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わからない

 まだわずか3才だ。
 「死」なんて言葉とは無縁だと思っていた。

 そんな心の隙を衝かれたのかもしれない。
 獣医師がレントゲン写真を見せながら言った。
 「非常に厳しい状態です」
 私は口元に薄っすらと笑いを浮かべたかもしれない。確かに食欲は落ちていたけど、昨日まで普通に──。
 「全体に白っぽく見えるのは、全部水です」
 私の口元から笑みが消えた。
 「肺はここ。本当なら──こちらが正常な肺になりますが──このように黒っぽく見えなきゃいけないのに、この子の場合、胸水で肺が押しつぶされています」
 私の口元は、震えていたかもしれない。まだ3才なのに。まだ3才です。生まれてからまだたった3年しか経っていません。

 食欲が落ちたなと思った翌日は朝からだるそうにしていて、その日の晩にはもう呼吸が速くなっていた。次の日急遽会社を休んで獣医に連れて行ったが、その時点では夏バテか何かで、注射の1本でも打ってもらえれば直に元気を取り戻すだろう、程度に考えていた。

 獣医の説明はこうだった。
 胸水を取り除くには、人間のようにおとなしくしていられない猫のこと、全身麻酔をかけなければならない。体力的にも、胸水を抜く前に麻酔で死んでしまう可能性が高い。
 また、仮に麻酔をクリアして胸水を抜いて一時的に呼吸が楽になったとしても、病気が治るわけではないから、またすぐに水が溜まってしまう。麻酔という危険をおかし、痛い思いをさせて胸水を抜くのはリスクが高すぎて勧められない。

 話を聞いているうちに、繭の中に閉じ込められたようになった。話は聞き取れないし、呼吸も苦しい。レントゲンの写真もよく見えない。
 押しつぶされた肺が自分のもののように感じられた。まだ3才だと安心していた心の隙を衝いて、ザーッと高波が押し寄せてきたのだ。
 
 「どうすれば・・・どうしてあげればいいですか」
 やっとのことで発音した声は、自分の声ではなくなっていた。

 「安楽死」・・・「呼吸ができなくなって死なせるよりは」・・・「この子の苦痛を取り除いて」という言葉が断片的に耳に入ってきた。
 
 「子どもたちが家で待っていますから」と私は言った。「お別れもさせてあげたいですし」
 そう自分が放った言葉でようやくすべてを理解したのだろう、堰を切ったように涙がこぼれた。

 先生は家族のみんなとよく相談して、何かわからないことがあったらいつでも電話をするようにと私に伝えた。

 その晩は、ちび猫にマグロの刺身を買ってきた。けれどちび猫は刺身には見向きもせず、力のない足取りで廊下に出ると、兄貴分の猫用に用意してあったごく普通のキャット・フードを3粒だけ口に入れた。
 胸水で胃も圧迫されているのだろう、食べたものが下がっていかないらしく、それ以上食べることができなかった。
 ちび猫はうちで飼い始めてすぐに血尿が出て、尿路障害を持っていることが判明。以来、獣医で出されるPHコントロール・フードしか口にすることができなかった。いつも兄貴が食べるごく普通のキャット・フードを食べたがった。目を離したすきにつまみ喰いをしては私たちに追い払われた。少しでも普通食を食べるとすぐに血尿が出てしまうからだった。

 食事でコントロールしさえすれば、ちび猫は臆病なくせにやんちゃで元気に暮らしていた。甘えん坊で、そばに人がいるだけでごろごろとうるさいくらい機嫌よく喉を鳴らした。

 何度もカレンダーで確認した。本当に、病院に連れて行く前々日まではまったく普段と変わらず行動していた。食欲の減退もたびたびあることだったし、元々食の細い子だったのでさほど気にせずにいた。その子がマグロの刺身よりもお兄ちゃんの餌を3粒だけ食べたのを見て、私は泣き崩れてしまった。
 自分が呼吸をするだけでもしんどいのに、ちび猫は発病してから一気にオトナになった。だらしなく泣いてばかりいる私や子どもたちの手を舐めて、無言で慰めてくれる。もうごろごろ喉を鳴らす音は聞こえない。

 呼吸が速くなった晩を境に、ちび猫の症状は坂を転がるように悪化の一途を辿っている。お兄ちゃん猫の餌を3粒食べたのを最後に、固形物は何も食べられなくなった。赤ちゃん用のミルクをスポイトで与えても、出してしまうようになった。

 どうしても安楽死させる気にはなれない。そもそもちび猫の大嫌いな病院に再び連れて行くこと自体できない。私たちを慰めてくれる健気なちび猫を裏切る行為だ。

 だけど、本当にこれでいいのだろうか。私はちび猫の苦しみを長引かせている。これでいいのだろうか?

 生まれてくるときの状況を考えてみる。お母さん猫のいきみに助けられながらも、ちび猫は自分の力でこの世に生まれてきた。
 この世を去るときだって、きっと自分の力で去っていけるはずだ。だからママは余計なことはしないことにする。
 
 今だって、ママは見てられなくて辛いから、こんなことをやっている。でもずっとそばにいたのでは、ちびはきっとママを慰めようとするでしょう。少しでも疲れさせないようにしなければと思ってもいるんだよ。

 もう何が一番いいことなのか、何もわからない。

 ママは本当に、悲しい。今わかるのは、それだけ。

 
 
Commented by どんまま at 2008-08-27 23:13 x
何言っていいか、わからないです。同じ状況になった人しか言えることはないもの。これ読んで5時間、自分ならどうするだろう、と考えてました。息子は「植物状態の人だったら楽に逝かせてやりたいと思うけど、猫では自分でも決断できない」と。私はきっと、み茶ままと同じ選択をするだろう、と思った。一緒にくっついていることは、疲れさせたりしないと思うよ。嬉しいから舐めてくれてるんだよ。仕事なんてずっと休んじゃって。
もし猶予がある病状なら、別の獣医にみせるのはだめだろうか? 三郷に循環器系のすごくいい先生を知ってるんだけど・・でもチビ猫の負担になるだけかもしれないね。
ずっと祈ってるね。
返信いらないから。
Commented by ラク太母 at 2008-08-28 00:10 x
実家で、13年飼っていたコリーを安楽死させたことがあります。
決断したのは母で(わたしは結婚して実家にはいなかった)、獣医さんにいわれるまま処置してもらったそうですが、
わたしはあとでそれをきき、「どうしてそんなことを!」と怒ってしまいました。でも、それはその場に居合わせなかったからいえたこと。
母も考えた末の決断だったのでしょう。

み茶ママさん。
何度も読み返し・・・、また読み返して・・・・・わたしも泣きそう。
ずっとちび猫のそばにいて、触ってあげて、「ママはここにいるよ」と安心させてあげてくださいね。
Commented by みんみん梅桜紫陽花彼岸花 at 2008-08-28 00:48 x
悲しいなあ。生と死は裏表なんやねぇ。さっきまで、元気だったのに、どうして?っていう疑問は「生きる」ことにはつきものなんやよ。お姉さんの時間が許すものなら、茶尾をそっとしてやっていてほしい。安楽死はさせたくないもんやね。一秒でも長生きしてくれるといいね。一秒でも多く一緒にいてあげてください。
Commented at 2008-08-28 13:06
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by vitaminminc | 2008-08-27 16:01 | Comments(4)