段を考えるようになった。
 キッチンの母の様子から、6時厳守の夕餉が危ういと読むや、冷蔵庫にあるものを適当に見繕って酒の肴もどきを準備する。冷えたビールを膳に並べ、5:59に仕事場の父に声をかけ、今度は晩酌を始めた父のピッチとキッチンの母の様子を見比べる。食事の支度に今しばらく時間がかかりそうな場合は、父に話しかけ、自然な会話で必死に間をつないだりもした。こういう場合、私が席を外して母の食事の支度を手伝うよりも、父の相手をすることの方が余程有効なのだということを私はちゃんと知っていた。

 中学~高校時代の私は、相変わらず親の顔色をうかがいはしたものの、以前とは違う感情が伴うようになっていた。
 毎度毎度「6時厳守」の夕餉の支度がギリギリになるような取り掛かり方を繰り返す母。数分食事の支度が遅れただけで目くじらをたて激昂する父。いつも修羅場に居合わせない運の良すぎる兄。
 父を怒らせると家全体の空気が最悪になる。母がかわいそうだからではなく、兄が役に立たないからではなく、まして父に対する畏敬の念からでもなく、私は親の顔色をうかがった。自分が居心地いいように、自分のために振舞っていた。

 だから、今更父と映画など観に行きたいとは思わなかった。しかも「ロミオとジュリエット」など、死んでもゴメンだった。
「友だちと行く約束したから」
 口ではやんわり断わったつもりだが、よほど形相に物凄い拒絶反応が出ていたものとみえる。その後上映された「ジョーズ」には、私を誘うことなく最初から潔く一人で出かけた。


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「いや~、鮫ってカワイイ顔してるもんだね」と父が感想を述べた。「目がまん丸で、カワイイ顔してるんだよ」
「そうかな。作り物の映画だからじゃない?」と私は興味なさそうに言った。「映画怖かった?」
「う~ん、あまり観なかったからなぁ…」
「???」
 なんと、父は売店で買ったカップうどんを食べるのに忙しく、途中映画を途切れ途切れに観ていたという。
「上映中なのに売店に食べに行ったの?」
「いや。座席でさ」
(ーー;)・・・やはり父とは一緒に映画を観に行かなくて正解だった。私は心から安堵した。

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その頃発売されたカップうどんは、「どん兵衛」か? 
 冷たい娘の代わりに温かいどん兵衛をお供に、映画を‘鑑賞’、うどんを‘完食’した父。それにしても、あの人食い鮫の映画をチラ見しながら物が食べられるという神経、只者ではない。

 結局父と一緒に観に行った映画は、もっとずっと小さい頃に連れて行ってもらった、ゴジラだとかガメラなどの怪獣映画だけ。

 隣の席でうどんをすすられるのは困るけど、今なら一緒に観に行ってあげてもいい。それくらい、オトナになれたんだけど、遅過ぎた。
 親孝行ジョーズな娘でなくて、ごなさい。ふはは。
 

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by vitaminminc | 2008-06-17 11:28 | 人間 | Comments(0)